Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

Team WESTWIN Warriors#151

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「SX4、少しづつですが手を入れ始めました。現在、哲朗が、軽量化を図るべくリアシート等取り外しております。画像の作業風景はバンパ-が外れないよう穴を数箇所開け、結束バンドで縛っているところ(笑)」

9月の連休に入ってきた、島雄司監督からの連絡でした。耐久レースは25日なので、今だともっと進んでいるか、試走レベルに仕上がっているかもしれません。

 

ところでこの記事を読んでくださっている皆様・・・・

25日、開催延期ですってよ!

主催者がフェイスブックではアナウンスしているようですが、現段階でかなりの人たちが知らないらしく、島監督も人づてに知らされたそうです。どうも恋の浦を使用している上位の運営団体の様々な競技がコロナ禍のあおりで玉突きにずれ込み、耐久レースにも影響が及んでしまったらしいです。

「まあまあひどい話なんですが、俯瞰的には腹を抱えて笑ってしまう話もあります」

前回のレースに、敗退したとはいえウエストウインが参戦していたのを見聞したライバルが、ウエストウインのSX4の話も聞きつけ、極秘にチーム編成を行い車も準備を始めて「島君を当日ぎゃふんと言わせたる」とほくそ笑んでいたそうです。

「先日そこに所用があってお邪魔した時、『25日のレースが中止になっちゃいましてね』って、知らんぷりして教えてあげたときのリアクションときたらもう・・・」

今回は裏話の方がほんとにおもしろいです。が裏話ゆえに細かいことは書けません。ただ、聞くところによると20以上のチームが参戦しているレースの上、けっこうたくさんの学生が資金をやりくりして車を用意し耐久を楽しんでいる風景を見られるというところが重要です。

こういう部分に丁寧なアナウンスも無く、ふたを開けないと中止もわからないばかりか参加者の努力が日程(今のところ12月13日との話)によっては水泡に帰すかもしれないなんて、主催者はもっと真摯にビジネスと向き合うべきでしょう。

 

2度目があるなら3度目も?

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スズキが創業したのは1909年10月の、創業者鈴木道雄氏による鈴木式織機製作所立ち上げがルーツでした。ゆえに2009年に創業百周年記念事業でもあった(と思われる)歴史館が開館されていました。

が、ことしも創業百年。鈴木式織機製作所が株式会社化されたのが1920年3月であるためです。ただこの時代、同社はまだオートバイも自動車も手掛けていませんでした。

1936年、鈴木道雄氏は初めてオートバイ用エンジンの研究を命じ、自転車に取り付ける補助エンジンに始まり、実際にオートバイとして開発されたコレダCОが登場するのは1954年のこととなります。国が自動車取締令を改正し、オート三輪や小型車などにようやく認可が出るのが1930年だったからです。戦争による中断を挟み54年の6月、社名が改称され、ようやくスズキ自動車工業株式会社が誕生したのです。

そういった歴史について今になってあれこれ言うのも無粋なので、夢のある話に持って行きます。つまり、2020年の百周年は、偶然にもマツダと同い年の会社という地域の基幹産業同士の縁を持っている(ほとんど話題になっていませんが)年回りだけれど、1954年からの百周年なんていうのも、絶対にありそうです。すごいな、三度も百周年を迎えられるなんて。しかもその時は「ゴジラと同い年」って言うことができるのです。

それはまた極論、のもう一つの視点

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買い出しトライアルから妙高小谷線探訪に移動している本日なので、閑話休題として、9日に触れた「それはまた極論を言うなあ」のフォローをしておかねばなりません。

どれだけSJ30が好きなんだよ?と揶揄してしまった同記事をもう少し展開すると、この二代目ジムニーをデザインした故小栗克彦さんに辿り着きます。機能を重視して無駄を省くシンプルさを追求したのが、小栗さんのジムニーでした。

そこには、レンジローバー(現クラシック)を目標に据えたモノ作りがあったそうで、初代エスクードをデザインした片岡祐司さんも、「小栗さんが言っていた、スズキはレンジローバーを目指すべきという言葉が参考になった」と話しています。クラシックレンジは1台にラグジュアリー、エステート、パフォーマンス、クロスカントリーの機能を盛り込んだことがアピールポイントでした。1970年の誕生なので、奇しくも初代ジムニーと同い年です。

クラシックレンジの持つ機能性とコンセプトは、小栗さんなりにSJ30に注ぎ込まれました。だからこそ二階堂裕さんはこのモデルに惚れ込んだのでしょう。これは片岡さんも「ずいぶん先のことを考えていらした」と語っており、まさしく当時、国産車にそんなコンセプトの自動車はなかなか見られなかったわけです。だから都市型四駆などと揶揄されたものの、初代エスクードはクラシックレンジを追いかけたSJ30を苗床にしたと言っても過言ではないのです。

片岡さんのデザインを基に開発の進んだ初代エスクードの諸元は、二階堂さんによる企画でした。悪い言い方をすれば、ジムニーのコンセプトを守るために次期ジムニー計画を破棄させたのが二階堂さんですが、きちんとそれを回収してエスクードが誕生していく。このストーリーを知れば、ジムニーロードに書かれた二階堂さんの主張は頷けるのです。まあそれにしては、生みの親なんだけれどエスクードよりジムニーなおじさんなので、そこは突っ込みたいのですが。

挑戦するかどうかは本人次第

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ぷらすBLUEを預けてからこっち、霙自身の運用距離はそれほど大したことはなかったのですが、就職してから片道結構な通勤に使い始めています。といっても往時のとるねーどらすかるや今現在の「時々」のBLUEらすかるほどではありません。

しかしいずれ、BLUEらすかるは今以上に距離が出なくなるでしょうから、霙の運用は今後、大きなものとなるのです。

試算してみると、現在250000キロ台に入ったことから、あと5年、霙が「もう乗らない」と言わず、また、壊れずに走り続けると、現状の通勤において、ぷらすBLUEも月までの距離に届くのです。それくらいの年月は行けると思うのですが、距離という物理障壁にどれだけ耐えてくれるか。あとは彼女にその気があるか、です。少なくとも、簡単な距離ではないのですが。

 

とりあえず車検は彼女の財布が通しましたよ。 ←運行管理代行者じゃなかったのか?

リアルとフィクションの間に

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М78という星雲は、オリオン座の三ツ星の方向約1600光年の彼方に実在し、今から240年ほど昔の1780年にフランスの天文学者ピエール・メシャンが発見しました。発見歴に78という数字が混じっているところが、2020年という年回りのエポックです(書いててそれには意味がないとも気が付いた)

この星雲は、しかし、あのウルトラの一族が住んでいるМ78星雲とは別の天体です。彼らの故郷と太陽系は300万光年という距離を隔てています。

この際、どっちのМ78でも構わないんですけど、まあどう足掻いてもBLUEらすかるが辿り着ける場所じゃあないです。М78を示すんだったら、下二桁が78のときに見てみたかったのですが、残念ながらこの車を見つけたときには8万キロ以上になっていましたので、それから15年、ようやく上二桁で実現しました。

これがまた、数字は狙って撮影できたのに、日付が9月11日と、外してしまいました。BLUEらすかるは2005年9月5日に陸運登録され、9月10日に大勢の友人たちに出迎えていただいたのです。うへー、78よりそっちの方が重要だったじゃんかよー・・・

Team WESTWIN Warriors#150

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台風10号襲来の直前、ウエストウインにニューマシンの素体が届きました。島雄司監督によれば、

「いえね、TDAと同じくらい古くからやっている別の耐久レースに出たんですよ。それで中村隆君のコルトをぶっ壊してしまったので」

ということなんですが、

まあジムニー牙城のダートトライアルにエスクードで切り込んだチームですから、世間から見たらまともじゃない天邪鬼だと言われても仕方ないんですが・・・

これで走るんかい!(気分はもうすっかりWRC)

「レギュレーションがAT限定で1500ccまでなんですよ。残念ながらJ20A搭載じゃありません」

オートエアコンが付いているのがもう贅沢品です。距離もそんなに出ていなくて上品質。カーナビゲーションは外されてしまっており、川添哲朗君から「コースで迷うといかんので付けてくださいっ」という笑かしな要請も出ているそうです。

雪辱戦は10月25日。なんの雪辱かって? 監督、かなり腹に据えかねたことがあったらしいです。さてどうなることやら。

 

それはまた極論を言うなあ

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1台のクルマに多くなリスペクトを持つことは悪いことではないと思っています。そうでないと、初代のエスクードばかりに乗っている僕の立つ瀬がありませんし。しかし二階堂裕さん、思いきったことを言います。どこをどう切りつければ最新モデルが過去のモデルを超えられないのか。JB64とSJ30の比較論で、その決定打が「幌モデルが無い64」「オープン感覚味わえ乗り味も向上させた30」という部分なのは、無いものねだりのような気がします。

二階堂さんは海上自衛隊を辞してスズキに入社した人で、当時登場したSJ30を大いに気に入りスズキの門をたたいた。この二代目ジムニーの良さ、魅力を守るためなら、後に立ち上げられた次期ジムニー(おそらく乗用車化を視野に入れた構想だったと思われる)を第一回目の会議で蹴飛ばし、結果として次期ジムニーではなくエスクードを誕生させるに至っています。

だから初代エスクードのコンバーチブルは、SJ30FМの姿に通じるものがあります。二階堂さんとしてはこのFМよりも、センターピラーを持たない、フロントグラスを前方に倒せるFKに魅力を感じているのでしょう。

二階堂さんは本日発売のスーパースージー121号で、JB64では継承しきれなかった「本来のジムニーの様々な要素の復活」を求めているのですが、わかりやすいところとして「幌モデルが無い」というのは、開発陣に対していささか苦言の域が過ぎるなあ。そこだけ切り取っていいなら、ロクヨンはエスクードのゼロイチアールすら超えていないことになるんだけれど、僕がそれを言ったら炎上間違いないですね(図らずも言っちゃってるけど)

 

Team WESTWIN Warriors#149

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本ブログのヘッダー編集の際、古い写真ストックを点検していたら出てきたのですが、2008年秋の頃は、SIDEKICKさん、狼駄さん、コムロさんとも一つ乃至一つ以上前のエスクードに乗っていて、いま現役なのは左端の01R・ぷらすBLUEのみとなっています。ところで、センターにいるパジェロミニは、この頃川添哲朗くんが乗っていたナンバー付きダートトライアル専用車。は? なんでエスクード勢と彼のクルマが一緒に写っているんだ? の珍しい1枚です。

出自を説明すれば簡単な話で、エスクード勢は千葉市で開かれたレースを観戦に出かけ、川添君はそのダートアタックにウエストウインのドライバーとして、福岡からやってきたのです。

えっ? と思われるでしょうけれど、まだ二十代の川添くん、自走です。若いよなあ。自走で走ってきて、レースをこなして、また自走で帰っていったのです。監督の島雄司さんは、福岡から空路で先乗りして、狼駄さん宅で宴会しておりました(我々もですが)

ウエストウインのダートトライアルは、ここ10年をクローズアップしてきました。けれども、エスクードという括りを外せば、彼等若手はパジェロミニやエボリューションで走っており、この頃からエンジン自体はノーマル仕様で戦っておりました。後藤誠司くんはエボから番付を落としていますが、川添くんはパジェロミニを限界まで走り込ませ、初代エスクードを経由して現在の2代目エスクードに乗り継いでいきます。福岡・千葉往復なんて、クレバーなだけじゃないですね。

 

尚、あす6日に予定されていたTDAは、台風10号の影響により中止となりました。ついでと言っちゃなんですが、ウイリアムズ家、F1から撤退です。

縁起物!

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積算走行距離の六桁すべてが「7」なんてのは滅多に見られるものじゃありませんよ。これを記録するために、刻む日が日曜日(8月23日)に巡ってくるように走っておりました。

うーん・・・でもこのことは、地球と月を往復した距離というのを風化させてしまったということなんですよねえ。

と逡巡しながら書店に立ち寄ったら「宇宙兄弟」の38巻目が出ていました。

連載を読んでいないのでリアルタイムの展開は知りませんが、単行本では未だに月に取り残された南波六太たちの救助ミッションが序盤です。けれどもこの「帯」のコピーは、38巻目をねらって考えた月と地球の距離です。物語の彼らは近未来の人々で、2029年あたりと思われます。2020年の今、彼らが何をしているかというと、弟の日々人が JAXA宇宙飛行士選抜試験に昨年合格しています。

華麗なる時代

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これだけ切り取ったら「なんだこりゃ」なシーンですが、西部警察ほどの数ではないにせよ並み居るパトカーを従えて、僚機にFC携えて、エスクードのコンバーチブルが先頭を切って駆けつけるなんて、想像したこともありません。あーこれはこのあと攻撃されて全車木っ端微塵にされちゃうフラグ・・・かと心配もしましたが、とりあえずそういう展開にもなりません。89年7月に上映された、東映まんがまつりのプログラムに組まれていた「機動刑事ジバン」の場面です。

「機動刑事ジバン」は、おそらくスズキエスクードが劇中車として採用された初の番組で、初代モデルでまだ1型時代の提供車両。しかし「デビューの時代」にも書いたように、主人公が乗っていながら活躍しないとほほな扱い。たまに未舗装路を走っても採石場か畑のあぜ道程度の扱いで、壊したら何言われるかわからんぞという制作側の雰囲気が漂っていました。のちに「知りませんでした先輩」で後日談もありますが、まあ脇役に徹しています。

ジバン劇場版のシーンだって、全体から見たら他愛もないことは間違いないんですが、ここだけ見たら後年登場する「ゴジラvsメカゴジラ」の初代1型ハードトップに引けを取らない。もうこのあと田村直人刑事がジバンに変身してバイカンやレゾンに乗り換えてもいいですよ。だいたい提供したスズキもなんだつてコンバーチブルを出したのか、珍事としか思えないんですけど、なんとなく不遇のテレビ版を、劇場版が華麗に回収してくれています。