先週末、甲斐の国へ出かけた新月サンが買って来たお土産。
お菓子って言ってたのに・・・桃?って思いながら開けたら、桃そっくりのお菓子が出てきました。
商品開発した人、えらい!
最初の出来事がいかに大きなインパクトを生み出しているかで、二度目の功績はときとして霞んでしまうことがあります。先代、すとらいくらすかる(当時)が地球から月までの距離を走ったときと、あーまーどBLUEらすかる(実は正式には2009年からこの呼称)がこれと同じことをやり遂げたときとでは、達成感も認知度も段違いです。その途上、kawaさんのV6ノマドが月到達を果たしていますからなおさら(そりゃkawaさんに失礼だろうっ)。しかもkawaさんは見事にアポロ15の月着陸40周年の日に寄せてきたのだから、それ自体にインパクトがあります。
そこから5年後、すとらいくBLUEらすかる(まったく知られていませんが今の正式呼称はこれ)が50万キロを達成したのが、アポロ11号の月着陸45年めの日です。
が、50万キロですよ?にもかかわらず、二番煎じなのでやっぱり霞むのです。
しかしですよ、2度目の有人月着陸、つまりアポロ12のエピソードを紐解くと、月面ミッションこそ11ほどに脚光を浴びていませんが、12は打ち上げのさ中、2度もサターンVロケットに落雷の直撃を受け、燃料電池や司令船と機械船機器の大半がブラックアウトした状態で飛び立つという大きな危機を乗り越えているのです。優等生と言われた11に対して、ジョークとトリートなやりとりも多く、From the Earth to the Moonというアポロ計画全般を描いたテレビドラマにおいても、11と12のエピソードには描き方の違いがあります。
ここらでお分かりかと思われますが、うちのエスクードの話ではなく、現実に2番目の月着陸を果たしたアポロ12の日が、45年前の本日なのです。11からわずか4か月後という矢継ぎ早のミッションでもあり、さらに5か月後にはあのアポロ13の大事故からの帰還という歴史的事件が巡ってくるため、どうしても12の功績は忘れられがちなのですが、やっぱりすごい仕事をしたのさと言ってあげたい。
ここが定位置だったねぃ。
スポーツタオルってでかいの小さいの?
と、コムロさんに問い合せしたら、原寸大の見本を印刷してきてくれました。40×107cmとのことですが、幅が倍になったらもうバスタオルの域か。
固定ページに制作記を追加しました。
2、3の修正をお願いしたので、近々成案を公開できると思います。が、悩みどころはこの色合いをどうするか、です。見本の色は高速印刷のため指定色よりも薄くなっているそうです。制作サイドとしては青系ではなくカーマインあたりを考えているのですが、
「ぜひ赤(たぶんバーミリオン系)で」と和邇さん
「この出力見本の色のままでいいじゃない」と家内
「いざとなったら赤系と青系でいきますか」とコムロさん
「おれ・・・黒って言いにくくなったなあ」と雷蔵
今のところ、制作サイド権限でカーマインが候補です。オーダー数もまだ30本でしかないので、2色はあり得ません(泣)。単価を1500円くらいまで下げていくことの方が現時点では大事かと考えているので、まあなんとか100本は作りたいところです。
年内にオーダーは締め切りますので、ご連絡はお早めにどうぞ。色に関するご意見もお待ちしております。
年末恒例(ちょっと前倒し)
1949年、故コーリン・チャップマン氏が作り上げた2台めのレーシングカーが「Lotus」と名付けられたのは氏の趣向からと思われますが、蓮の実に「俗世の苦難から解放し甘美な夢を見させる」という神話があることを、氏はご存じだったからでしょう。蓮という東洋のテイストを持った自動車が、イギリスのビルダーからメーカーとして育っていく様は、まさしく氏の甘美な夢であったのです。
それとはまったく無縁と思うのですが、日本語キーボードのいたずらか、「は」「す」というキーのアルファベットにFとRが割り当てられているのは、さすがに偶然だよね。
さらに絶対に無縁ではありますが、11月17日は、土浦市から発祥した「蓮根の日」なのだそうです。今月いっぱい、市内の飲食店ではフェアが開かれていて、趣向を凝らしたレンコン料理が食べられます。
首都消失しちゃった日
朝イチの会議に出るために東京目指して仙台宮城インターに乗った途端、「磐越道いわき三和からいわきジャンクションまで工事通行止め」だというので、まあいいや、東北道でそのまま都内入りするか。でもそれだとポイントの使えるガソリンスタンドが安積PAで早すぎるんだよなあ。下手すると深夜はやっていないかもしれないなあ。などと南下していくと、今度は「佐野藤岡から岩槻までキリ通行止め」ってなんだそれっ?な電光表示。
いやいや佐野藤岡なら手前のジャンクションで北関東道にトラバースすればいいのだ・・・が、それだと40キロ弱遠回りで、霧でペースが落ちると首都高の渋滞が始まる前に堀切ジャンクションを通過できなくなる。
という判断で、結局いわき三和まで走って高速をいったん降りて、いわき中央から常磐道に乗りなおして南下を続けたら、日立南太田からどんどん霧が巻いてきて視界不良に。うわわ、常磐道まで止められたら都内に入れないぞ。どこかで常磐線かつくばエクスプレスに乗っちゃった方が良いか?
しかしそうなると会議が終わった後に東京脱出が面倒臭くなるぞ(最初から新幹線に乗ればよかったのだよ。と言われそう←そうもいかない週末の予定があったのだ)。なにより会議が始まるまでの2時間、車がなかったら待機場所もないぞ。
などなど逡巡し、利根川を渡るまで濃霧の中を走り続けたのでした。
で、踊りまくる会議は書いてもつまらないので割愛し、閉店間際のフジ・オートにてぷらすBLUEへのRECS点滴。桶川界隈も朝のうちはものすごいホワイトアウトの放射霧だったそうな。
お店には4型か5型のTA01Wが入荷しており、これがまた2万キロ走っていない5MT車だとかで、引き合いが高まりそうです。ピットには別のお客さんのグランドエスクードとV6ノマドが納車待機中。うちの幌車と合わせてこれだけのエスクードが滞在するのも久しぶりの風景でした。
うーむ、首都消失な話でもなんでもなくなってる。
今日から二日間、土浦市では11回めを数える御当地興しのカレーフェスティバルが開催されるのですが、これはもうリンクを貼っとけば説明も不要の行事として定着しています。それじゃあカレーの町興しで土浦が80年代以前の活気を取り戻せたかというと、それはどうだかな? と感じるのは個人的見解。何年か前に土浦京成ホテルが閉店となり、そこのココナッツミルクカレーが食えなくなった時点で、僕の中では完結した感があります。
それでもかなり混雑するカレーフェス会場。にぎわうのは事実。もはや近づくのが億劫で(だめじゃん)通わなくなっているのが本音です。
そしたらことしのイベントの一部に・・・一部に、たぶんこれは実際にはかかわっていないような気がするのですが、「東日本復興水上空港ネットワーク構想研究会」という任意組織の水上飛行機デモフライトという趣向が企画されているのを知りました。日大工学部名誉教授の井澤岬さんが立ち上げ、現在は助手であった轟朝幸教授が引き継いでいる、水上飛行機の輸送能力によるイノベーションを模索するプロジェクトの一環です。
平たく言えば、本土と離島を連絡している観光や物資輸送、医療にかかわるコミューターネットワークの応用で、その拠点を霞ヶ浦に置き、首都圏各地、三陸沿岸、小笠原などとの水上航空網を整備しようぜ。という構想。なんでまた霞ヶ浦で、水上飛行機なのかと言えば、こういうことです。
航空法上、飛行機の離着陸ができる「陸地」は、国が指定した場所でなくてはならない。同様に「水面」は、国が禁止した場所では一切離着水できない。あれ? じゃあ禁止されていない水面はよろしいと。ならば禁止されている水面を消去法で探し出して行けば・・・と思ったら、実はそういう場所が無い。
というわけで、宍道湖や霞ヶ浦には、個人や大学の航空工学研究室、クラブレベルの小型水上機が離着水し、ささやかな(しかしコスト的にはかなり高そうな)レジャーが成立しているのです。前述の研究会は、これを素材にインフラとソフトを模索しており、昨年夏にも沿岸の首長を集めて講演などを展開しました。
しかしながらこんな話をいきなり持ちかけられても、需要と供給が見えてこない段階故に、雲をつかむような話にしか聞こえなかっただろうな。というのが、昨年夏に井澤さんに呼ばれて講演の席に居合わせた際に感じた印象でした。湖畔で機体の受け入れや水面へのアプローチを管理している人たちの努力は感服するものがありましたが、それとこの構想とはまだ接点がクロスしても同期するには至っておらず、へたにかき回せば彼らの積み上げてきた遊び場に要らぬ規制がかからないとも限りません。
これが消えちゃうかどうかは、実際に霞ヶ浦から離水し、どこか適当な水面に不特定多数を連れて行ってあげることが必要だと思っています。まあそういう予算をどこから捻出するかが一番大変なんですけど、実体験を伴わなければ感想すら聞けないし、実体験といってもそれが実用化されているバンクーバーあたりでやったところで意味は無いわけです。
ことしのデモフライトは、実は昨年、機体トラブルで実現できなかった計画の雪辱戦。デモ、の部分をどこまでやるのかは聞いていませんが、首長レベルの偉い人じゃなくて小中学生とそのお母さんあたりを乗せてあげることができれば、その方があとにつながる可能性を残すでしょう。
なんて井澤さんに電話とかしようものなら「じゃあお前が来い」とか言われそうなので、間に合わないタイミングでこっそり提言しておく卑怯者な自分でした。
1971年11月14日、同年5月に打ち上げられたアメリカのマリナー9号が火星軌道に到達しました。これが史上初の、地球外惑星への「軌道投入」となった探査機の記録です。
ここは事実は事実であるものの、軌道投入成功というところがミソで、他の地球外惑星に「初の」到達という記録で紐解くと、当時のソ連がベネラ3号という探査機を、金星に向けて5年ほど前に打ち上げています。ただしベネラ3号は通信途絶状態で探査に関する制御をしきれないまま金星表面に衝突しているので、マリナー9号にも「初」の冠を与えることができるようです。
このミッションによって、オリンポス火山、マリネリス峡谷と名付けられた火星上の地形や2つの衛星に関する情報がもたらされました。72年10月まで探査記録を送り続け、マリナー9号は運用終了されましたが、機体そのものは43年後の現在でも軌道上を周回しており、2022年くらいまでは火星の引力と拮抗していられるとか。
ESCUDO Mileageは現在、火星が地球に最接近した2003年の57000000キロという距離に対して、8年かけて34000000キロまで進んでいます。マリナー9号が火星の大気圏に突入するまでにたどり着けるかどうか。間に合うようなそうでもないような・・・
そんなノリと悲壮感だけでやっている企画であります。と、しょっちゅうアナウンスをしております。エントリーされている方々は最新の走行距離を。そんなあほな企画、初めて知ったよというエスクードユーザーさんはぜひ、ご協力願います。記録専用掲示板をページ上にリンクしてあります。
てなことを書いて放り込んでおいたらヨーロッパの小型探査機が10年かけて小惑星に着床成功したとか。500000000キロの空間制御って、はやぶさとはまた別にすごい話です。