Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

ヘビーデューティ

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ふっじいさんが送ってきてくれた、中部電力の所有する四代目エスクード。

ほほー・・・スノーモビル引っ張ってるし!

あるのか74W!

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ナナヨンといっても、新型ジムニーシエラのことではありません。三代目エスクードのショートモデルもまた74のコードを持っていました。歴代エスクードの中でも最も短命で出荷台数自体最少だったかもしれない、超稀少車です。

コムロさんが、そのミニチェアを手に入れ、披露してくれましたがこれはまた珍品というか、あったのかよそんなの。

合金無垢状態のこれは、スズキのロゴ入り箱に収まっている。海外方面のメーカーサイドの発注ということでしょう(いやしかし右ハンドル)。昔からこの手の材質のミニチュアはありますが、このスケールでイメージすると、この先、つまり樹脂部品も塗装も付加された一般的なミニカーを制作する際のテストショットなのか? すると製品化まで行かなかったのか、あるいはどこかに存在するのか。いろいろと謎です。

うげげ・・・

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普段、後ろのドアは開けませんからねえ。しかも右後ろは四人目が乗らないとまるっきり使われないのが我が家の車たちです。

こんなになっているとは迂闊だったよ。この部分の車体構成パネルは、単価では7万いくらだということですが、交換修理は理想だけれど構成部分が大きくて手間暇がかかりそうなので、錆止めとパッチ溶接で修理です。

東北暮らしの最中、洗車を怠っていたわけではありません。下回りの洗浄も欠かさずやってきました。それでもタイヤからの跳ね上げをもろに受ける部分は腐食の進行が速いですね。

そういえば、この部分も見せてきましたけど先日の二階堂エスクードとのツーショットでは、ぱっと見たらBLUEらすかるの状態の方が断然よく見えます。同じ車体色なのです。エンジンフードなんか別の塗装色と思えるほど、TD51Wは焼けてしまっています。

「これは、あまりよくない」と、二階堂さん、51Wのワックスがけをされたようです。こうして手入れをしてくれると嬉しいものです。車検の残りは2020年11月まで。それまでは乗り続けてもらえますが、さてその頃にシエラのロングがうまいこと国内投入されるかどうか。海外発売の期日に追われて国内版は遅れているそうです。でも来年ってジムニー50周年に加え、スズキ100周年だからね。遅らすわけにはいかないでしょう。

 

Goldilocks zone

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霙がよく見かける01R

「最近よく見かけるんですよ」

と、霙が言うには、彼女が通学時に一時預けしている駐車場からぷらすBLUEを動かそうとする帰宅直前、だいたい同じ時間帯に駐車場前の通りを赤いTA01Rが駆け抜けていくのだと。

「それさー、タネを明かすとどうってことない話なんだけど、その赤い幌車って、お前も乗せてもらったことがあるエスクードだよ。きっと」

 

現在は「時」を待つときだとか

実に簡単なオチですが、AMGさんのコンバーチブルです。

まだ個体所有がはまたにさんだった頃だから、霙は小学生。はまたに夫妻と出かけた折に、後部座席に乗り込んだことがあります。その後彼女自身が幌車乗りになろうとは、という部分は別の話として、そのときの赤い幌車はAMGさんが乗り継いでくれています。

AMGさんはもともと、白い幌車乗りでしたが現在、この白は休眠に入っており、赤を使用中。白についてはいずれ、息子さんが乗り継ぐ構想だそうです。

 

奇跡と言えばそうなのかも

オチが見えるとどうってことのない話なんですが、我が家とAMGさん宅は半径10キロ圏内の近所で、霙のぷらすBLUEを加えると、この狭いエリアに初代エスクードの、しかもコンバーチブルがこれほど集積しているのです。

先日の夜僕も、ぷらすBLUEで移動中、AMGさんとすれ違いました。エスクードを知っている人が目撃したら、かなり貴重な瞬間だったのですが、そういう人たちの方が逆にいないので、当事者同士は単なる日常で過ごしてしまうのでした。

 

 

マラソンクラス5台目

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エスクードマイレッジに登録されている300余台の歴代エスクードの中で、しろくまさんが走らせるTD01Wが、2月2日に500000キロに達したとのことです。ここへ到達したのは登録車両内ではitoさん、雷蔵、kawaさんに続いて4台目。最長不倒距離の実証を行うきっかけとなった、既に伝説の尼崎のTD01Wも含めると5人目となります。最近「初代エスクードを見かけなくなった」「懐かしい」という声が多いけれど、これだけしぶとく血筋をつないでいます。

しろくまさんのエスクードは、現役500000キロ越えの中で唯一、5速ミッション搭載で1600ccであるというところも希少価値です。世の中にはこれくらい走っている個体が他にあるかもしれないし、いずれここへ届いてくる個体も必ずあると思われますが、その励みになります。

しかも、しろくまさんも一度走ると恐ろしい距離を移動する人なので、そのうちBLUEらすかるの距離を越えていくかもしれません。

走る阿呆に居る恵方

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節分です。が、何の関係もなく猿ヶ島。こじつけるなら「2019年の恵方は東北東」「つくばーど基地はSSC出版の東北東に位置する」という強引な論理で、TD51Wを運転させてもらいに出かけたのですが、これまた唐突に引き合いに出すならウエストウインの島社長が「J20Aの直4は最高ですよ」とおっしゃる意味がよくわかりました。

例えばこの浮き砂利の斜面。二階堂裕さんが乗るBLUEらすかるは楽に登りますがそれは車高を上げてあり大径タイヤだから。ノーマルでリアサス抜け気味規格品ラジアルタイヤの二階堂さんの51Wを運転して突入するのは覚悟がいりましたよ。斜面の直前に溝まで掘られて横切っている。うわこれは刺さるぞっ と思ったけど、そうはならず、助走なしで腹もこすらずどかどかと登ってしまいました。

あらためて初代の直4の2000が持つレスポンスの良さを認識しました。フロントは明らかにV6よりも軽い。だからストロークが不足している足回りでも、アクセルワークとタイミングでけっこう行けるのです。ただし、泥ねい地だったらどうなのか、そこは粘りのあるV6が、排気量差のトルク分も手伝って有利かもしれません。しかしそれを差し引いても二階堂さんのTD51Wは、30万キロものだということを感じさせないエンジンでした。

二階堂さんのあとを追随して(人様のクルマだと思ってなにやってんだか)走っていて、BLUEらすかるの足の動きも観察でき、それだけに

「いやいやいや、さすがにそこはノーマルじゃ無理でしょ」とビビりましたが、スタックもしなければ致命打も与えず、2度ばかりフレームをこすった程度で、ノーマルのエスクードでもけっこう走れるものだと再確認できました。

で、帰路の途上、やはりSSC出版の恵方の方角にフジ・オートがあるのだよと立ち寄ってみたら、こんな風景が・・・

うーむ・・・サンダとガイラかアボラスとバニラかグドンとツインテールかゴジラとビオランテ? 「居るとは思わなかったわ」来るとは思わなかったよ」てなオチと相成りましたよ。

撮り逃した

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東北電力で働く四駆といえばいろいろ車種がある中で、これなんかがそのひとつです。山中や雪中での視認性を上げるという意図もあると思われますが、消防、郵便関係と同様に独自のパーソナルカラーに塗装しており、まあシンプルなくせに目立つわけです。でもこれがジムニーであることから、こんな車体色になっていても当たり前すぎて素通りしてしまうのが日常です。

 

ところがです。先日山形市内で、四代目エスクードの鮮やかなレモンイエローとすれ違いまして、

「えっ? いつのまにスイフトみたいなカタログカラー増やしたんだ?」

と、つい思ってしまってカメラも出せずにやり過ごしたら、東北電力仕様でした。

しまったー・・・四代目で働くバージョンなんて初めて見たよ。まだすすけてもいないぴかぴかでした。なによりカタログでは存在しない車体色が鮮烈。

などと地団駄を踏んでいたら後日、やはり同社の仕様で白いやつにも出会うという。情報通信系の部門だとカタログ色そのままのようです。

片道ならクリアという不思議

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2018年のうちには間に合わなかった720000キロを1月14日に仙台市で踏破しました。こちらに転勤してきた時に330000キロからスタートしているので、東北在住期間で地球から月への片道分を走り切っております。

にもかかわらず、72万ではまだ往復には届いていないという(笑)

しかし、冬場に体調を崩すBLUEらすかるはまたしてもの事態に陥るのです。

えっ? ちょっと・・・このタイミングで電池切れですか。ってことでバッテリーを載せ替えたのですが、この警告灯が消えない。電圧計も11.5vまで落ち込んで回復しない。

うわ、オルタネータが壊れちまいましたよ。前回の故障が2015年の暮れで、そこからは140000キロ走っているから、まあ無理もないのか。やむを得ず明るいうちに基地までこの状態で帰ってきており、これからぷらすBLUEで仙台に戻ります。

行く方もなし恋の浦路

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津屋崎の
岸に寄る波返るとも
恋の浦路は
行く方もなし

福岡県福津市にある玄海国定公園には、こんな悲恋の昔話があるそうです。

曰く、博多の廻船問屋の倅である仙吉と、土地の庄屋藤七の娘嘉代は許嫁の仲でしたが、嘉代の美貌に横恋慕した藩主黒田長政の叔父・養心がその権力を振りかざし、御台所様介抱附添人として横取りを企てたがために、二人は小舟を出し玄界灘に身を投げ心中してしまうのでした。

この小舟が二人の辞世の句だけを運び流れ着いたのが津屋崎の浜辺で、後に恋の浦と呼ばれるようになったと(あくまで昔話です。史実とは言わないよ)

絆や蜜月、いろいろな言葉があると思われますが、力を持つ者に突如、行末を阻まれることはあるのだなあ。

何を言い出すのかこんなブログではわからないでしょうけれど、事実は小説より奇なり、です。いずれおわかりいただけるでしょう。

歴代エスクードの型式変遷

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確かに#3ってないんだよね

海外専売の車種にTA/TD#3に該当する車が有るのかな?

というツイートを見かけまして、ESCLEV の掲示板に参考リンクを貼ってはみたのですが、あそこの掲示板こそ開店休業なので知りうる限りの歴代型式を図版のようにまとめました。実際のウェブページには初代と二代目にわたるプロシードレバンテも網羅しています。尚、三代目までは機種記号の頭に本来ついている「E」や「LA」「CBA」などを省略しています。なぜそうなっているのかは、昔はそこを無意識に省いてしまう癖があったからで、深い意味はありません。

この一覧は国内仕様の歴代エスクードのみですが、過去の知人には北米でSIDEKICKSPORTSに乗っていた人がいまして、この車のエンジンは直四の1800cc、型式はTD21Wだと申告されていましたから、初代にも「2」のコードが打たれています。ところが同じモデルにTD02で登録されているものもあり、初代にはそのような謎もあります。

型式についてではありませんが、浜松のスズキ歴史館に展示されている欧州仕様の「エルトン・ジョン・モデル」は初代の11系フェイスでありながらエンジンは51系で、しかもコンバーチブルという、欧州カタログを見ないとどんな型式か不明なものもあるし、90年代初頭には1300ccを積んだ2WDが北米に出ていたこともあるそうですから、我々もどなたかミッシングリンクを埋められる人の助言が欲しいところです。