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  ~懲りない傾向~

1954 いろいろあったんだわ

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1954年のこの話は11月にも別視点で書くと思いますがつまり、「ゴジラ」の第1作が作られた年で、もう70年も前のこととなってしまいました。当然僕などは影も形もない時代で、84年にシリーズ原点回帰となってリメークされ、有楽町にサイボットゴジラが飾られたところまで、いわゆる怖いゴジラは体験していませんでした。71年の「ゴジラ対へドラ」は別格で怖いんですが、怖かったのはゴジラではなくへドラとへドラを産み出した公害の方でした。

2024年。その年から70年経っても、蓮田さんの前方にある鉄橋を一般人は渡ることのできないアメリカが横たわっています。なぜわざわざ横浜かというと、ドラマや映画でよく見ることのあった「バー・スターダスト」「バー・ポールスター」もまた、1954年の営業開始でした。最初のゴジラが東京湾から上陸したとき、横浜は被害から免れたのでしょう。「三大怪獣 地球最大の決戦」や後のvsシリーズで何度か横浜が襲われましたが、この店は健在です。

青函トンネルが着工したり、マリリン・モンローが夫婦で来日したり、第五福竜丸が水爆実験の被害に遭ったり、鈴木式織機が鈴木自動車工業に社名変更したり、自衛隊が発足したり、遭難した洞爺丸に乗るはずだった長谷川一夫の一座が合流に遅れた笠置シヅ子を待って「乗らなかった」り、神奈川県相模原市など全国で沢山の市制施行が行われた1954年。うっかり忘れるところでしたが日本ジムニークラブ会長の二階堂裕さんもことし古希だそうです。

1954年といえば、那珂湊(現ひたちなか市)のわたなべ製麺所も創業の年でした。創業者が浅草で食したソース焼きそばの作り方を持ち帰り、今で云う「那珂湊焼きそば」を産み出すこととなりました。そのことと因果関係は皆無だと思いますが、フジパン下妻工場が那珂湊焼きそばとスナックサンドのコラポレーションをやっちまいましたよ。麺をちぎらないよう煩雑にほぐさず、蒸し焼きにするのが那珂湊焼きそばの作り方ですが、それはスナックサンドの製法では無理のよう。

というよりも、なぜ、&マヨネーズとしたのか。那珂湊焼きそばはソース味が基本で、醤油味も選択できる趣向の料理だけれど、近年はマヨネーズも使うのだろうか。香りにはソース焼きそばらしい風味が漂うのものの、食ってみるとマヨネーズ味の圧勝です。これはまあ好みの分かれるところですが、やっぱり焼きそばだけ食いに行くか通販で購入して作るかしないといけませんかね。

2 Responses

今でこそ活性酸素が良くないなんて吹聴されていますけど、なるほどオキシジェンデストロイヤーって随分時代を先取りしていたんですね。
下妻工場謹製だと地域限定版ですかね、ちょっと残念(誰だ買いに行けとか言うのはっ)
まあ黒石や横手まで行け(来い)じゃなしひたちなか辺りならなんとかなるかな(言ったなおい)

  • もらっているメールへの返信は後でします。
    そうたねえ、パンを買うよりは本場で焼きそばそのものを食った方が絶対に良いです。
    海開き前の平日が狙いです(無理だって)