Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

troposphere

2 Comments »

BLUEらすかるが4月6日、760000キロを通過しました。月への往復距離、残すところ8800キロを下回りました。地球規模の距離感で言えば、いよいよ対流圏を降下し始めたところで、静止衛星軌道から10か月もかかっているというスローペースですが、バーチャルに宇宙から戻ってきた感が得られています。

「エベレスト山頂だったら地表に届いてるじゃん」という見方もあるけれど、この残る距離を走る楽しみを削りたくないので、淡々と帰還の途に就くことにします。

明日はスーパームーンの満月です。最近流行の英語圏の言葉では、4月の満月はPink Moon(桃色月)、Sprouting Grass Moon(萌芽月)、Egg Moon(卵月)、Fish Moon(魚月)などと呼ばれるそうです。

なんだってこんな浮かれたくなる日に緊急事態宣言なんか出てくるかなあと、正直に言っておいて、世の中の流れに沿わねばならぬと気分を引き戻します。

そこまで売り手市場でいいの?

7 Comments »

生産台数の問題から月間販売100台程度というジムニーシエラに、小型SUVとしての興味が高まり、爆発的なバックオーダーのまま販売開始されてしばらく経ちましたが、昨年夏前にオーダーしていながらまだ納車日どころか在庫が入るかどうかもわからないと言われてしまう顧客がいる。

異常事態。で片づけられないよそれ。ずっとシエラを楽しみにしていた妻の知人さん、ついに諦めダイハツロッキーを即納してもらったそうな。

いやまじめな話、半年以上音沙汰もなし連絡もなしで、問い合わせたらそっけなく「在庫の見通しが立たない」と、代理店に平然と言ってのけるディーラーの資質はどうなのよと言いたい。

出てくりゃいいってもんじゃねーんだよ

出てくりゃいいってもんじゃねーんだよ はコメントを受け付けていません

漫画作画に登場するエスクードのシリーズで、避けて通れないのが「ガタピシ車で行こう!!」が扱ったノマドの回。雑誌掲載が2002年で、ぼちぼち二代目エスクードもモデル末期だねえという雑談のさなかに、知人の一人がこの掲載を教えてくれました。

が、物語があるようでないようなこの漫画のなかでも、何しに出てきたのかさっぱりわからない。その代表例と言っていいでしょう。

背丈の小さな女の子が運転しているため、近づいてくるノマドが無人に見えた。という展開だけですが、いくらなんでもそれ(前方からの無人)はない。エスクードの場合、特にノマドでは「後方から見たら人が乗っていない」(風花さんが実証している)という事実はあります。まあそれは余禄としても、挿絵で一所懸命描いているノマドが、ストーリーのコマの中では子供でももっとましに描くぞというほどのドへたくそなので、これの単行本を持っているノマドユーザーさんとノマドОBは、かなーり心の広い人々だと思います。

Team WESTWIN Warriors#144

2 Comments »

TDA第一戦、リミテッドクラスに出場した梅津知浩選手のJADE-Ⅲは、後部キャノピーを撤去した軽量化策。様になっています。が、レースはそうそう甘くない。序盤戦で好位置には持って行けず、敗者復活戦も突破不可で、ベスト4には残れませんでした。まあデビュー戦で表彰台にあがっちっゃたりしたら、ここまでの9年間は何だったんだということになりかねません。練習ということでアンリミテッドクラスにも出走しましたが、今一歩の戦果なしです。

「コース攻略の組み立てがまだまだ出来ていません。初陣とはいえ、初参戦で走る人もいるわけですから、土俵は一緒です」

島雄司監督はなかなか手厳しいです。彼は彼でチーム監督を兼任しながら競技全体の主催者として仕事をしなくてはならないので、ウエストウインにかまけていられないというもどかしさがあります。講評としては、技術と経験値は走り込んで紡いでいくものですから、非力なクルマをどうコントロールするかのセンスに期待しましょう。

アンリミテッドクラスは、結果を先に言えば、川添哲朗選手の優勝でした。しかし並み居る先端ノウハウ詰込みの車両勢に対して、やはり吊るしパーツで組んでいる足回りでは苦戦を強いられたそうです。

「今回の優勝は運に恵まれていました。まず、例のJB23の子が仕事の都合で帰省できず府参戦だったこと。もうひとつは、前回同様強敵となったJB33のテクニックが川添君を追い詰めました。どうにかタイム差ゼロで再戦となりましたがやはり全体的に押され気味。辛くも相手のミスで優勝がこっちに来てくれた」

島監督は大きな課題を持ち帰ることになりました。が、川添君はMINERVA‐Ⅱと自身の伸び代をまだ保有していると話しています。それはどういうことなのか。後藤誠司選手の不在というファクターがかかわっているようです。対後藤の戦いを繰り広げながらも、チームの常勝に何が必要かを判断して共倒れを回避してきた川添君にとって、これからは隠していた牙をいくらでも向けられる。意外と彼のクレバーな走りの中から、キレた瞬間が垣間見えるかもしれません。

Team WESTWIN Warriors#143

Team WESTWIN Warriors#143 はコメントを受け付けていません

TDA2020シーズン、第一戦が本日開幕です。

今回より一方的に、川添哲朗選手のエスクードをMINERVA‐Ⅱ、梅津知浩選手のエスクードをJADE‐Ⅲと呼称するのですが(まあ受けずに廃れるだろう)、後藤誠司選手の手を離れるあの個体にも、Ⅰを冠した名前を考えなくてはならないとか思っているうちに、MINERVA‐Ⅱの大がかりな改修が終わっていました。

「実物を見たら唸ると思いますよ。デフの右側を強化補強したんです。それで充分ではありませんが、身内仲間たちの徹夜手弁当作業で仕上げました」

と、島雄司監督は自信ありげに話します。エスクードのデフはアルミニウム製の筐体が災いし、ダカールラリーでアピオが苦戦した(割れてしまう)逸話がありますが、短時間に大きな負荷をかけるTDAでもそれは同じで、その補強を施したのだそうです。

しかし彼らがエスクードで参戦してから10年。他社の四駆も基本性能が向上し、ドライバーのテクニックも磨かれてきました。その中でも、JB23を車体上部に関して軽量化を図り、逆にシャーシレベルには補強をバラストを兼ねて行うという、車高に対して重心を下げるなら至極当然な手法のドライバーが出てきています。

「しかもですね、この子は14歳の時からダートラを走っているんです。ちょうど我々と同じ10年めなんですよ。走りを見たら、後藤・川添の両方の走りができる。この子は台風の目になりそうです」

島監督がそこまで評価する強敵のようです。

というところで話を戻しますが、後藤くんはしばしTDAから離れるとのことで、彼専用のエスクードは同様に戦線から遠のきます。けれども彼と彼のエスクードがこの10年にわたって築いた戦果は偉大なものです。その功績をたたえて、彼のエスクードを『Vehicle Of Yare Adaptable Gravel Endurance Runner‐1』と命名します。

VОYAGER‐Ⅰ

いずれ彼が戦線復帰する際、その車両はVОYAGER‐Ⅱとなります。あーようやくさよならジュピターから離れられたよ(笑)

さてウエストウインのルーキー、梅津くんは、もちろんそこまで走り込んではいないのですが、今どき初代のテンロクエスクードでレジントップなどという変わり種で早くも目立っております。いや、だけど、同じTA01Rでもリアのトラクションは「ただのコンバーチブル」よりかけやすいのがレジントップ。ただしレジントップは「ただのハードトップ」より10キロ重いんですけどね(笑 せめて頭上のパネルを外させるか)

そんな梅津くんに、川添くんが様々な指南を施しています。監督が鳥肌を立てるほどの、TDA攻略理論です。概略を聴きましたが、なるほど彼はそれで10年戦ってきたのかと、目から鱗が落ちる思いでした。

その内容は企業秘密なので書きませんが、同時にとても的確でとても笑えるアドバイスが彼が梅津くんに出ています。

「相手のジムニーたちはいろいろいじって100馬力ものスープアップをしている。だけどお前が乗る01Rは、最初から100馬力」

いやー、何も言えねー(笑) でもそれで膝を打ってしまうところが、梅津くんのかわいいところだそうです。

第一戦の結果報告は後日!

シブヤ199X

シブヤ199X はコメントを受け付けていません

たがみさんの「なぁばすぶれいくだうん」や松本大洋さんの「点&面」に続いてスズキエスクードが漫画に登場するのは、90年代に入ってから中原裕さんが少年誌で連載した「トキオ」でした。前2作がオフロードテイストのエスクードであったことに対して、この漫画は渋谷という舞台、チーマー間の抗争と復讐劇を描いたことから、出てくるエスクードもある種エスクードらしいシティオフローダー(って書くとなんか悔しい気もする)

気を取り直して観察すると、これはTA01Rで、スズキスポーツのランプステー(あ、ぷらすBLUEが使ってるやつだ)や同ブランドのスペアタイヤカバーなど、当時のモンスターブランドでドレスアップされ、オートエキスポ製のルーフラック用キャリアフレームも取り付けてあるという、それって実車を見なけりゃ描けないでしょうという凝りようです。

中原さんご自身か、編集担当者の周囲に、これに乗っていた人がいるのでしょう。「トキオ」の設定年代が199X年とされているけれど、こうしたパーツやモンスターの販売履歴をプロファイルすれば、だいたいいつごろの渋谷だったのかはイメージできます。

だけどこの01R、このあともう一回登場して東京湾にダイブしちゃうのが残念・・・

スズキだったのかいすゞだったのか

2 Comments »

乗っているのは「ふもふも」です

バービーの誕生日(1959年3月9日)なんてESCLEVにはどうでもよい話なんですが、彼女が40代になった頃、つまり90年代、専用ビークルが発売されたことがありました。

これがねえ、テールランプや微妙なフェンダーから想像して、エスクードというかサイドキックでなくて何なんだよ? との議論がその昔繰り広げられました。フロントグリルとヘッドライト形状がビッグホーンっぽかったため、審議がかかり、かかったわりには決着もつかなかったので、もう一方的にエスクード/サイドキックだと言い切っています。ま、時は流れてますんでこのビークルもモデルチェンジしており、BМWなのかトヨタなのかでもめてそうです。

ある意味ブームの火付け役・・・だったのかもしれない

4 Comments »

RVブーム。という時代を明確にいつからと定義するのは難しいのですが、ざっくり80年代あたりとして、それに出会って触発されていく風景はどんなものだったのか。それこそそれは十人十色の風景だと思いますが、ひとつのきっかけに、その頃たがみよしひささんが描いていた「軽井沢シンドローム」のガジェットがあると考えています。ただしあくまで私見ですから、そうかもなー、くらいで勘弁してください。

たがみさんはデビュー当時から、登場人物と同時に細やかなタッチで様々な自動車をドラマの中に登場させています。軽井沢~以前だったらクーペやスポーツモデルが主力で、それらは軽井沢~にもたくさん出てくる中、主人公の相沢耕平がほぼ唯一、「J3か何かにМBの車体を載せた」、いわゆるジープで登場し、異彩を放ちました。この車両は漫画が先か現実が先かは不明ですが、新谷かおるさん所有の個体をたがみさんが譲り受けた、というグラビア企画も、連載当初の雑誌で紹介されていました。

いや、それだけで軽井沢~がRVブームの火付けになったとは言い切れませんよもちろん。たがみさん自身が漫画で扱うガジェットにて、RVにこだわったことはありませんから。しかし、このМB風J3(らしき車体)は、80年代前半の青年漫画の世界ではちょっとしたインパクトを持っていたように思います。

ま、残念ながら軽井沢~の時代にはスズキエスクードはまだ誕生していないので、耕平やその仲間たちがエスクードに乗って走るシーンは全巻隅々まで読んでも出てこないのですが、ブームの後半になると、たがみさんもしっかりこれを取り扱ってくれます。『NERVOUS BREAKDOWN』(なあばす ぶれいくだうん)の第7話に登場するTA01Wタイプのエスクードは、おそらく漫画作画として扱われた世界で最も古い事例です。

『NERVOUS BREAKDOWN』自体に、毎回様々なメーカーのカスタム四駆が出てくることも当時の楽しみでしたが、このたがみタッチ・テイストなエスクードは、89年2~3月くらいの掲載なので、実際に車両デビュー1年に満たないタイミングでした。実に早い扱いです。どのくらい早いかって、アピオのオーストラリアン・サファリ参戦よりも早い。悔しいことに僕が乗り始めるよりも早い(笑)。火付け役でなくとも、ブームをけん引した風景の一つなのです。

暑くて寒くて眩しい上に喧しいのよ?

4 Comments »

にもかかわらず「そんな面白いやつが他にあるかい?」などと粋がってしまったのですが、事実、エスクードのコンバーチブルは面白いところもダメなところも混在で、初代の時代はどんな評価だったのだろうと思います。

コンバチエスクはデートカー足りえたのか? と振り返ると、はまたに夫妻も狼駄夫妻も結婚前からそうだったんですよ。

幌ですからねえ、遮音性も遮熱性もハードトップの比ではないし、取っ払ったら取っ払ったで

「無駄にまぶしいですよ。髪の毛ばさばさですよ」

などと、霙には言われる始末で、ビキニトップはにわか雨対策にも必需ですが、こんなので高速走ったらトップが風圧で浮き上がっちゃうのです。

結論として、乗ってもいない奴の記事なんか信じないことです。もっともエスクードがデートカーとして取り上げられていたかどうかも怪しいのですが。

それじゃあってことで、乗っていた人々の言葉は信じるに足る。ので、はまたにさんや狼駄さんにコメントをもらいたいのですが・・・いまさらうちのブログなんか巡回してねーだろうなあ。

 

言われてみればそうなんだけどそんなんでもない

言われてみればそうなんだけどそんなんでもない はコメントを受け付けていません

ABS世代(念のため、アンチロック・ブレーキ・システムじゃあないです)という言葉がいつの間にか生まれていて、僕なんかそれにどっぷり当てはめられちゃってるわけです。80年代に二十代を過ごしているアクティブ・バブル・シニアなのだそうですが、それほどバブル経済の恩恵にあずかれたかと言えば、

そんな記憶はどこにもねーよ。

でもって80年代の二十代って、自他問わずクルマ談義に持ち込まれて、あたかもマイカー百花繚乱の時代でもあるかのようなノスタルジック領域にいざなわれることがあります。この世代を前側に外すと団塊とか焼け跡とかの世代に行きつきますが、じゃあ彼らがそういう環境ではなかったのかと言えば、彼らの時代にも羨望の的になったりデートカーと呼ばれたりするクルマたちはあったんじゃないかなあと。

十歳ほど上世代の叔父、さらに十歳上になる親父たちに目を向けると、お金もないくせにクルマはステータスと実用を折衷で取り扱っていて、兄弟でどこのメーカーの何が良い、という議論を始めると譲らなかったほどでした。長男:日産、次男:いすゞ、三男:トヨタの三つ巴の論争の中で育った僕は、アクティブ・バブル・とは関係なく車社会の洗礼を受けていたように思います。

「雷蔵は金がないからずーっと初代のエスクードにしか乗れない」とか言われたらもう立つ瀬もありませんけど、たかがエスクードとは言え、バブル経済と無縁のところで子育てしながら常時2台体制でエスクードを所有するのって、よほどのことです(もっとも、単に馬鹿で片付く)。親世代も含めた家族全員で出かけようとすると、座席が足りないというのが本音でしたが、「それならミニバンにしよう」とは一言も言わなかったうちの奥さんは偉いなあと思います。

懐かしのデートカー。などと言われちゃうのが僕らの世代のクルマたちですが、

>若い頃はお金がなかったけれど、「今なら買える!」ということで、
>ABS世代がクーペやオープンカーに乗っている

このベクトルは、今出ている新型に、という方向と、あの当時のクルマをもう一度、という視線に分かれるのだと思います。記事では全く相手にされていませんが、うちで言うならぷらすBLUEこと1600コンバーチブルがそれに当たるのでしょう。乗れなかった、というよりは子育て環境上必要性がなかった。と、今書くんだったら幌車にチャイルドシートつけて使っていたら・・・

まあやっぱり変人扱いでしたでしょう。だけどこっちが変人であろうと、サブスクリプションビジネスやらクルマおたく会員組織の時代、なんてのは願い下げです。クラブ作るよりも部室置いとく方が僕の趣味だし。しかしふと思ったのだけれど、エスクードの幌車ってデートカーなのか? これははまたにさんとじゅんきちさんに聞いてみたいことです。個人的には幌取っ払ったらろくなことはないって気がします。