1960年5月22日に東の彼方で発生したチリ地震の津波は、太平洋を隔てた日本には24日に到達し、三陸沿岸など各地に被害をもたらしました。宮城県南三陸町もその被災地のひとつで、この災害をきっかけにしてチリ共和国と親交を深めており、91年に同国からイースター島のモアイ像のレプリカが寄贈されました。
このモアイは東日本大震災の津波で流されましたが頭部は発見され、現地の高等学校に安置されています。
今世紀の津波の後、2013年に再び、イースター島から二代目のモアイが寄贈されました。それが志津川地区の復興拠点「さんさん商店街」に佇む像で、イースター島の石から削り出されている、ある意味本物。復興祈願の思いが込められ、命(マナ)が宿るよう「眼」が開かれています。
モアイという言葉にはモ(未来)、アイ(生きる)という意味があるのだそうです。
さすがにチリ地震は歴史的出来事に遠ざかり、最近の宮城っ子には、なぜ南三陸町にモアイ像があるのかを知らない世代が現れているのですが、それは大人たちにも言えることのようで、「どうしてチリ地震なのにイースター島から贈られたの?」という声が聞こえてきました。半世紀過ぎれば風化というのはそういうものです。
町は復興の道を歩んでおり、新しい文化や交流を築こうとしています。昔を振り返りながらも、未来に向かった方が、そりゃあ絶対に良いことだと感じます。