Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

ある意味ブームの火付け役・・・だったのかもしれない

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RVブーム。という時代を明確にいつからと定義するのは難しいのですが、ざっくり80年代あたりとして、それに出会って触発されていく風景はどんなものだったのか。それこそそれは十人十色の風景だと思いますが、ひとつのきっかけに、その頃たがみよしひささんが描いていた「軽井沢シンドローム」のガジェットがあると考えています。ただしあくまで私見ですから、そうかもなー、くらいで勘弁してください。

たがみさんはデビュー当時から、登場人物と同時に細やかなタッチで様々な自動車をドラマの中に登場させています。軽井沢~以前だったらクーペやスポーツモデルが主力で、それらは軽井沢~にもたくさん出てくる中、主人公の相沢耕平がほぼ唯一、「J3か何かにМBの車体を載せた」、いわゆるジープで登場し、異彩を放ちました。この車両は漫画が先か現実が先かは不明ですが、新谷かおるさん所有の個体をたがみさんが譲り受けた、というグラビア企画も、連載当初の雑誌で紹介されていました。

いや、それだけで軽井沢~がRVブームの火付けになったとは言い切れませんよもちろん。たがみさん自身が漫画で扱うガジェットにて、RVにこだわったことはありませんから。しかし、このМB風J3(らしき車体)は、80年代前半の青年漫画の世界ではちょっとしたインパクトを持っていたように思います。

ま、残念ながら軽井沢~の時代にはスズキエスクードはまだ誕生していないので、耕平やその仲間たちがエスクードに乗って走るシーンは全巻隅々まで読んでも出てこないのですが、ブームの後半になると、たがみさんもしっかりこれを取り扱ってくれます。『NERVOUS BREAKDOWN』(なあばす ぶれいくだうん)の第7話に登場するTA01Wタイプのエスクードは、おそらく漫画作画として扱われた世界で最も古い事例です。

『NERVOUS BREAKDOWN』自体に、毎回様々なメーカーのカスタム四駆が出てくることも当時の楽しみでしたが、このたがみタッチ・テイストなエスクードは、89年2~3月くらいの掲載なので、実際に車両デビュー1年に満たないタイミングでした。実に早い扱いです。どのくらい早いかって、アピオのオーストラリアン・サファリ参戦よりも早い。悔しいことに僕が乗り始めるよりも早い(笑)。火付け役でなくとも、ブームをけん引した風景の一つなのです。

暑くて寒くて眩しい上に喧しいのよ?

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にもかかわらず「そんな面白いやつが他にあるかい?」などと粋がってしまったのですが、事実、エスクードのコンバーチブルは面白いところもダメなところも混在で、初代の時代はどんな評価だったのだろうと思います。

コンバチエスクはデートカー足りえたのか? と振り返ると、はまたに夫妻も狼駄夫妻も結婚前からそうだったんですよ。

幌ですからねえ、遮音性も遮熱性もハードトップの比ではないし、取っ払ったら取っ払ったで

「無駄にまぶしいですよ。髪の毛ばさばさですよ」

などと、霙には言われる始末で、ビキニトップはにわか雨対策にも必需ですが、こんなので高速走ったらトップが風圧で浮き上がっちゃうのです。

結論として、乗ってもいない奴の記事なんか信じないことです。もっともエスクードがデートカーとして取り上げられていたかどうかも怪しいのですが。

それじゃあってことで、乗っていた人々の言葉は信じるに足る。ので、はまたにさんや狼駄さんにコメントをもらいたいのですが・・・いまさらうちのブログなんか巡回してねーだろうなあ。

 

言われてみればそうなんだけどそんなんでもない

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ABS世代(念のため、アンチロック・ブレーキ・システムじゃあないです)という言葉がいつの間にか生まれていて、僕なんかそれにどっぷり当てはめられちゃってるわけです。80年代に二十代を過ごしているアクティブ・バブル・シニアなのだそうですが、それほどバブル経済の恩恵にあずかれたかと言えば、

そんな記憶はどこにもねーよ。

でもって80年代の二十代って、自他問わずクルマ談義に持ち込まれて、あたかもマイカー百花繚乱の時代でもあるかのようなノスタルジック領域にいざなわれることがあります。この世代を前側に外すと団塊とか焼け跡とかの世代に行きつきますが、じゃあ彼らがそういう環境ではなかったのかと言えば、彼らの時代にも羨望の的になったりデートカーと呼ばれたりするクルマたちはあったんじゃないかなあと。

十歳ほど上世代の叔父、さらに十歳上になる親父たちに目を向けると、お金もないくせにクルマはステータスと実用を折衷で取り扱っていて、兄弟でどこのメーカーの何が良い、という議論を始めると譲らなかったほどでした。長男:日産、次男:いすゞ、三男:トヨタの三つ巴の論争の中で育った僕は、アクティブ・バブル・とは関係なく車社会の洗礼を受けていたように思います。

「雷蔵は金がないからずーっと初代のエスクードにしか乗れない」とか言われたらもう立つ瀬もありませんけど、たかがエスクードとは言え、バブル経済と無縁のところで子育てしながら常時2台体制でエスクードを所有するのって、よほどのことです(もっとも、単に馬鹿で片付く)。親世代も含めた家族全員で出かけようとすると、座席が足りないというのが本音でしたが、「それならミニバンにしよう」とは一言も言わなかったうちの奥さんは偉いなあと思います。

懐かしのデートカー。などと言われちゃうのが僕らの世代のクルマたちですが、

>若い頃はお金がなかったけれど、「今なら買える!」ということで、
>ABS世代がクーペやオープンカーに乗っている

このベクトルは、今出ている新型に、という方向と、あの当時のクルマをもう一度、という視線に分かれるのだと思います。記事では全く相手にされていませんが、うちで言うならぷらすBLUEこと1600コンバーチブルがそれに当たるのでしょう。乗れなかった、というよりは子育て環境上必要性がなかった。と、今書くんだったら幌車にチャイルドシートつけて使っていたら・・・

まあやっぱり変人扱いでしたでしょう。だけどこっちが変人であろうと、サブスクリプションビジネスやらクルマおたく会員組織の時代、なんてのは願い下げです。クラブ作るよりも部室置いとく方が僕の趣味だし。しかしふと思ったのだけれど、エスクードの幌車ってデートカーなのか? これははまたにさんとじゅんきちさんに聞いてみたいことです。個人的には幌取っ払ったらろくなことはないって気がします。

Team WESTWIN Warriors#142

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TDA2020年シーズンは3月15日に開幕しますが、我々がかかわってからだけでもすでに10年。当然、他チームのドライバーも腕を上げ、参戦車両の性能も格段進んでいます。ウエストウインはそのような情勢下、車両の持つ素性をポテンシャルの底辺として臨む体制を変えず、基本路線は2台のエスクードで戦うことになります。その1台が、1600のレジントップ。これが・・・これがいまどきニューカマーなのかという意外性。

しかしそれ以上の話題性は、これをパイロットする梅津知浩くん。チーム内では「ところで高校の卒業はできるんだろうな?」と持ちきりですが、まだ玉石混合ながらウエストウインのドライバーとして登用されるからには、島雄司監督の眼鏡にかなう原石としての資質を持っていると思われます。

いよいよ仕上がったレジントップの最初の感触について梅津くんは

「僕の力不足で、まったく乗れていませんでした。(パジェロミニと比べたら)パワーもトルクもあるので、早く乗りこなしたいです」

とても素直な若者です。

島監督は

「ダートを走るリズムの組み立てに慣れていないので、後半になると集中力が途切れがちです。頭にも体にもスタミナをつけないといけないのは言わずもがなです。まあ一つずつ課題を消化して開幕戦を迎えますよ」

一方、梅津くんの先生のひとりとなった川添哲朗くんは、今回の練習走行後はちょっとしょげていたとか。箝口令敷かれているので書けませんが、あーそりゃーへこむわなーという何かをやらかしまして、久しぶりに監督の叱咤を受けたそうです。

いずれにしても、速いだけのチームではないウエストウインのカラーは、まだまだ継承されていくということですね。あっ、カラーと言えば、このTA01Rへの命名権をいただきましたので、黄緑色だし3台めのエスクードだし、

JADE‐Ⅲ 

「Jolly Acute Dirttrial Edition 3 ジェイド・スリー」と名付けることとします。

ジェイドというのは翡翠のことです。いや、いいんだよ黄緑っぽいのもあるよ。決してホンダのミニバンでもジュピターゴーストと遭遇した木星探査艇(Jovian Atmosphere Depth Explorer 3)でもないですよ。

と、その流れで行くと、川添君のTA52Wは

MINERVA‐Ⅱ

てことでいいですか。あっ、これもはやぶさ2に搭載されていた小型ローバーのことじゃないです。が、これについては木星太陽化計画の現地基地ではないです・・・とはさすがに言えない。ひとまず逃げを打って「Marvelic Ignited Novelty ESCUDO Racing Version Advanced 2」とでも呼びましょう。

 

 

充実の力量とそうでもない領域

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インドのマルチスズキによるS.PRESSОは、軽自動車よりちょっと大きいサイズで1000ccのガソリンエンジン。ふと高度経済成長期の親世代が乗っていた車たちのいくつかを思い出させる一方、インド発のビークルデザインなどの垢ぬけ方は、当時の日本以上に洗練されていると感じます。そこは20世紀末を駆け上ってきた日本のクルマ作りが下地になっているのだから、半世紀の進歩を一緒にはできませんが、まあ極端なことを言ったらインドは核を持ってるし(関係ないか)

ヨーロッパを意識し続けての日本のSUVがいろいろ訳の分からない迷走の末に、やっぱりステーションワゴンには戻りたくないという苦悩を抱えてクロスオーバーとかやっているうちに、アジアのあちこちから追いつかれてる。ちょっと変なグリルになっちゃったけどまだバランスの取れているビターラ・ブレッツァやS.PRESSОにそれを突き付けられている気がします。

とか生意気なことを言っている僕も、旧世代感覚なんだと思い知らされるのが、2代目ハスラーにも持ち込まれているセンターコンソールへの機能集中と、そのデザイン。やー生理的にこんなのいやなんです。だけど、そう思っている僕の方がもう遊び心の欠落で、古い感性なんでしょう。輸出先のアジアディビジョンに日本が含まれているのかまでは知らないんですが、ずっと以前からあったように街に溶け込んでしまいそうです。

比べて、外野の予想とはいえエスクードの次のモデルのこれは・・・ひどい。ざっくり言えば、初代から二代目に移行した時ほどのインパクトもないのに、ひどいと言えちゃうところが哀しい。

でも次があるのねーってところは少し安心です。今度出てくるらしいハイブリッドのやつが最終型ではないと。まーこっちのほうがまともな気がしますが。

 

 

Team WESTWIN Warriors#141

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TA52Wからデフを外す川添哲朗君の様子。5リンクの締め上げはそのままに、TA51Wから足回りもデフも移植しようという作戦なのですが、

「デフ自体の容量は52の方が大型化されているし、そもそもマウント自体がかなり設計変更されていて、なかなか勉強になる厄介さです」

という島雄司監督。

TA51Wは少なくとも向こう2年、休眠となるそうです。後藤誠司君はおそらくJB43へのスイッチを予定しているようですが、すぐに走り出せるわけではないでしょう。しかしウエストウインと言えば「ダブルエスクード」(そんなチームに誰がした? ←おい)。あの黄緑色のレジントップで、18歳の梅津知浩君が走り出すわけですが、排気系横出しだとか早くもやんちゃなモデファイが進んでいるそうです。開幕戦は3月15日。彼らの新しい10年が始まります。

4500k

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霙の就職と勤務先も決まり、車通勤が確定したので、段階的にぷらすBLUEのアップデートを始めました。大がかりなことはことしの車検時にまわすとして、現状で手を入れなければならないのはО2センサー故障と思われるチェックエンジンランプ対策と、どうにも薄暗い29年物のハロゲンヘッドライト(バルブは何度か交換したけれど)。今回はこのライトのLED化ってことで、彼女に同行して桶川まで出かけました。

霙の趣向は、ヘッドライト光が白くなることに懐疑的で、多少の色味が付いていた方が良いという意見。そうするとBLUEらすかるに組み込んでいる6000kではなく、和邇さんのサイドキックが使っている4500kの方がマッチングするだろうと選択。点灯させるとポジションランプが変に浮いてくるので、追加でこちらもLEDに交換しました。でも明るいうちに帰宅してしまったので実戦はこれから。

エミュー

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なんだかんだ言って品切れにはならなかったオールドマン・エミューのフロントショックアブソーバが届き、約五年ぶりの新調。その節は不穏情報を流してしまいましたがしょーがないじゃんそう云われてたんだもん(あ、開き直ったよ)

しかしうちのクルマで五年ぶりって、ずいぶん耐えてくれましたよ。

 

毎日乗っているとショックの劣化を感じ取れないまま過ごしてしまうと言われますが、さすがに20万キロ近くほったらかすと、これはいかんとあほでも体感しわかっていました。これが新品に交換されると目からうろこのような違いです。

48VOLTの攻防

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動画内容はあまり意味ないね

スイフトスポーツ、SX4‐SCross、そしてビターラのハイブリッド仕様が海の向こうでは試乗イベントレベルに持ち込まれており、動画も何種類か見られるようになっています。

それらはこの3月に2020年モデルとして登場するようですが、スイフトスポーツは不明ながら、あるいはスイフトも含めて、48ボルトの発電システムを搭載してくることが示唆されています。これって、スズキのマイルドハイブリッドとしてはワゴンRなどの12ボルトに対してかなりの高電圧と言えます。

軽自動車に対して、コンパクトビークルと言えどもビターラクラスになると高い発電力によって出力を確保し、パワー・レスポンスを維持しつつ二酸化炭素の排出規制などに対応しなくてはならないという事情からでしょう。ヨーロッパでは2021年から規制強化が始まり、2030年代にはもはやEVでないと売りようがなくなるほどの厳しさに引き上げられる。これを鑑みて、高価格帯に位置する欧州車のハイブリッドモデルは48ボルト仕様に推移していくと言われています。

ビターラもその縛りと市場競争からは逃れられない。スズキは軽自動車では12ボルトで進めていくものと思われますが、それを考えると24ボルトくらいではだめなんでしょうかね。技術的に可能でも、ブランドイメージとして他社に引っ張られるのかもしれません。マツダのスカイアクティブには24ボルトが採用されるとの話もありますから、電圧自体もローコストでアピールする材料だと思うのですが。

まあこの手の話題は、実際に「エスクードのハイブリッド」が国内投入される際に分かることですから、今は静観です。

 

「花」についての偏った鑑賞

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先日、あらためて「風花」に登場したエスクードノマドの観察をしたので、このノマドが直後に撮られた「花」にも出ている関係から、ソフトを引っ張り出してみました。

前者は相米慎二監督の遺作で、後者は「風花」が日本で公開された翌年の封切りでした。「花」は相米氏を仰いだ西谷真一氏の初監督作品。「風花」へのオマージュと相米氏への鎮魂として作られたとも言われています。

どちらの映画にも出ているノマドは、これまでにも紹介した通り同一個体を映画のテーマに合わせて塗り直したもの。ただ、「花」ではセンターコンソール上部の方位計・温度計といったマルチメーターユニットが外されていました。それは些細なことなので追跡しません。「風花」ではカメラに対して左後方からフレームに入ってくる後ろ姿が最初のシーン。「花」ではロードムービーの出発点となる日本橋での後ろ姿から登場します。

「花」はこのあと「風花」をオマージュするように、ただし左後方から接近してくる姿を撮影しています。これらを撮影しているのは、西谷監督が招集した「相米組」の面々。クランクインは2002年4月7日で、相米氏が急逝されてから7か月後。極めて短期間で企画制作が立ち上がっていますが、短期間だったからこそエスクードの引き続き手配が可能だったのでしょう。この手の小道具、1年以上放置しておいたら維持費問題から高確率で処分されてしまうでしょう。

「花」の構造は日本橋から指宿までを走るロードムービー。「風花」は北海道内を走っていますが、単なる移動手段の表現でロードムービーとは言えないといった声もありました。その部分をこちらでは国道1から3号線を走りつなぐという説明と部分的な経由地描写でクリアしています。が、山陽本線にそんな駅がほんとにあるのか?(左の写真)というロケを実は枕崎駅の旧駅舎で行っていたり、大半が鹿児島で撮られているようです。クランクアップは4月27日。公開は翌年11月。

以前の記事で、原作を収録した短編集が2003年に出たと書いているのですが、この映画のメイキングではプロデューサーの田辺順子さんが相米氏の急逝後にそれを読んで企画に至ったと語られていて、いずれにしても原作と映画製作の年次がかみ合っていません。短編自体がどこかの媒体で出版前に発表されていたのでしょう。エスクードは2代目の後期時代でしたが、初代モデルが使われたことは、エスクードにとっても時期的にはラストチャンスでした。