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  ~懲りない傾向~

遠く離れて地球にひとり

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新ウルトラマンが地球に帰ってきた日から、50年が経ってしまいました。

初代ウルトラマンの時には僅差で「マグマ大使」にカラー放送初の巨大ヒーローを持って行かれましたが、新ウルトラマン(しつこいようだけどシン、ではないし、ましてやジャックなどと呼びたくない)は、約三年弱のお待たせで「帰ってきた」、正当なウルトラの星からの後継者なのです。でも第二次怪獣ブームの先鋒は「宇宙猿人ゴリ」に持って行かれました。

科学特捜隊ムラマツ班のサブリーダーというエリートではなく、地球防衛軍の防衛網をすり抜け隊員となってしまう元々宇宙からの戦士と異なり、新ウルトラマンが出会った地球人は平凡な自動車整備士。その青年のウルトラ戦士としての成長譚が軸になり、時には怪獣に敗退するし侵略者の罠にも陥る。夕日が似合うと言われながらも「なんだか弱い」と揶揄され、所属する怪獣攻撃隊も何かというと解散させるぞの恫喝を受けた部分がクローズアップされましたが、批評によると第一クールの大人っぽいシリーズ構成が「子供受けしなかった」ということらしい。

当時の記憶を絞り出して考えると、そうだったかなあ? と反論したい気分になります。むしろハヤタやダンは、怪獣や侵略者がやってくるステージに立たされた存在で、郷秀樹は逆にそういった舞台を与えられた中でどう立ち位置を示していくかを見せてくれていた。「人間ウルトラマン」であることが、ヒーローとしての存在感を際立たせたと思うのです。まあそれらは今の僕の言葉が紡ぐもので、子供時代の僕にとっては、ヘルメットも隊服もМATのマークも、全てがスタイリッシュでかっこよかった。

ビルの内部構造としては一部あり得ない科学特捜隊、大掛かりで見惚れたけれど「サンダーバード」を意識したことは間違いないウルトラ警備隊。もちろんそれぞれ、突込みよりもかっこよいシークエンスは大好きですが、МATの場合も地味になりながらもなかなか凝ったカットを差し込んでいるし、少数精鋭部隊を描くうえで、ウルトラホークのような超兵器からは一歩引いた、割とありそうな装備を空でも海でも表現しました。マットジャイロなんて、ティルトローター機は時代を先取りしていたのです。

国際平和機構の地球防衛庁という組織形態は、自衛隊を凌駕するかもしれない武装を日本国憲法第九条下においても運用できたことで、防衛庁(当時)を脅かす存在として疎まれた部分も多かったとみられます。その軋轢を、自らの上層部からあてつけられる姿は子供心にも納得できなかったけれど、それこそ進退を賭けて超兵器使用を阻止する「現場の意志」というのは、新ウルトラマンと同等に信頼を深める存在でした。

スポンサーの意向で「帰ってきたウルトラマン」でありながら、初代とは別人の新ウルトラマンとなった事情はあるにせよ、レトロフューチャーな前作と異なり、70年代に70年代を舞台にしたドラマを残したことが、今見ると古さを感じさせません。初代やセブンの頃よりはドラマが理解できる少年に成長した分だけ、僕にとっては臨場感を伴う番組でした。あれ? 50周年とか言いながら、ウルトラマンのことほとんど書いてないじゃないか。

 

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