1853年7月14日、将軍宛の親書を携えたマシュー・ペリーが久里浜に上陸しました。事実上の幕末の始まりです。四隻の艦隊は数日前の7月8日に既に浦賀沖で投錨しています。その際、目的地の指標となったのが、その頃から200年ちょっと前に幕府によって設置された浦賀燈明堂の灯であったことは皮肉と言えば皮肉な話です。燈明堂は家康の江戸入り以降水運の要衝に位置付けられた浦賀水道周辺の水先案内を担う灯台でした。よもやその灯が黒船をも呼び寄せることになろうとは、200年とちょっと、考えもしなかったでしょう。
皮肉は重なり、ペリー来航の翌年、安政東海地震によってこの堂は津波に呑まれて崩壊してしまいます。要衝ですから復旧は行われ幕末を迎え、1869年に観音崎灯台が完成するまで、灯明堂の役目は続きました。その後老朽化で失われたものの、1989年に復元されたものが今の構造物です。2017年、浦賀水道あたりはペリーの時代に比べたらとつてもなくでかい船舶がとんでもない過密状態で往来しているし、ヒアリなんて厄介なものを上陸させちゃったりの騒々しさが続いています。