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  ~懲りない傾向~

三十年を締めくくり

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RVブーム真っ盛りの頃には、スキー場へ行くとエスクードだらけ!なんてこともありましたよね?

うーん(笑) たぶんそれは無いです。

 

何か所かミスタイプと認識の間違いはありますけど、よくぞまあこれだけ褒めてくれたなあとMotorzの記事をここで取り上げさせていただきます。当時、スズキの戦略のひとつである隙間、ニッチを狙うそれは、鈴木修会長が自ら口にし、「ダボハゼ商法」とも呼ばれていました。その最たる成果がジムニーを誕生させたことに揚げられるように、スズキはそれまで無かった市場を開拓することに長けていたのです。

世界戦略という時流にもスズキは乗っており、幹部デザイナーや技術者はGMとの共同開発に出払っていました。そのことが逆に若手社員が自由闊達に提案し、新しい発想で挑める環境となりました。何度も引用していますが、そのくだりは我々が5月に公開したエスクード誕生30周年企画で、初代をデザインした片岡祐司さんに執筆していただいた「エスクード誕生物語」にまとめています。

この手記、スーパースージー誌上で別の人が片岡さんの紹介編として掲載していますが、あれを書いた人は我々のWebの存在など知らないでしょう。片岡さんから元の原稿をもらったとしか考えられませんが、それで向こうには原稿料が出るんだからひどい話です。ま、それはともかく、どこにも無かったものを創り出す環境に恵まれた当時、それでも、初代のコンセプトには、「スズキはレンジローバーを目指すべき」と主張した小栗克彦さんの言葉が下地となっています。

小栗さんは片岡さんの先輩にあたり、SJ30・二代目ジムニーをデザインされた人。四代目ジムニーの下地にも二代目のスタイルが踏襲されているほど、スズキの四駆の芯になる言葉だったのだと思われます。初代エスクードはサスペンションにその痕跡が残されていますが、小栗さんの言葉は単にパーツ構成を示したのではなく、レンジローバーが持つ魅力、質実剛健でありながら都会的なセンスをも醸し、ここぞというときにはその威力を発揮することを倣おうとしたのでしょう。

かくして初代は88年にデビューし、一旦売れて鎮静化します。本領が発揮されるのはノマドが登場してから。この頃他社から様々なRVが追随してくるのです。一方エスクードはパワー競争に引きずられながら、一方ではヒルクライムやラリーレイドで頭角を現しますが、それを応援したのは既にエスクードを所有するユーザーたちで、当時は一般市民にまでそれらのニュースが浸透したとは言い切れません。オーストラリアン・サファリなんて、マニアでなければ知らないレースです。

アピオが参戦したラリーレイドとエスクードについて、25周年のとき重鎮二人の対談のリンクも、性懲りもなく張っておきます。そして30年。代を重ねてユーザー層が拡散して車体も初代とは別のものになっていますが、ブランドとしてこの年月存続してきたことは大いに喜ばしいことです。2020年にはポストノマドとも言うべきジムニーシエラのロング化が示唆されていますし、こだわりを持って初代に乗り続けてきた人々にも変革の時がやって来るかもしれません。

ないものねだりをしたところで、初代エスクードは中古車市場からも消えつつあります。残っている現役個体が、ヴィンテージと呼んでもらえる日が来るかどうか定かではありませんが、新しかったけど古臭い、それこそが楽しいという時代の四駆のはしくれは、まだ幾ばくかのユーザーが元気に走らせているのです。そして初代に限らず沖縄から北海道、世界の各地で歴代のエスクードを愛でる人々へ。この四駆はただのSUVじゃありません。30年、そういう歳月の積もった1台です。

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