少しずつ、いろいろなことが変わり続けてきました。
でも、終わりではない。
不謹慎を承知で言えば、その場に居たか居なかったかの違いは大きく、いなくならずに済めたことはもっと大きい。
南相馬を通ると「終わっていない」風景に心が痛みます。あのオートバイは、まだ、あそこに佇んでいるのでしょうか。
今回、夜間の道移動で常磐道は通行止め区間があり、東北道から陸前高田に向かったため浪江には立ち寄れなかったのですが、昨年の5月にはあの場所で草に埋もれていました。 10年前の今日、ちょうど今頃、国の出先事務所で「余計な社交辞令」を言ったがために説明を受けることとなって90分捕まったのです。 これがなかったら、僕は15時には仙台空港の近くまで出ていたはずです。予定がずれ込んで今に至ります。
10年・・・ですね。 時間の感じ方は人それぞれだと思いますが、私の場合、あっという間でした。 地震直後から報道で目に焼き付いていましたが、約20日後実際に現地に足を踏み入れた時はあまりにも凄まじい光景に衝撃を受けたことを覚えてます。
そのインパクトが強いせいか、まるで昨日の事のように思えます。
僕の東北赴任は、まあ長かったですよ。 あんな状況下で、しかもまだ修羅場の石巻で、Kさんとお目にかかれたなんていうのは、ほんとに気の休まる瞬間でした。
南相馬を通ると「終わっていない」風景に心が痛みます。あのオートバイは、まだ、あそこに佇んでいるのでしょうか。
今回、夜間の道移動で常磐道は通行止め区間があり、東北道から陸前高田に向かったため浪江には立ち寄れなかったのですが、昨年の5月にはあの場所で草に埋もれていました。
10年前の今日、ちょうど今頃、国の出先事務所で「余計な社交辞令」を言ったがために説明を受けることとなって90分捕まったのです。
これがなかったら、僕は15時には仙台空港の近くまで出ていたはずです。予定がずれ込んで今に至ります。
10年・・・ですね。
時間の感じ方は人それぞれだと思いますが、私の場合、あっという間でした。
地震直後から報道で目に焼き付いていましたが、約20日後実際に現地に足を踏み入れた時はあまりにも凄まじい光景に衝撃を受けたことを覚えてます。
そのインパクトが強いせいか、まるで昨日の事のように思えます。
僕の東北赴任は、まあ長かったですよ。
あんな状況下で、しかもまだ修羅場の石巻で、Kさんとお目にかかれたなんていうのは、ほんとに気の休まる瞬間でした。