大阪万博を書いたら、地元の国際博覧会だって書いておきたいとか余計な欲が出ました。が、大阪から15年の歳月が過ぎても自動車は空など飛ばないし、おかげで会場周辺の交通渋滞は甚だしいし、科学の進歩の方はどうかというと何処のパビリオンへ行っても映像主体の、しかもバーチャルと呼ぶにはまだまだな展示でした。今思えば、90年代に敷設されていく情報通信インフラの姿を見せてくれていたのだと思います。
だけど、アポロが持ち帰った月の石の時代に比べると、技術が身近になっているのに感動は薄れた感がありました。
現実の世界では、科学博の会場はそれが終了するとともに再整備されて、工業団地になってしまったというのも別の意味で時代のリアルでした。大阪と言えば太陽の塔ですが、筑波なんてステンレスのトリックアートなモニュメント。でもまだまだ二十世紀の残り時間をあれこれ想像できるおおらかな世の中だったかもしれません。
科学博が開幕した1985年の3月17日、この頃だと写真がほとんど残っていないけれど、地元で開催されるという親近感と距離感から、意味もなく通ったものです。
昭和60年のつくば科学万博はぼくも行きました。
当時まだ5才だったので微かな記憶しかないですが、リニアモーターカーに乗りたかったが時間の都合で叶わず悔しい思いをした記憶があります。
あれからもう30年以上経過しましたが、現代の科学は当時よりどれ程進んだでしょうね。
当時はまだ科学によって人類は幸福になれる、と信じられていた時代かな。この先また新しい技術も出てくるでしょうが、それが人類にとってプラスになるか否かですね。
昨年ぼくのブログでも話題にしたが、連節バスという後部に車両を増結したバスが駅から会場まで運行していましたね。(スーパーシャトルと言っていたが)
ぼくがあのタイプに乗ったのは、あの時が最初で最後でした。現代では日本で、どれ程運行しているでしょうかね。(昨年、新潟市で目撃しました。)
何と言っても移動体通信端末が最も目覚ましい技術じゃないでしょうか。
つくばの当時はショルダーフォンのレベルだったと思いますが、今やiPhoneとapplewatchの組み合わせで恐ろしくコンパクトになりました。
だけどそういう技術の発達が、今度はヒトの種の後退を促していきそうと感じたのが、大阪と筑波の大きな違いでした。
連節バスは全国各地で結構使われています。