Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

そこで引き合いにされてもな

そこで引き合いにされてもな はコメントを受け付けていません

新型と歴代を網羅した、けっこう読み応えのありそうなあのシリーズの「すべて」をざっと読んでみて、四代目ジムニーがどれほど好評なのかをあらためて知りました。が、そこかしこで書かれているように、それほどに三代目ジムニーの評価が低かったのか?ということもあらためて知るわけです。

語りはじめるときりがないのでそこは「どのみち俺はエスクード乗りなので」とうっちゃりますが、不憫でなりませんわ三代目ジムニー。

そこは新型をアピールするため先代が貶められる車雑誌の典型的な流れですが、20年間言われ続けたわけじゃあるまいし。何を今さら突然にという印象です。開発陣のインタビューでこれまた唐突に1回だけ、エスクードの言葉が出てきます。四代目ジムニーのエンジンフードのクラムシェルは、初代エスクードと二代目ジムニーをモチーフにしたと。ん?サイドまで回り込んだエンジンフードは初代ジムニーでやってますが、ノーズ部分はその限りではない。初代ジムニーは枠外なのか。

だけど三代目ジムニーではやっていないとはいえ、なにもわざわざエスクードを引き合いに、ご丁寧にスチルまでのっけなくとも。と、遠慮がちに見てしまいます。それなら、なぜクラムシェルなのかを展開してほしいと思うのですが、キャプションに少しだけ解説があります。プレス成型技術としては、エスクードでは苦労している部分。それでも内外のリクエストが高いようです。まあ総括するなら、エスクードを引き合いに出さんでも、二代目ジムニーですべて片付く話なんですけどね。

日本橋から七十五里

日本橋から七十五里 はコメントを受け付けていません

国道6号線の旧道沿いにある、相馬の農業法人が営むカフェは、この地が400年来の野馬追の歴史を持つことに因んだ命名なのだと思われます。我々エスクード乗りが知るノマド=遊牧民という概念とは異なり、地に足をつけ土と暮らす人々を想起させますが、それはそれで良いではないですか。

震災前には無かったような気がするので、この数年のうちに立ち上げられたのか、転勤当時は気づかなかっただけなのかはもうわかりません。

20年くらい前だったら、ほんとにノマド乗りたちと示し合わせて、東京から300キロ、珈琲を飲みに行こうぜとツーリングしただろうに。今となっては何人、ノマド乗りが現役でいることやら。BLUEらすかるは同じ車体であっても「ノマド」のサブネームを剥奪されてしまったモデルだし(でもエスクードを大ざっぱに知る人からはノマドと呼ばれることがあります)

どれ、珈琲でもいただいて行こうと横付けしたのですが・・・

午後3時は既に閉店後でした(涙)

うむむむ・・・仙台からなら小一時間の場所ですが、平日しかやっていないらしいしそんなにしょっちゅう相馬に出かけることも無いし、こりゃ案外ハードル高いなあ。この際だ。エスクードノマドじゃなくてもいいから、どなたかトライしてみますか?

生暖かく見守る回帰の評

2 Comments »

同じ事言われてるのにジムニーは優遇されてる

それはがちがちの四駆雑誌ではなく東洋経済という媒体によるものだからという点が一つ、そしてやっぱりジムニーというネームブランドへの一定の評価という点も加味されていますが、実に一般ユーザー向けにわかりやすい討論をしています。

4代目ジムニーが女子にも大人気を呼ぶ理由

わかる人にはわかると思いますが、同じ点をまさしく、30年前にはエスクードがそのように評価され、ついでに半端だ軟派だとも言われ放題だったのです。もちろん悪いことばかりではありませんでしたが、相手が四駆専門からハイソなジャンルまで、ほぼ車雑誌だけに、かなり手厳しかった。

 

なんでだろうなあとしばし考えてみて、ステアリング形式やらリアサス構造やらフレームやら、その辺は初代エスクードも四代目ジムニーもだいたい一緒なわけで、四代目ジムニーが現代においてそこを指摘されるなら、30年前にとやかく言われる筋合いはなかったよ(笑)と思ってよく読んでみれば、今じゃボール・ナットもリジットも「本物志向」「道具感」として認められちゃうのです。

道具感と言えば、ジムニーにメーカー採用として純正装備されたステアリングダンパーなんて、かつてはアフターマーケットが売りにしていた改良パーツです。つくづく四代目ジムニーは市場ニーズの蓄積を上手に取り込んで作られていると思います。

とすると、初代エスクードは「まあまあクロカン性能がないわけではないんだけど、どちらかといえばそういうクルマじゃないんです」というメーカーサイドの思惑とは裏腹に、クロカン四駆の一新種として迎えられたことが、手厳しい論評を受ける前提になったんでしょう。

それを念頭において、唯一、決定的に四代目ジムニーと初代エスクードの違うところをあげれば、真四角を踏襲して新車感のないJB64をいま出してきたことと、そういう質実剛健が四駆の常識だった時代に、エスクードがこのカタチを産み落としたことに行きつくのです。いやー、だったらもっと生暖かく迎えてほしかったよと、今頃言ってももう遅いんですけど。

しかしです。僕がいま感じていることはそれだけではなくて、20年にわたって我慢を続け市場を護ってきた三代目のJB23が64と比較され、かなり手厳しくダメ出しされている論評の辛辣さです。今さらなのでどなたの、とは書きませんけど、かなりひどいよなー・・・

 

Team WESTWIN Warriors#127

Team WESTWIN Warriors#127 はコメントを受け付けていません

TDA2018シーズン最終戦はいよいよ明日ですが、その前に。

高橋陽介さんのスーパースージー連載「九州J通信」に早くもウエストウインが取り上げられ、J(たぶんジムニーのJ)通信であるにもかかわらず、J‐ONE  GPのレースリポートを軸にしながらも、ウエストウインがエスクードを駈るチームであることをきちんと伝えてくださったことに感謝と脱帽です。

なにしろHANGARSPORTSの高田さんが登場した折に、このブログを通して圧力をかけまくり、J‐ONEでのウエストウインと仲間たちについては好き勝手に構成をぶち上げ、言いたい放題投げかけておりましたが、高橋さんはご自身の視点と文面で、オリジナルの記事をまとめておられます。

それは取材対象に対しても読者に対しても、とても大事なことです。だから高橋さんに敬意を表してこの回にて紹介します。

今日あたり書店に

2 Comments »

実は前号がなぜか9日ではなく9月7日に発売されていましたが、スーパースージーは基本的には奇数月の9日に出る雑誌です。ということで本日あたり書店に出ているはずで、まあ主たる内容は四代目ジムニーのあれこれのオンパレードですけど、数少ないエスクードのページには那須高原でのミーティング風景を紹介しております。しかしこっちには四代目エスクードは出ておりません(笑)

 

もう一つ楽しみなのは、広島県で行われたJ‐ONE/GPに参戦して奮闘したチーム・ウエストウインと、彼らに協力してくださった人々のバックヤードドキュメンタリーがどのように記事化されるか(これについては後日)

こんなときに僕自身は明け方には岩手県の普代村にたどり着かねばならないので、書店に行ってる余裕がありません。昨日までに基地には最新号が届いているというのに、片道650キロくらい走らないと戻れないという・・・

で、戻る途中にTSUTAYA系列の書店(スーパースージーはこの系列に出荷している)に立ち寄って、一冊購入しました。うちの連載ページ以外にもエスクードの登場比率は高く、ざっと見渡して高橋さんの「九州J通信」とTDAリポート、福永辰巳さんの「イタリア通信」、徳島市のアウトクラスカーズが仕上げた四代目エスクードなど。エスクードの誕生三十周年としてはこの号が最後?(年度で言えばあと二回あるけれど)だし、まあまあここ数号は露出度高かったですね。

しかし、そういうのありなんですか? なのがイタリア通信におけるエスクード誕生物語と題した、片岡祐司さんと初代開発エピソード。読み比べれば一目瞭然ですが、我々が作った企画webに掲載してある片岡教授のリポートを表題ごとほぼ丸写し。たぶん元の原稿を片岡さんが提供したと思われますが、いみじくもデザインやる人が原稿ほぼ丸写しって、呆れちゃいます。うちも片岡さんも手弁当ですが、これ稿料出るんでしょ? ならばせめて構成くらい考えてもらいたいものです。

シンクロにしてぇな ~意味のあるなしに偶然の一致~

6 Comments »

7日夕刻、BLUEらすかるが予定より7日遅れて710000キロに到達しました。

本来なら10月中に越えるはずだったんですが、Bレイドの時点で600キロも不足していたのと、この数日は遠出がありませんでした。こりゃまた年内に720000キロに行けるかどうかでやきもきしそうだなあ。しかし、これは無意味に7日間停滞していたわけではないことが判明。

7日の昼、遠く離れた沖縄の同じ車体色のテンロクショートが、330000キロを刻んでおりました。

おお、シンクロニシティ!

しかもですよ、大ざっぱに引き算すると、両車の距離差は「月と地球の距離」なんだわこれが。7日は月齢がリセットされ、新月(8日)に移り変わるタイミングでもありました。

 

現役中の邂逅

現役中の邂逅 はコメントを受け付けていません

世界初の機体可変戦闘機・VF‐1が1号機のロールアウトを見たのは2008年11月のことだったそうで、その4か月後にSDF‐1マクロスが進宙するまでに約1000機以上が配備されていたことが空想歴史。スズキエスクードについて言えば、3代目のビッグマイナーチェンジが施された後あたりで、まだ現役個体はあれど、20年めを迎えた初代モデルは世代として退役していく時代にさしかかっていました。

この歴史に照らし合わせていくと、VF‐1シリーズは2015年に生産終了となっていて、2020年以降退役が進むものの、後継機VF4に大気圏内運用の問題点があり、アップデートが繰り返され最終的には2060年代まで現役個体が存在していくようです。

2015年と言えば、エスクードの4代目が登場した年回り。初代はいよいよ姿を消しつつありますが、諦めの悪いユーザーはまだまだ乗り続けるための苦心を続けているところです。なぜかって、代々登場するVF可変戦闘機をみてもわかるとおり、「バルキリー」が一番なじんでるじゃないですか。

a stall

a stall はコメントを受け付けていません

70万キロを越えたというだけでも贅沢といえば贅沢なんですが、ここまで来ると月と地球の往復距離へ持ち込みたくなるのも人の業。現状あと6万キロと考えると、これまでのペースで車が壊れなければ2年くらいあれば、それは行けるなと考えていたのです。

が、これからのペースが大きく崩れるとなると、心中穏やかじゃありません。いつもこうなんだよなあ。思うようにはいかない。

ワタクシゴトですが、2019年からは再び東京通いとなりそうです。

 

左様でござるか

左様でござるか はコメントを受け付けていません

うーん・・・ これ移動途中で力尽きて寝こけているときだな(笑)

しかしリアフェンダーにマーキングがないのはことしの9月のごく短い期間ですから、かーなり貴重な姿です。

初代お好きですか、左様でござるか。

それは聞き捨てならん

12 Comments »

「インド、パキスタン方面で初代エスクードの需要が高騰していて、スクラップだろうと不動車だろうとお構いなしの買い付けが始まっていますね」

ウエストウインの島雄司社長が困惑しながら教えてくれました。彼のところのレジントップも買い手がつきそうとの話です。成約しないのは、シートがノーマルじゃないからだと。バイヤーがシートを別所で入手したら、売れてしまうでしょう。

※その件は最終的に流れています

うちも先代らすかるに乗っていた頃、直接バイヤーから声をかけられたことがありましたが、当時は東南アジアでの需要高騰でした。今回は大げさに言えばローラー作戦か絨毯爆撃かという勢いがあるそうで、メーカーストックの純正部品などにも影響が及ぶのではないかと、島社長は懸念しています。

まったくありがた迷惑な話だこと。インドあたりじゃ三代目が高級車で馴らしてるんだから、それに乗っててもらいたいもんです。