Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

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ぷらすBLUEの積算走行距離が26万キロを超えました。1日100キロの通勤って、伊達じゃないないのね。

というわけで皮算用をしてみたところ、霙に転勤が無く、このままのコンディションとペースを維持していければ、約3年半(タイトルの数字)でぷらすBLUEは月へ到達することになります。

これはほんとに皮算用でしかないのですが、この勢いはちょっと考えていませんでした。ただ、コンディションの維持はそう簡単なことではなく、さっそく最近、排気系の遮熱板が割れたらしく、排気圧が上がるとあの初代持病のじゃらじゃらノイズが出てきました。主治医のところへ持って行ったら、この部品がもう出ないと。先代らすかるの頃はバンバン交換しましたが、やむなく耐熱テープでバンテージ状態です。

S LIMITED

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久しぶりの特別仕様車です。

コーディネートにカッパーブラウンなる配色を組み入れ、渋めのアクセントを加えたものですが、悩ましいと言えば悩ましい。それらのパーツ類はアクセサリーカタログには無い配色故、特別仕様ですが、それだけなのー? と、つい思ってしまいました。

当然ながらカタログモデルよりもいくらか高めとなりますがまあそれはいいとして、メカニカルなエポックメイキングがひとつくらいあってもよかったのではないか。といってもたいていのものがデフォルトでついてしまってるので、思いつくのはサンルーフくらいのものですが、重量増えちゃうしなあ。地味目だけどこのシート表皮は好みではあります。ただうちのJB23にもこのタイプのシートが使われてましたが、経年すると悲惨ではあります。

 

事実上の絶滅種の参

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ニッコーが出していた「オフロードランナー」は、他の電動ラジコンがコンバーチブルをベースとしたピックアップトラックタイプであったのに対して、珍しいことに単なるハードトップではなくレジントップのラインを見られる商品でした。壱、弐で紹介したラジコンと異なり、グリルガードは(かっこわるいので撤去してしまっていますが)いわゆる丸パイプを曲げ加工した一般的なものが設計上の基となっています。他の商品はオートエキスポのガードが参考になっていました。

オフロードランナーも絶版になりましたが、2006年になって三代目エスクード右肩上がりの頃、突然、R.C.D社の「Tourist」という商標で復刻してきました。前作と異なる点はヘッドライトがシールになったことと、屋根にルーフポッド(使えませんが)を2連装で載せていること。オフロードランナーでは使用周波数帯が2種類ありましたが、こちらは40MHzのみで、復刻はしたものの需要が縮小していることも感じさせました。

電動ラジコン以外の有線リモコンやモーター式で勝手に走らせるものなど、無いないといわれながらもエスクードの玩具はそこそこ出ていたのですが、中にはホンダのHマークを堂々とボンネットに貼っているとほほなものもありました。玩具の性格上、どれもこれもビッグフット仕様であったことが、そのスケールによっては似合わなかったし、「エスクード」という銘柄は一つも無く、同じシャーシを使ったジムニーは「ジムニー」として売られていたのが哀しい話です。

しかしリアルスタイルの製品が無かったわけではなく、系統は異なりますが2005年の東京モーターショーにタイアップして企画されたコーヒー飲料メーカーのインターネット上ガシャポンくじで、ラインナップにデビュー直後の三代目がラインナップされました。三代目はなかなか手厚く販売戦略のあの手この手を仕掛けていたのです。まあ対象の缶コーヒーをいくら買ってもどれほどくじを引いても当たらない、ユーザー泣かせの景品でした。

事実上の絶滅種の弐

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今のところ、おそらくエスクードの形をした玩具では最大クラスのこれも電動ラジコン。アサヒ製「バーニングスピン」は、四駆は四駆ですが、右左折は「それぞれ片方の側のタイヤが駆動する」という、戦車のような駆動システム。そのために、実車では絶対に不可能な「その場スピンターン」ができる。また、前後バンパー部に補助輪があり、これを駆使するとウイリー&ジャックナイフ走法も可能という凄まじい機動性を持っていますが、ハイパワーすぎて転倒率ナンバーワンでした。

電源はニッカドバッテリーによる充電方式。しょーもないステッカー貼りまくっていますが、オリジナルはもっと品のないファイヤーペイント風だったのです。ケレン味溢れた、しかし全く役に立たないオーバーフェンダーを除けば、この車体もそこそこのデザイン再現をしており、なにより8分の一くらいのビッグサイズは押し出しの強さがありました。青車体は2003年に再復刻された「レイジングモンスター」で、「バーニングスピン」はレイジングの復刻版とややこしい。

この金型用設計図をそのまま縮尺したと思われる、CCP製「マッドウィラー」(迷彩仕様)は、かつてのアサヒ製「レイジングブル」の復刻ものです。赤いボディが、そのレイジングブル。レイジングモンスターのミニサイズで、モンスター同様にその場スピンターンやウイリー・ジャックナイフ走行ギミックが盛り込まれています。復刻時には非迷彩のオールシルバーの車体もありました。今やこの手の玩具はランクルやパジェロスタイルしか生き残れていません。

Team WESTWIN Warriors#152

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11月8日に、TDA2020年最終戦が行われました。が、川添哲朗選手のTA52Wは前回と反対側のドライブシャフト破損で本戦に出られず。梅津知浩選手のTA01Rは、車両というよりドライバーのメンタルの未熟さがたたって、わものたちの袋叩きにあったようです。一方今回、他チームから小学生のドライバーが出場。大化けする可能性を披露したそうですが乗ってる車がエスク―ドじゃないので、そんな話知らんわで飛ばします。

梅津くんは前回までにポイントランキングで優勝候補に駆け上る活躍ぶりでしたが、それが仇になってか勝ちを急ぎすぎてトーナメント戦略や敗者復活戦に回ろうとするなど、いろいろ手を尽くした結果、舞い上がってか精彩を欠く結果。周囲の大人たちからは

「チヒロらしくない」

「小細工なんかできるほどの腕前じゃないんだから、真正面からぶつかってこい」

「あんな走りでは後藤誠司のエスクードを譲ってもらうのは10年以上早い」

などなどの叱咤を受けたそうです。梅津君に伝えたいことは、2000のエスクードと1600のエスクードは全く別物で、今の操舵技術では、フロントヘビーの2000を振り回してもフロントデフをぶっ壊してコースアウトするのが落ちでしょう。1600でもっと走り込んでいかなければ上には行けないということです。

一方、川添君はグリップ重視の戦略としてラリータイヤを選択した時から、特に駆動系への過負荷を招いてクルマを壊す傾向となっています。島雄司監督も

「TDAはクロカン四駆でタイムを競うレースなので、どのドライバーもしのぎを削って車の性能を追求しますが、クロカン四駆で走るという舞台にラリータイヤを持ち込むこと自体がどうなのかを再考しなくてはならないと感じています。ことリミテッドクラスでタイヤ性能をベストマッチさせたら、ビギナーや初参戦エントラントに勝ち目がなくなる。誰が勝つのか勝負の行方が読めないレース。そのことは初心者にも参戦しやすい環境づくりとして忘れてはならないと思うのです」

という考え方があり、競技全体のレギュレーションとして、ラリータイヤの使用制限、いや禁止という検討の余地があると思われます。ひとまず今シーズンは新しい課題を受け止めたウエストウインですが、ここからチームとクルマづくりも一歩進めていくことになります。その傍ら、ハンガースポーツの高田浩三社長が一言。

「うちの工場で預かっているJ20Aな、邪魔だから早く持って帰れよ」

 

・・・えっ? なにそれけっこう爆弾発言じゃないのか?

 

ムカエハコナイ

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結論から言うと、自動車としては末期症状で、オイル漏れ修理のためにエンジンを下ろそうとすると補機類の接合部分が老朽化していて外した後に組み直せるかどうか不明のため、補機類も排気系もラジエター各部もそろえないと不安だと。

エンジン自体もガスケットレベルを超えてもしもシリンダーヘッド類が歪んでいたらこれもまるまる交換する必要があり・・・

もういいわかった。容赦なく費用がかかると

「それと実際に修理する日数も・・・」

主治医の紹介してくれた工場長は、もう普通だったらここまで丁寧に頭を下げて事情を説明しながら、言いにくいことをどう切り出すかなんて気を遣わないでしょう。それがわかったので、東北への出張が入っていたし、丁寧にお礼を言って入庫先から引き取ってきましたが、要するにエンジン脱着が壁になって、スズキとしてはかかる費用が膨大で修理の受け入れができないということだそうです。

うわー・・・末期って言われちゃったよ。

最終回前のウルトラセブン状態。でも彼は上司に故郷へ帰れと言ってもらえたから、まだ良かったのかと思わされます。むしろ見捨てられたマゼラン星人・・・

 

事実上の絶滅種の壱

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90年代、エスクードのミニカーはブラーゴしかなかった時代ですが、エンジンラジコンと電動ラジコンには人気商品がありました。エンジンラジコンはモンスターのパイクスピーク仕様がまだエスクードベースであった頃に、ボディーが同様のデザインでユーザーが塗装し組み立てるものでした。それは所有したことがないので、手ごろ価格の電動ラジコンを、ホームセンターで見かけると買い足していたという(笑)。タイヨー製サウンドブラスターはその最大手でした。

本体の電源を入れ、メインスイッチを押すと「イグニッションサウンド」が響きわたり、続いて「アイドリングサウンド」に切り替わる。プロポを操作し、前進・後退をさせるときに「アクセルサウンド」。左右にステアを切ると「スキールサウンド」が鳴り響く。どうでもいいギミックで、動かすのがちょっとこっ恥ずかしい。
ギア比が変えられ、トルクをあげられますが、たいていの場合障害物を乗り越えられないか、逆に弾き飛ばされ転倒します。

実は四駆ではなく「RR」なので、そこですべてが台無しという割には、18分の一くらいのボディは非常によく造形されています。青車体は白をベースに塗り替えたものです。白と黒はそれぞれ周波数が異なるため、同時に走らせレースも可能というところに、この手の電動ラジコンの販売戦略が見隠れしますが、そうでないと遊べないので素直に受け入れてました。ただ、一人っきりでは2個のプロポなんか同時に操作できない落とし穴もあるのです。

二代目の日 後編

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90年代、カナダで二代目エスクード・グランドビターラ(V6-2500cc)に乗っていた今井勝男さん(Maroさんのお父さん)のお話を、エスクード三十周年記念企画サイトから引用し再構築してみます。当時の話を聞くと、意外なことにGМ寄りのデザインはともかく、オフロード性能を見切ってハンドリングやサスペンションを改良した二代目は、まさしくそこで不評を買っていたそうです。それはやはり、カナダという広大な国土での使い道に依るところが大きかったそうです。

「90年代といえば、北米の人々は、まあ全部が全部じゃないけど、シボレーサバーバンを好んで乗り回していたよ。あの国、というより北米大陸というお国柄だね。アクセルを踏んだら前へ出る。ハンドルを切ったらその方向に曲がる。ブレーキを踏みつけたらがっちりと止まる。その性能がしっかりとしていればいい。真冬はその限りじゃないが、ビッグトルクで家族や仲間を乗せて何百マイル走っても平気なビークルが信用されていた」

「私はそうは思わない。荒れ地を走るだけが車の仕事じゃないから。それよりもトロントからデトロイトまで快適に走って、快適に帰ってこられる方がずっと重要だった。あの車ははそれができたね。2.5リッターを積んで、ようやく大陸を走れる車に仲間入りした」

確かに、うちで乗ったものもショートとロングの違いもあったけれど、2000のV6と2500のV6はそれほど違っていました。

このTD62Wに相当するエスクード以前から、二代目は、最終的に世界累計200万台弱を販売できた初代を受けての、世界戦略的な使命を帯びていたのです。ただなんとなく、スズキというメーカーは、市場の確立されていなかった初代の幸運を除いて、歴代のエスクードを繰り出すタイミングを次々と見誤ってきたような気もしますが、それはまた別の話。二代目は不評と言われながらも、実際には初代よりもバリエーションの豊富な展開をしていました。

二代目の不評とは、丸まった車体(今だったら全然そんなことはなくなってしまった)よりも、初期の小型車シリーズにあった、まるでやる気のないグリルのデザインだったと思われます。これはマイナーチェンジによってフェイスリフトされ、初代以上に洗練されたものとなりました。足回りこそ5リンクが追加され自由度を固められましたが、今井さんの言われるように快適さの追随は邪魔にはなりません。ラダーフレームの踏襲も、骨太の四駆を継承しているのです。

 

 

 

二代目の日 前編

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11月7日。年次は1997年なのでちょっと半端ですが、この日スズキエスクードは初のモデルチェンジを行い、二代目へスイッチしました。

その姿は先行してメディア漏洩していたので、まさかーっとカタログを手に入れて愕然としたのはウソではありません。どこをどう切り刻んだらこうなるのか?というほど、それは突然変異していたからです。今思えば、余計なことを言ってしまった罪悪感を残しました。

余計なことと言ったら、初代が出たときにも「なんだこのかっこ悪い四駆は」と、僕はののしっていますから、まあ僕の感覚なんてアテにはならないってことです。その初代が再評価されているのとは別に、二代目はまだまだ現役で、フレーム+ボディに副変速機という構造で、昨今のうねうねしたSUVとは一線を画した、スタイリッシュなモデルに落ち着きつつあります。大人の事情でデザインが日寄ることとなったGМが倒産・国有化と解除を経てかつての勢いでないことは皮肉です。

GМに日寄らない二代目がもしも実現していたら。というデザインワークスは、実は初代が登場した80年代に描かれています。89年の東京モーターショーに出品された「constellation」(星座、の意)は、初代をデザインした片岡祐司さんによる、次期エスクードの一つの方向性でした。想定ではV6の3リッターを積む構想でしたが、評価は低く参考出品に終わりました。現代においてこのデザインラインは古びていますが、当時で言えばどのメーカーよりもSUVの姿をまとめています。

スズキ社内で片岡さんが聞かされた話では、このショーの期間中会場を訪れたジウジアローが、このモデルの前で長い時間立ち止まって見物していたそうです。二代目のデザイナーは片岡さんではありませんが、その割にはイメージは初代に「constellation」をミックスさせたようにも思えます。いずれにしても、先へ行き過ぎた二代目構想が北米需要を基に引き戻され、ぎょっとする形にはなりましたが、それでも時代を先取りしていたことは再評価すべきときでしょう。

 

構想十年くらいの実現

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SSC出版で単行本出ないかな

青森県八戸市立市民病院は、救命救急システムにドクターヘリとラピットドクターカーを組み合わせた「サンダーバード作戦」を10年ほど前から展開しており、ラピットドクターカー3台のうち「2号」に三代目エスクードTD94Wを導入しています。その頃から知ってはいたけれど、東北在住時には一度も現車を見る機会に恵まれませんでした。こっちへ帰ってきてから、同院長の今明秀さんたちがまとめているブログの書籍化されたものを手に入れたことから、思い立ってコンタクトしたところ、取材の快諾をいただき、来週9日に発売されるスーパースージー121号で紹介することとなります。

 

そこまでの経緯と概略は「空飛ぶ院長とドクターカー」で書いているので割愛し、この記事時点では見キレていた三代目エスクードの雄姿を、ようやく送り出せます。あぁ、わざわざ八戸まで行ったのかといえばコロナ禍の世の中です。そういうわけにもいきませんでしたので、リモートで・・・などという先端技術を使いこなすことも無く、メールでのやり取りに終始してます。

2台のラピットドクターカーと簡易手術設備を搭載したドクターカーが、なぜ1号、2号、V3なのかという運用上の特徴をうかがうことができ、やはりエスクードは「力の2号」なんだなあと感じました。TD94WにはBLUEらすかるの緊急入庫時などに乗ることがありますが、TD61Wよりも大柄で重いんだけど、扱いやすさと大きなトルクは確かに使い出があります。

ブログのコミックシリーズは新しいフェイズに入り、エスクードの出番は一応終わりました。これ、せっかくだからSSC出版から単行本出さないモノかなあと思うんですが、まあリアルの世界でもジムニーが出てこないから、無理だわな。