喪中なもので年賀状も書かず注連飾りも装わず、初詣も辞退し、年始に来る客も無く・・・はなく、それなのに出勤していく娘らはえらいなあと思いつつ、年老いた夫婦は雑煮を食って寝正月です。
・・・いいのかそんな爺くさいことで!
でも渋滞なんか厭だし人混みも願い下げだしそのくせ二日間で炬燵籠りには飽きているという困った状況。しょーがないねえ。
喪中なもので年賀状も書かず注連飾りも装わず、初詣も辞退し、年始に来る客も無く・・・はなく、それなのに出勤していく娘らはえらいなあと思いつつ、年老いた夫婦は雑煮を食って寝正月です。
でも渋滞なんか厭だし人混みも願い下げだしそのくせ二日間で炬燵籠りには飽きているという困った状況。しょーがないねえ。
一昨年の大晦日に家内の実母が無くなり、昨年3月には僕の親父が逝去しました。親父の喪はもう少し続きますが、親父だからもういいや、で、本年は年賀の戯言を書かせていただきます。
その昨年、半年にわたってTD61WのV6エンジンをオーバーホールに費やし、下半期はほとんどこれに乗ることがありませんでした。エンジンを預ける際、やれることはすべてやってほしいと依頼し、まさか半年もかかるとは思いもよらず、その後はもう「乗り掛かった舟」の心境で待つこととなりました。英語圏では「船は海に出たら進むか沈むかだぜ」と云うらしいですが、勢いで敢行したオーバーホールは部品ストックの枯渇(メーカーが保管コストを削減するため部品を放出してしまった)に阻まれ、待てど暮らせど車が戻ってこない日々が続くのでした。
この故事、『隋書・独孤皇后伝』によれば「大事すでに然り。騎獣の勢い、必ず下ることを得ず」とのお言葉で、「ここ一番のときですからねー。虎の背なんかに乗って勢いよく走り出ちゃったんだから、振り落とされたら食われて命はありませんよ。そんなわけでもう下りることはできないんで、努力して下さいねっ」とのこと。努力してねと諭されるだけで振り落とされずに済むなら世話ねーよ、です。
かくしてBLUEらすかるは、車検切れ直前に2500ccの6気筒に火が入り、無事に息を吹き返しました。なんだかどこかのヒーローが絶体絶命の淵からパワーアップして蘇るあれみたいです。オーバーホールしただけなので、パワーアップなんかしてませんけど。とはいえ、おそらく現存する同型エスクードのいずれの個体よりも、エンジンと、新調した足回りだけは優位に立っています。フレームと車体の方は、ディーラーに見捨てられたくらいに満身創痍ですが。
さてこの個体、現在820000キロ。騎虎の勢いで走り出したら、もう力尽きるまで往くしかありません。何処へかって、オドメータを一周させることですよねやっぱり。
なんだか近年まれに見る慌ただしい1年でした。つくばーど®やESCLEVの行事はそれほど開けず、BLUEらすかるも入庫半年に及んで、普通ならば引きこもりな年回りになるはずだったのです。上半期は葬式を出したり相続手続きだったり、そのまま新盆まで怒涛の夏場でした。その間、「つくばーど」の商標登録(何に必要なんだよ)認定とったりとあるNPОの行事手伝いやったり。あれ? 本業ろくに働いてないような・・・ その本業も定年再雇用です。
しかし今年の我が家の最大の出来事は、亡くなった親父には悪いけど、霙の日産フィガロ購入でした。ウエストウインの島社長がこれを落札してくれたのが6月。聞いたらユー・エス・エス東京からだったそうで、それって野田じゃん。野田からわざわざ福岡へ搬送して手を入れてもらって陸送という、なんとも手間のかかる仕事を押し付けてしまいました。島さん、お世話になりました。なんとかかんとか「30年前の車」で手元に来ております。←あとで大変な事実暴露
こうして還暦に突入した、年男のたぶん恵まれた1年は暮れていきます。とはいえBLUEらすかるがまだ820000キロという半端なところにあるし、買ったときの走行距離を差し引けば、僕自身はあと30000キロくらい走らないと地球帰還できません。来年もたいして変わり映えなく慌ただしい年が続くのでしょう。
ひとまず皆さまも良いお年を。
「予告なしに来る奴に食わせる年越しそばも雑煮も無いって、何度言ったら理解するのこの人はっ」 ←怒りながら笑う家内
とまあおあとがよろしいようで。
生き別れの姉(車)と同じ色で並べて写真撮る、という野望は絶たれたけれども、姉の方も着々とオタクの本懐を遂げられていて心強い・・・
というマミポコさんの決意は
一瞬「ついに乗り換え?」と、どきっとさせられましたが、展開すると、お嬢ことテンロクハードトップ7型を、BLUEらすかると同色だったマイアミブルーⅡから「別の青に全塗装する」という決意です。どんな青かはまだ聞いていませんけど。
秋頃から動き始まっていたお嬢リニューアル(この個体がお嬢なので、うちのが「姉」扱い)で、クルマは現在あちこちのパネルをはずされパーツ類も新調している途中。車体色の選定だけが進まず、ようやく青で行くと決まったそうです。これは面白いので、できあがり時期のスーパースージー用にレポート書いておいてと依頼しましたが・・・
あのページはモノクロだったよ。
と言う笑い話のさなか、マミポコさんがつぶやいた一言に注目してしまいました。
板金屋様が送ってきたレジントップの個体が(自分は絶対乗らん色だけど)カッコいいな
これってさー、十中八九、あれのことだよね。あれだとしたら、既にレース参戦してますが、中古車情報でまだヒットしてくるから。
北海道在住のかわねこさんが、年の瀬に帰省しながらつくばーど基地を訪ねてくれるようになって、9年になります。焚火で忘年会という趣向は途中から組み込んだ趣向で、昨年はコロナ禍自粛を迫られましたが、エスクードのブランドが途切れたことに比べれば、我々の行事が一回休むことなんかどうってことありません。というわけで今夕、2年ぶりに火を起こします。けれども今回って仕事納めの日なんだよ。納が30日の人もいるよなあ(うちの娘ら、年末年始仕事だって)
でもって既に基地攻撃は行われておりまして、新帝国WANIの津久井浜砲台から、総量10キロの柑橘弾が・・・なんだこのブラックボックスの見え見えに危険な香りは?
危険手当180円のつくばーど®爆発物処理班に指示を出します。出されるのはなんてことない、僕自身ですが。
ことしは豚汁と焼き芋、鮎の塩焼、焼き林檎、焼餅、ハム焼き、羽田空港で行列のできるチーズケーキ和菓子、洋菓子などが並びました。つくばーど®の取柄なんて、美味いものが出ることくらいしかないのですが、例によって全部食いきれるのか? という野営です。みかんも完売しました。あとは近況の報告や車談義。日没から丑三つ時まで、久しぶりの顔ぶれによる忘年会となりました。
「先月から怒涛の車検ラッシュ💦 現在車検お待ちのお客様…今しばらくお時間下さい💦しっかり整備させて頂きます」
ようやく、ウエストウインは通常の業務に戻り、師走の多忙期を迎えているようです。まあたった1台にずいぶんと時間を取られてしまったようですから、今年の島社長はレース活動といい本業といい、たいへんな年回りでした。
「フィガロは面白いクルマでしたよ。1000ccのターボエンジンをいじるのも、トランスミッションの伝達問題を解決するのも、いまどきの車じゃ失われている技術を垣間見ました。先日、本年最後の陸送便に載せたので、月曜日あたりにはお客様のところへ届くでしょう」
島社長が聞いてきたお話によると、フィガロもまた高騰していて品質の良いモノを落札するとどえらい価格になっていて、それを納得できる状態にまで手を入れたら超どえらい引き渡し価格になってしまうとか。
エスクードの中古車価格の跳ね上がりなんか、問題にもならない額面を聞かされ、パイクカーの価値を見せつけられて本演奏会は幕引きとなるのでした。
先週金曜日、あちこちの高速道路が事故渋滞で国道を使って江戸川沿いに異動している最中、ラジオからはディーン・フジオカ氏のトークが流れていました。
「僕はラジオ番組をやっているときってアルバムが出せないというジンクスがあるんですけど、この番組をやらせてもらってからそれが解けて・・・」
そのときは、「ふーん?」くらいにしか聴いていなかったのですが
土曜日早朝、私用で石岡市山間部からつくば市へ向かう途中、同じ局で山下達郎さんがやっているラジオ番組の記念イベントCМのなかで、達郎さんの声で
「私、ラジオ番組に出ているときにアルバムが出ないというジンクスがありまして、この番組に出てからそれが破れて・・・」
※双方のトークの内容は全く正確というわけではありませんが、だいたいそうしゃべっていました。
どちらかが嘘つき。いやきっと、どちらも嘘つき。こんな間抜けた原稿を渡すディレクターも、これでギャランティ発生している放送作家も、首にしやがれと思いますよ。
先日、コムロさんが昔のエスクードの広告についてつぶやいていたのを切り取ってきています。ちょうど彼らと知り合った頃のお話ですが(彼らというのはコムロ夫妻のこと)、「このビジュアルを再現しよう」と持ちかけ、当時は隣町だった場所に開店した、いわゆるショッピングモールの黎明期な店舗の夜景を背景に撮影を計画したことがあります。残念ながら奥方の仕事が超多忙で、コムロさんの仕事も多忙で(奥方に叱られるから格差付けてます)、これは実現しませんでした。
今やそのショッピングモールが閉店して更地になってしまい、別のキーテナントで再開するのにあと2年ほどかかるらしく、うん10年越しの懸案はお蔵入りです。ただ彼らってそれだけ歳月過ぎていても、こういう構図と夜景背景だと、まだまだ若夫婦に写せるんだけどね(ああっ、叱られるっ)
初代の頃のカタログ写真は、合成ではなく実景で撮ったものが多く、それを模倣したりそれ以上の写真を撮りたくてあちこち走り回っていました。しかも機材が銀塩写真のカメラ。失敗しているかどうか、その場ではわからないリスクを背負ってました。