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  ~懲りない傾向~

迷惑千万な彗星

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多くの人がレビューで「夏祭り」と勘違いしてるけれど、この場面って10月で「秋祭り」だよ。

今頃になって「君の名は。」のことを書いても乗り遅れもいいところなんですが、あんなに世間が盛り上がっているときに迎合して観になんか行けっかよ(笑)という天邪鬼だったので、今さらの今頃なのです。

ちょっと驚いたのは、監督の新海誠さんは、彼にしてはこれまで世に送り出してきたいくつかの作品とは趣を変えているんだなというところで、突き放されて切なく終わることの多かった作風が、そこから先へコマを進めた感があります。

配給会社のコントロールが入ったからであるとか様々な要因による構成だそうですが、これはこれで「よかったよかった」と思えるエンターテイメントで、新海らしくないともいわれるけれど、いろんな都合の整合の有り無しも含めて良いんですよこれで。

思わせぶりなタイトル(ただしこの作品には「。」が付く)、逢えないかもしれないすれ違いという昭和20年代のラジオドラマのあちらの方にあやかったふりをして、まずまず面白い物語を作り出したと思えます。公開当時の評論家の論評を読むと、興行成績に対して意外と辛辣なものもありますが、若い人たちの反論に「大人の論旨を押し付けるな」というものがけっこうあり、それはその通りだと感じます。

それにしても、物語の軸となっている彗星の最接近と核の分裂による地表落下が、接近周期ばかりでなくピンポイントで同じところに落ちてくるというのは、はた迷惑な話です。おそらく1200年後の最接近時にも、またもや糸守のあたりは大騒ぎになり、その頃人類が滅んでいなければ、宮水神社の子孫の娘が誰かと「入れ替わり」を果たして危機回避を遂げるのでしょう。

あの彗星ティアマトがいつごろから物語上の軌道を描いているのか知りませんが、糸守の町で確認できる現代以前の落下痕跡はふたつ。湖となっている隕石痕が平安時代くらい? ご神体といわれるクレーターらしき痕がその前にも落ちているものだとすると縄文時代の終わる頃となり、彗星のことに限って「前前前世」となるとまだまだ縄文時代ってことになるのか?(ほんとにつまんねーことばかり書いてるなあ)

もう一つはソフトならではの特典というか、RADWIMPSの楽曲を英語版にトラックできる点で、その方が劇中で煩く感じないような気がします。

それからおぢさん的な蛇足を書いてしまうと、この映画でぐっときたぐっときた若い人たちに、今じゃなくていいから何年かあとにでも「HEAVEN CAN WAIT」という洋画を観ていただけたらと思っております。邦題は「天国から来たチャンピオン」。9割までラブコメですが、ラストの余韻は「君の名は。」の大人版ともいえるので。

 

4 Responses

ぼくも昨年、鑑賞しに行きました。
すいている時を狙って、平日に仕事を調整して行ったのですが、それでもかなりの来場者数でしたね。

ぼくが見た感想は、予想外にスケールの大きい、ダイナミックな展開になったので驚きました。彗星衝突、爆破など、特撮や西部警察も顔負けの展開でした。

ぼくも瀧や三葉位の頃、ヘール・ボップ彗星を見た事を思い出しました。あんなに大きな彗星を見たのは、今までの人生であの時だけです。

レンタルも人気殺到で、借りるのはまだ難しいでしょうね。またしばらく経ったら、ぼくも借りて観たいと思います。

モデルとなった諏訪湖や、舞台の岐阜県飛騨高山も聖地巡礼に行きたいが、まだ先になりそうです。この聖地巡礼ブーム、今後いつまで続くでしょうね。

  • 糸守の湖は諏訪湖じゃなくて松原湖あたりじゃなかったですか?
    そういえば、モチーフとして劇中で扱われることはありませんでしたが、彗星落下というカタストロフィーに対していにしえの巫女の一族がどうにかする展開という構図には、天香香背男と建葉槌命の抗争という神話が見え隠れしていて、この作品もノベライズなどでそこが説明されているそうですが、彗星であるかどうかはともかく天香香背男こと天津甕星という星の神は、諏訪や飛騨については知りませんけど実際に祭られているのは茨城県日立市の大甕神社です。
    その展開はこのコメントではしませんけど、瀧がアルバイトしているレストランの名前が「言の葉の庭」という解釈ができたり、その作品に登場していたヒロインが三葉の学校で万葉集を教えていたりするので、予算が付けば「宮水神社縁起」を紐解く別の壮大なエピソードを作れるのでしょう。
    そのとき大甕神社を関わらせてくれなかったら泣いちゃうけどね。

  • 男女の身体入れ替わりとか、聖地感出すとかやり尽くしてる手じゃんと観に行かなかったのですが、今年の春にまだ上映してるって気づいて、こりゃソフトで見られるのは当分先だなと観に行った訳です。

    しかし、最後のシーンがなければ個人的には駄作になる所でしたよ。
    あれがあったから観て良かったとなった訳です。
    人の出会いは奇跡の重なりあいから生まれるものだ、でもつかみに行かなきゃ奇跡は生まれない、いい作品だったと思います。

  • 僕は瀧と三葉は最後に出会えなくてもよかったと思っていて、彼らの子供たちがその役目を引き継いで巡り会う展開の方が、新海作品ぽいなと考えてます。
    そしたら世界観の設定ではそれじゃだめらしくて、あの二人が出会って宮水のDNAを残さないといけないらしいですね。