先月には発表されていたようですが、本日が「サイボーグ009の日」だというので、言わずにはいられない。
「これは・・・ナンセンスだっ」
しかもまたもや宮城じゃかからないっ
生みの親の故郷だぞ?・・・あ、石川県も外れてる。
さてどーすんでしょ。加速装置はあるけど空を飛べない島村ジョーのために、ギルモア研究所では002ことジェット・リンクを再改造してジョーとドッキングする能力を持つジェット・リンク・スクランダーに・・・そのさなかにデーモン族と組んだ黒い幽霊団が不動明を拉致して処刑を! さあ行け空飛ぶサイボーグ戦士・・・
そんなわけねーだろっ
デビルマンのファンの方々には失礼を承知でぼやかせていただきますと、デビルマンそのものの物語はすごいし唸らされるのですが、僕などの世代はそれより以前に、ハレンチ学園と出会ってしまっているのです。僕なんか小学校の低学年です。
序盤や中盤の展開は、まああちこちで語られている風評に準拠するかもしれませんから、僕も親に隠れて読んでいたし、少年ジャンプを買いに行った本屋のおばちゃんからも白い目で見られたものです。が、第一部の終幕となるハレンチ大戦争編に物語が及んだ時点で、風紀上好ましくないと判断された学園に対して、大日本教育センターとやらが軍を出動させ、学園はおろか周囲の市街地から住民に至るまでを殲滅し始める。そこから始まる惨劇には、何も悪魔族やサタンの力を借りるまでもない、体制に狩られる自由の主張が容赦なく描かれ蹂躙されるのです。
あの結末をデビルマンよりも先に見てしまっていると、デビルマンのアドバンテージは作画タッチの変化くらいでしかなく、トラウマにもなり得なかったのです。今だったらもっと凄まじい漫画もあるのですが、当時受けてしまった衝撃とトラウマの前にはどうしても霞んでしまいます。ハレンチ学園は決して、スカート捲り談義の素材で片づけてはならない恐ろしさを秘めています。
あーいや、それは今回は関係ないんだ。
翻って009にしてもです。今回の予告映像を見る限りの、ミュートスサイボーグ編らしき作画の下手さ加減。
今どき珍しいほどのレベルで、あのまま作っちゃうのかこの映画?
今後の両プロのためにも、観に行っちゃダメなの来ましたね。
こういうのって同人レベルの世界ですよねえ。
ことデビルマンのその後の顛末なんて言うのは、ずっと昔にちびキャラワールドでサタンをも動かしていたラスボスの素材をやりつくしているのです。
それは永井豪作品総動員で、二等身キャラを使って最後はシリアスという爆弾でした。
009は・・・モノクロ時代の、原作とは異なる独創性が立ちはだかっていて、これから手がけようというアニメ関係者はそれを崩していかなくちゃだめなんじゃないでしょうか。