松本零士さんの訃報はNHKが流したニュース速報で知りましたが、そうか速報扱いされるほどに昭和の漫画家として大きな存在になっていたのかと思わされました。
僕は最初に出会ったのが「光速エスパー」。さらに「男おいどん」を読んでいたのが小学生の頃で、松本さんの作風(エスパー)にはどこか手塚タッチを残しながらも他者の画には全くない斬新さがありました。あの近未来のメーター類と、四畳半の縞パンツとサルマタケが同一人物の画ですもん。
中学生の頃連れていかれた香港の街なかで、スカラベの甲羅が開いて文字盤が出てくる懐中時計を見つけたとき、それが後に銀河鉄道999などに描かれるペンダントロケットと同じモチーフ(腹に髑髏は刻まれていませんでしたが)だとは知らずに購入して、2つのアイテムが結び付いたときには僕の時計の甲羅の方が壊れてしまっていて気落ちしたものです。
高校時代には友人とミステリートレイン999に乗ろうぜと画策したものの、受験対策サマースクールで上野駅どころか長野の山奥に隔離され、ラジオ番組で行方を追いかけることしかできませんでした。受験を何とか乗り越え、大学に通うとき、今じゃそんな学生居ないだろうけどわざわざ四畳半でトイレなんか共用という下宿を探して「これが『男おいどん』『ワダチ』の世界」と悦に入りながら、「確かに女の子は呼べねえ」と苦笑するのでした。
サルマタケは発生しませんでしたが。
同年同日生まれの石ノ森章太郎さんとともに、四畳半(石ノ森さんの部屋は三畳だっけ?)どころか無限大の空想科学世界をもたらしたという意味で、はたまた広げた風呂敷を二人とも畳むのが下手という愛嬌も含めて、いつか来る日が数日前だったのかと残念でなりません。ご冥福をお祈りします。
松本零士氏は福岡県久留米市のお生まれで
その後北九州市小倉に住まわれており
北九州空港にはメーテル像。新幹線が停まる小倉駅には999の車掌や
哲郎の銅像が建立されています
又、現在の久留米市、大刀洗町、筑前町に跨る大正時代東洋一と謳われた
太刀洗飛行場には松本氏の父親がパイロットとして駐留。第二次世界大戦中
何度も戦地へ出撃したというご縁から、大刀洗町にある平和祈念館には
氏の計らいで如何に戦争が酷いものなのかを訴えるモニュメントや
パネルや文章が展示されていた時期があり、恥ずかしながら
飛行場があったことはしておりましたが、50を過ぎるまで
行くこともなく、氏のイベントがあり初めて足を運び涙しました。
学生の頃映画館で観た宇宙戦艦ヤマト、銀河鉄道999
今でも鮮明に覚えています
福岡が生んだ世界の松本零士氏 心よりご冥福をお祈りいたします
銀河鉄道999は、映画のタイトルがとても美しい描写で、原作連載途中の脚本ながら起承転結もはっきりしていて、しかもこういうのが観たかったというキャラクターの展開もあって、乱発されていった宇宙戦艦物よりも好きな作品です。
漫画の線描写はごつい描き方をする人でしたが、そのくせ得も言われぬ繊細さも兼ね備えていて、ギャップがまた楽しかったですね。
1938年1月25日という日は、福岡県と宮城県に天才的作家を産み落とした出来事から考えると、宇宙規模の何かが日本列島に不思議な影響を及ぼしたのかもしれません。
松本メーターの硬質感の一方でキャラクターやメカの柔らかさ 、両方描ける人は稀有なんじゃないかなあ。
想像=創造、同音異義だけどこれだけ当てはまる例も無いですね。
風呂敷は出来れば畳んでもらった方がもやもやしないで済むんですけどね。
読者泣かせの確信犯で本人達は結構楽しんだりしてたのかも。
作品を完結させると自身の人生(宇宙)も終わってしまう恐れから、という理屈で風呂敷を畳もうとしなかったとの話もありますが、「腰を据えて描く」と言われたら「最後までけりをつける」と思いたくなるじゃないですか。
傘寿の記念に出版された愛蔵本には銀河鉄道999の新作にして遺作が収録されていますが、それを思うと「未完」と言われようとも世界観は無限大なんだろうなあと考え方をあらためてみたくなります。