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  ~懲りない傾向~

それはまた極論、のもう一つの視点

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買い出しトライアルから妙高小谷線探訪に移動している本日なので、閑話休題として、9日に触れた「それはまた極論を言うなあ」のフォローをしておかねばなりません。

どれだけSJ30が好きなんだよ?と揶揄してしまった同記事をもう少し展開すると、この二代目ジムニーをデザインした故小栗克彦さんに辿り着きます。機能を重視して無駄を省くシンプルさを追求したのが、小栗さんのジムニーでした。

そこには、レンジローバー(現クラシック)を目標に据えたモノ作りがあったそうで、初代エスクードをデザインした片岡祐司さんも、「小栗さんが言っていた、スズキはレンジローバーを目指すべきという言葉が参考になった」と話しています。クラシックレンジは1台にラグジュアリー、エステート、パフォーマンス、クロスカントリーの機能を盛り込んだことがアピールポイントでした。1970年の誕生なので、奇しくも初代ジムニーと同い年です。

クラシックレンジの持つ機能性とコンセプトは、小栗さんなりにSJ30に注ぎ込まれました。だからこそ二階堂裕さんはこのモデルに惚れ込んだのでしょう。これは片岡さんも「ずいぶん先のことを考えていらした」と語っており、まさしく当時、国産車にそんなコンセプトの自動車はなかなか見られなかったわけです。だから都市型四駆などと揶揄されたものの、初代エスクードはクラシックレンジを追いかけたSJ30を苗床にしたと言っても過言ではないのです。

片岡さんのデザインを基に開発の進んだ初代エスクードの諸元は、二階堂さんによる企画でした。悪い言い方をすれば、ジムニーのコンセプトを守るために次期ジムニー計画を破棄させたのが二階堂さんですが、きちんとそれを回収してエスクードが誕生していく。このストーリーを知れば、ジムニーロードに書かれた二階堂さんの主張は頷けるのです。まあそれにしては、生みの親なんだけれどエスクードよりジムニーなおじさんなので、そこは突っ込みたいのですが。

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