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  ~懲りない傾向~

心に剣 かがやく勇気

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3年前に訪ねた折、店内にはジャックフォームの仮面ライダー剣となぜかウォズ(この店に現れる話は仮面ライダージオウでやってはいます)がいたのですが、先日見たら本来の下宿人であった仮面ライダーカリスが堂々といらっしゃいまた。キングフォームの剣も加わり、キッチンカフェの護りは完璧に近づいております。剣は、やっぱり白井農場が無くなってしまったからここに居候するしかないんでしょうねえ。カリスとの因縁はジオウ世界で解消しているので。

残念なことに、階下の「そば くらんぼん」は昨年閉業したそうです。小さな庵のような店内と十割の手打ちそばはなかなか味わいがあったのに。初めて出かけたのが上階をロケ地とした「仮面ライダー剣」が放送された2004年のことでしたから、閉業の理由はなんとなく察してしまえる2022年。もう少し足蹴に通えばよかったと思うも、時の流れには逆らえません。上階の「ハカランダ」ことクランボンが賑わっているのは何よりです。

謎の立花レーシング 中編

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まず前提として、仮面ライダーやサイクロンの動力源とされている超小型原子炉という記述は、曲げようがないのだけれど昔から否定と拒絶をもって接しています。昔は原子炉設定で良かったかもしれませんが、例えば普及している沸騰型原子力発電システムって、巨大なボイラーを核分裂の熱量で湯沸かしし、その蒸気でタービンを回して発電するわけです。そんなもの、改造人間の体内やバイクの車体に収められるわけがない。あれはショッカーの「はったり」なのです。

と暴言を吐くのが、ライダーやサイクロンに対するつくばーど®の解釈ですが、そこを差し引いても奪ってきた改造バイクをメンテナンスし、さらに改良を加え、そのデータをもとにより戦闘力の高いニューモデルマシンを開発してしまう立花藤兵衛さんは、只者ではありません。扱われているサイクロンシリーズの素体履歴からみても、当時のスズキ自動車や本田技研工業とも深いつながりがあるようですし、世が世ならヨシムラ、モリワキと並ぶレースコーディネーターなのかもしれません。

サイクロン以外のライダー用マシンも手がけていながら、立花レーシングクラブのエンブレムは、サイクロンのみに与えられているパーソナルデザイン。歴代の仮面ライダーがひとつの絆でつながっていても、本郷猛と一文字隼人以外のライダーには受け継がれなかったマークです。あれがどのような経緯でデザインされたのかは語られていませんが、少なくとも猛と隼人にとっての「ショッカー遭遇以前、帰るべき場所」を記しているのかと考えています。

三寒四温とはよく言ったものです

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東京のソメイヨシノが開花宣言されて2日め。地震の影響で発電所の電源がダウンしているとはいえ、電力供給が追い付かなくなるほど逼迫した警報が出てしまう低温が攻めてくるとは。

裏山の一番桜はソメイヨシノじゃありませんが、満開のさ中の雪化粧です。彼岸の明け以降に雪が降らなかった年も皆無ではないので、驚くことでもありませんが。

「これを読まずにタイヤ交換させたんですか」

「あたしらのは四駆だからいいけどねー」

「明日の朝道が凍ってたらどーすんのよ!」

我が家じゃ非難ごうごうです。

「冬物仕舞って春物に入れ替えやってた連中が何を言うのか!」

しかし寒いものは寒いってんで、先日買ってきた喜多方ラーメンを茹でての晩飯となりました。僕なんか汁を完食してはならない年頃ですが、こう寒くては抗えないのでした。

 

 

アメリカでお達者なら97歳

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1925年生まれだから、うちの両親より10歳年上の橘(雉真あるいはローズウッド)安子さんは、お達者なら本日97歳の誕生日を迎えます。「カムカムエブリバディ」は4月8日の最終話まで残りわずかになりましたが、物語の方はまだ90年代なので、安子も70代を過ごしていることになります。演者の上白石萌音さんは、98年1月生まれ。ということは彼女自身はうちの霙と同学年・・・え? 実はあの番組のヒロイン3人では一番の若手だったんだ。

1925年といえば、岡山や大阪、京都が舞台の同ドラマとは全く無縁ですが、この年の秋、土浦市の神龍寺住職(当時)の手によって、霞ケ浦海軍航空隊の殉職者を弔う打ち上げ花火が始まりました。今の土浦全国花火競技大会のルーツです。歴史に疎いのでどれほどの殉職者が対象となったのかは知りませんが、霞ケ浦海軍航空隊というのは1921年に飛行場が完成し、22年の開設です。花火大会は隊創設黎明の頃から寄り添っていたようです。

らい すなわち こえを はっす

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「雷乃発声」と綴る、春分の七十二候は、同じ綴りでありながら中国と日本とでは「雷」の読み表し方が異なり、日本では音読みとしているようです。意味するところは「遠くで雷鳴が聞こえ始める」というものですが、これは「春雷」のことかと思うと、春雷自体は立春の時点ですでにシーズンインしていて、それでも立夏あたりまでの雷が含まれるという、けっこうアバウトな扱いとなっています。春分も春分の日も「およそ何日」てな具合に揺らいでますし。

それでもぼちぼち寒さも和らいできて、稜線から眺める遠くの景色も「花粉のせいで」ぼやけ気味となり、太平洋側の町は春めいてきます。彼岸過ぎて4月のことになりますが、10年前、つくばーど®で花見を開いた際、「第一回ツールド・あたご」なるヒルクライム競技をやっておりました。2月の新年会では一人でしたが、このときには何人かトライした。あの頃は自転車でここを登ろうなんて酔狂な人はいなかったね。だからこの10年、第二回も開かれていないんですけど。

月に届いた日

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10年前の3月19日。日本海側は大雪で、太平洋側もドカ雪で、日付が変わるころは東北道と秋田道が通行止めになり、翌日に秋田県の森吉山まで行かねばならなかった僕は、大慌てで(道を良く知らなかった)仙台の作戦室を出発し、山越えして国道13号で北上していました。

もうこの夜から朝にかけて、東北地方の雪道のすべてのコンディションを経験したという感じでした。

森吉山で仕事を終わらせた頃には、雪雲は東北地方を去り、明るいうちに引き上げられればアイスバーンも無いかなというくらいに天候が回復しました。現地は八郎潟にもそれほど遠くなく、あまりの寒さも手伝い、大潟村にあるポルダー潟の湯につかって暖を取った後、経度緯度公会点に立ち寄りました。

ここでこの日(2012年3月20日)、BLUEらすかるは月までの往路を走り切ったのです。

そりゃ嬉しかったですよ。夜通し怖い思いをしながら宮城から秋田まで走った褒美が転がり込んできた気分でした。人生2度目の月到達という(世の中としては何の役にも立たない)履歴も刻むことができたから。

あれから10年です。中古車で8万キロちょっと走っていた車の方は2年前一足先に月から帰還し、僕自身はあと2万キロちょっとで帰ってくる予定です。

ちなみに3月20日というと、2001年に先代らすかるが30万キロを越えた日でもあります。それをすっかり忘れており、昨日のことですが、BLUEらすかるの積算走行距離は83万キロになりました。

いかん、1日ずれちゃったよ。忘れているとこういうものです。まあずれたからって世の中には何の影響もありませんからご安心ください。

ただし毎度の記録を逃すわけにはいかないので、こういう日はどこを経由してどこまで走るかを、一応計算して出かけています。今回は120キロ程度の走行で、到着時の誤差はゴール地点100メートル手前ででした。

実際には「うわー、ちょっと危なかった」です。

Team WESTWIN Warriors#170

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明日開幕となるTDA2022第一戦に、かつてパジェロエボリューションの後藤誠司くんをエスクードコンバーチブルで打ち破り、ウエストウインとの数奇な縁をもたらした磯田貞治さんが久しぶりに参戦します。現在はジムニーを使っているはずで、アンフィニクラスへのエントリー。

「恋の浦遠いけどレース翌日が祝日だからね」

などという飄々とした笑い声が聞こえてきそうです。何が起こるのかというと、実は「磯田対後藤」のカードは過去に何度か繰り広げられましたが、「磯田対川添」は初顔合わせになるのです(一回千葉であったんですが、あれは1台ずつのタイムトライアルで、川添君はパジェロミニだったからカウント外)

「他のチームにも強豪はいますが、この対決ほど凄いレースはないんじゃないでしょうか。現在悲鳴を上げているTA52Wのフロントデフをいじって寝る間もありません。ドライブシャフトはハンガーの高田さんが目分量で切り出してくれています」

川添、梅津両名とも、デフの壊れ方が同じだそうで、パワーバンド内でのギアの変更に機械の方が追随できない負荷をかけているようです。走らせ方の問題なのですがもはやそこは負荷軽減の対策で切り抜けるしかない。あー、そう来たかという改修が見受けられます。

福岡は今週後半が天候不順。20日は曇天のようですが、コースコンディションとコースレイアウトの攻略も見逃せません。

 

震度6強と小望月

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地震が起きた時間、夜空には月齢14.4の小望月がありました。天体の運行と地震発生の因果関係を直接結び付けることに科学的合理性があるかどうかは知りません。そもそも東日本大震災の夜は月齢だったら6くらいの宵月でした(雪降ってて月なんか見えなかったし)。それでも潮汐力を産み出す月の引力は、海だけでなく陸や海底にも作用することは間違いではない。17から18日にかけての月は大潮をもたらしていましたから、あの年レベルの大事に至らなくて良かったのかも。

津波は、今回は注意報で済みました。ただ、約6m高さの津波に対応するために東北太平洋沿岸に作られた防潮堤は、その巨大構造物の質量によって沈下の見られる地域があります。逆にその手前陸側に再生されている防風林が土台ごと盛り上がっている。沿岸構造物を急速度で整備した折、地下基礎の整備を行う余裕がなく、盛り土の上に防潮堤なり港湾構造物を作り直したことの弊害だと、状況や推論や事実を交えた話を聞いてきました。

千年に一度と吹聴されている大地震が、十年程度のタームでやってきちゃう現実。津波は確かに怖い災害ですが、その前に地震なんだよねえと、常磐道が使えず国道を北上する途上で考え込みました。

ところで、この仕事が何で俺の担当になるんだよ・・・

虎穴に入ってまで虎子を得たいとは思わないのよ!

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一昨日アップロードした、仕事を早めに切り上げブースター接種を受けた日の医者帰りの話です。どうせすぐに発熱するわけでもないよと遅い昼飯を食おうと、何も考えずに行きつけの蕎麦屋に立ち寄ったらば・・・

ななな、なんでいるんだお前らっ

 

「あー、注射どうだった―?」

「今夜あたり要注意ですよねー」

「いやそれより、2人とも仕事休みの日なのか」

「さっき起き出したところで今しがたここへ来た」

「まだ席に着いたばかりですよー」

ここしばらく年度末多忙でATМに近寄っていなかったため、財布の中身は閑散としていたのですが、こうなっては逃げるわけにはいきませんのですよ。

虎児を得るどころか虎の子を供出する羽目になりました。

それにしても「さっき起き出した」って、ふざけんじゃねーぞ!

 

失礼いたします。お子様をお預かりします

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先日のフォント問題で、TA01Wさんとsuuuさんが手持ちのフォントファイルやクリンナップデータを持ち寄ってくれまして、オリジナルのフォントを今の機材に読み込ませることができました。まさしく、なんて言ってたのは誰だよ(汗)

これで計画の検討開始が可能となります。何を作るかはこれからですが、胸元と背中に使うと単価が上がるかねえ。