時系列で言えば1935年(第2作目)から考古学者にして冒険家を続けてきたインディアナ・ジョーンズ博士は1899年の生まれで、本作「と 運命のダイヤル」でとうとう70歳にまで年を経てしまいました。それであれほど追いつ追われつ殴る蹴る殴られ蹴られるんだから、斜陽などとは言えないほどしゃきっとした爺さんです。でも、本作の1969年においてはたっぷり夕陽を背負ってしまった姿も垣間見えるのが哀しい。
第1作の「レイダース失われた聖櫃」が1981年ですから、観ているこっちだって歳くってしまいました。老いを自分と重ね合わせてしまうのも辛いけれど、あんな目に遭ったらまあ「クリスタルスカルの王国」まで俺なんか命がもたないわのスーパーマンが、ジョーンズ博士です。前作では珍しく、スズキが三代目エスクードのCМキャラクターに登用したことも思い出されます。
今回、「は?」と思ってしまったのが、「INDIANA JONES and the DIAL OF DESTINY」というタイトル。いやこれは2作目以降今まで通りの文字列を踏襲しています。が、邦題が「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」。and theをわざわざ「と」として表しているのがなんとも違和感ありありなのです。
つまりそれは、ジョーンズ博士にとって重大なエフェクトをもたらす物語ということで、これまでのように単に探求し手に入れようとした「物」とは異なる位置づけなのだろうと解釈したのです。が、もういい加減にしろやと言いたくなるほどチェイスと格闘シーンの長いこと長いこと。比重のとりかた違うんじゃないかと。あるいは「倍速で観られることを想定してのバランス」?
もうひとつ、設定のインフレだなあと感じるのは、前作で次元を超えた異種生命体なんかが出てしまったことから、それを超えようとするとインフレも強まるジレンマに陥り、それならそれで博士が弱気に陥った状態で運命と向き合う部分にもう少し尺を割いてもいいじゃないかとは思いました。
昔、5作目は日本が舞台になるらしいというニュースが流れたこともありましたが、話自体が流れてしまったようで、このへんのことを逡巡すると、やはりジョージ・ルーカスがウォルト・ディズニー社に版権諸々を売却し、スティーブン・スピルバーグも今作ではプロデュースに引いているという、別なところが作ると雰囲気も変わってしまうのだと痛感しました。
面白かったけれど、楽しくはなかった。