あの震災の夜は、それこそ他者との連絡のしようも無い混乱の時間でしたが、この11日も似たような状況で、仙台市からの緊急エリアメールが「避難準備指示」「避難指示」「避難勧告」と30分から1時間おきに入ってくるものの、肝心の避難先がわかんないぜと市のホームページを開けようとしたら・・・
つながらないわけです。
国土交通省のサイトも然りで、とにかく特定の閲覧先に過度のアクセスが集中するのはもう仕方がない(ただし改善の余地あり)
独自のルートで情報を得ながら夜中に動き回っていましたが、そりゃ怪しまれるし職質もされます。やむを得ず正体を明かして相手をこちらも仕事よと身分証明書を見せたり名刺を出したりしつつ関門を潜り抜けては必要なところに立ち寄り立ち寄らずの数時間。この間、夜が明けたあとの業務内容を組み立てて部下に出す指示を頭の中でまとめていくのですが、災害の方も次々と発生して、相変わらず宮城県脆弱、と思わされておりました。
各地で不幸にして命を落とした人もいらっしゃいました。天災とはいえ、天災であっても言葉もありません。そして河川氾濫はレンジの長さが物理的にも時間的にも持続するものなので、台風が去ったからと言って予断を許しません。数日は河川や低地には近寄るべきではありません。山間部も土砂災害の危険度が高まっているので、誰もが警戒を忘れてはなりません。
仙台はきょう明日、定禅寺通りでジャズフェス開催ですが、とりあえずこちらは仕事の週末だわ。
日本の国土を考えると、住宅地は必然的に海、川、山の近くになってしまい、運良く平地に住んでも竜巻が来たり、今回の常総市のような大規模越水・決壊となると、平地でも数キロ先まで水浸しなんですから、安息の地はないようなもので・・・。
こういっては何ですか、紙一重の運で生死を分けてるようなものですね。
ここへきて阿蘇山が噴いちゃいましたが、火山ひとつにしてもこれだけ近傍に生活圏を持ってる民族も珍しいんです。
古代においては災害と言う概念がちょっと違っていて、抗えないなりに慣れっこだったのかもしれません。
現代にあっては、国やだれかがなんとかしてくれているという依存心が強いんだと思います。そっちに慣れちゃうと、自己防衛しなくなるよね。