Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

そらさむくふゆとなる

そらさむくふゆとなる はコメントを受け付けていません

閉塞成冬、まだ関東平野に雪は着ていませんが、大雪の候です。ようやく冬の装いが落ち着いてきました。よもやここまで来て夏日が来るなんてことになったらぞっとします。そのためにも天地の「気」の対流には一区切りつけてもらい、閉塞となっていただきたい。だけど「大気」の対流には留まってもらっちゃ困るので、木枯らしに吹かれても文句は言わないことにします。まだまだあちこち駆け回らねばならないし。

本日あたりは快晴ならば太陽に続いて月が空に上がってくる頃。真冬の快晴の空の色は、昔乗った1989年式ヘリーハンセン・リミテッドの車体色に用いられていました。次に選んだのは真夜中の空で、今はたぶん夏の空の青なのだと思いますが、JA71に使われていたインビエルノ(古代スペイン語圏の冬の意)ブルー・メタリックをエスクードに流用した89年のヘリーハンセンリ・ミテッドは、代々続いた同系限定車の中でも最高傑作の色合いです。

 

だぶるの夢幻劇

だぶるの夢幻劇 はコメントを受け付けていません

しばらくファミレスに出かける機会が無かったので間が空きましたが、再開したらば幸先よしで、マスカットとオレンジの登場です。全六種類のうち四種までがそろいましたよ。

これで今後の確率はいつものように締め上げられるのですが、あとはレモンとストロベリー・リリーを残すのみです。

です・・・が!

なんとこの間、単身赴任中の霙が勤務地近傍の店舗に通っていてくれて、彼女としては高確率の三種類そろえで持ち帰ってくれておりました。

すまんっ、ぜんぶだぶらせてしまってるわ・・・

きたかぜこのはをはらう

きたかぜこのはをはらう はコメントを受け付けていません

小雪も中盤、朔風払葉の候。という割には方位計は北を指していませんが、里へ下りると丑三つ時の外気温に関しては北風と寒気の季節になっています。厳密なことを言うと、東京はつくばーど基地よりも西にあるんです。そこへ行くのになんで南東向いてるんだうちのクルマは。その東京都心はまだここまで冷え込んではいません。今週金曜日にはもう12月。師でもないのに、というより師ではないから走り回らされるんですよ、たぶん。

小雪の頃となりました

小雪の頃となりました はコメントを受け付けていません

「小雪」は今年の場合、昨日が「入り」でした。来月の6日くらいまでを「わずかな雪が降る頃」として割り当てています。暦の上で季節は今月8日に「立冬」を迎えたので、冬になっています。暖冬が予報されているし、ところによりその景色がまだまだ秋なので、関東平野に住んでいると実感がわきません。だけど必要に駆られて書き出す手紙は冬の装いです。「小雪の頃となりました」。ビジネス的な季節の挨拶を考えあぐねてもボキャブラリイも無いからこうしちゃいました。

実感がわかないと言いながら街に出ればクリスマス商戦の真っ最中。霰も霙も自分たちのクリスマス準備(仕事でそれどころじゃないよ、と言われました)の頃ですが、もともと仏教檀家の我が家には縁の無い風物感が加速しています。ほんとに雪が降ってくる前に、林道にでも出かけます。小雪の時期が過ぎたらBLUEらすかるは車検を通す準備となります。壊れなければ、密かな目論見まであと24カ月というところです。

 

緑の恐怖

緑の恐怖 はコメントを受け付けていません

などというタイトルですが、チルソナイト808の不定形カプセルが落ちていたり、ワイアール星人が夜な夜な徘徊したりはしません。

7月末には終わらなかった生垣の剪定やら枝打ちやらで、新月さん夫妻にほぼおんぶにだっこの作業日です。ひと夏で再びとんでもなく繁茂してます。恐怖とかうそぶいてる場合じゃないな。

新月さんたちに生垣の刈り込みをお願いしている間、こちらは夏に切り落とした雑木の枝をばらして薪にしています。斧で薪割するほどの太さではありませんが、やっているうちに切り出す薪の長さがだんだんと長くなっていくのは、何本も枝分かれしているため次第にめんどくささが表れたのでしょう。ボイラーに入れるわけじゃないし長さなんてこんなもんでいいわー、てな感じです。暮れの焚火には最低限の量を切り出せています。

これを続けながら、女性陣が運んでくる生垣の枝葉を燃やす火の番を仰せつかり、足元は切粉で埋もれ、頭からは灰を被りまくりです。燃やす枝葉はだ生木ですから煙も出ます。こりゃ風ひかんですむわー(行事が違う)。生垣の刈り込み量は全体で軽トラなら三杯分くらい。軽トラは無いので猫車です。運んでくる方が重労働なのに、切粉と灰まみれをいいことに「監督は損な役でねー」などと訳の分からないことも言います。先週のデイキャンプと違って小春日和の良い作業でした。

つばきはじめてひらく

つばきはじめてひらく はコメントを受け付けていません

写真はテストキャンプのときのものです。明日の早朝にこれを作って(いただいて、と書けと家内が言う)、つくばーど®in岩間33に持って行く予定です。まだ天気の心配もありますけど、晴れても最高気温が10℃くらいというので、カレーライスを援護するのには向いているのではないかと思います。11月に入っても夏日続きでしたが、この気温予報だと今月一番低くなりますから、参加される方々は秋冬装備でおいでください。ご自身用椅子もお忘れなく。

7日に立冬を迎え、今日あたりまでを「山茶始開」(つばきはじめてひらく)と呼んで冬の装いを気取るものだとか。山茶の花ってサザンカのことなんですが、中国ではツバキ科をひっくるめて山茶花としていたようです。

開催は昼飯時の今回のつくばーど®ですが、字面だけもらってくれば山で開くデイキャンプ(茶会)ともとれるよなあと、最初は思っていたんですよ。ところが立冬の初侯は本日までで、明日の開催日から地始凍(ちはじめてこおる)に移行するのです。

こういうところが間の抜けたつくばーど®です。

間抜けついでに緊急連絡

うっかりジンクスを忘れていました。

初物の際には雨が降る。今回初参加の人はいないから油断していましたが、場所が初でした。よって11日は朝から雨予報となっており、雨よけの無い現地での開催はリスクを伴うという判断で、会場を「3月に開いた天狗の森中腹のあずまや」に変更します。参加連絡と調整検討の連絡をいただいた方々には個々にお知らせしておりますが、ご周知願います。

で・・・なんか雨が回避されている予報に二転三転・・・

戦場ヶ原はもう冬なのさ

戦場ヶ原はもう冬なのさ はコメントを受け付けていません

「下界の夏日と違って、標高1000mの上の方は秋が一週間くらいしか留まっていなかった」と、仕事で出かけて行った中禅寺湖畔で会った人が言っていました。それでは身を切るような寒さだったかというとそうでもなくて、木々よりも人間(僕のみ)の方が鈍感なんだと認識しておりました。言われてみれば紅葉はいろは坂の麓の方でもピークを過ぎていた気がします。修理後のエンジンが1000m登った気圧の変化でも大丈夫なことを確認できたから良いのです。

このペースでいけば、12月の上旬には900000kmの大台に乗せられそうです。車検前に刻んでおきたいところです。そこから先の話は、想像は出来てもどうなることやら全くわかりませんが。この冬は暖冬だという予想も聞こえてきたので、クルマへの負荷が少なくて済むのはありがたいことです。といっても、戦場ヶ原よりも遥か上空に流れ込んでくる寒気は例年通りでしょうから、南岸低気圧が来るときには例外なく雪になるので、油断もできません。

 

喰ったわ 欧米には無いであろうハロウィン弁当

喰ったわ 欧米には無いであろうハロウィン弁当 はコメントを受け付けていません

実はことしの10月31日記事にはかぼちゃの話を書いていたのですが、新帝国WANIから冷蔵庫への奇襲を受けたため、せっかくの冷凍保存物を開封せざるを得ず(昨日の記事参照)、記事の差し替えに至っています。前段として書くと、マッシュポテトにキャベツ、ベーコン、香草を加え牛乳、バター、塩などで味付けしたコルカノンや、ジャガイモベースのパンケーキのボクスティなどがアイルランドの伝統料理で、米を炊いて炒めるものは無さそうです。

中国のハロウィンというと、仮装パーティーが流行りだそうですが、ハロウィン料理となると聞いたことが無いけど、飲茶なんていくらでもアレンジできそう。送られてきた崎陽軒の黒炒飯弁当は、店頭売りの折り詰め物より一回り小さく、残念ながらかぼちゃの素揚げはオミットされています。そもそもアイルランドじゃかぼちゃ食ってないらしいし、アメリカでも食ってる話はハロウィンではなく感謝祭。それならうちは黒炒飯と焼売の「横浜中華街風」で充分です。

ここまで来るともうハロウィンどうでもよくなってますが、「弁当」を編み出したのはレーションとして活用した織田信長だと言われたり、平安貴族の行楽時の携行食とも云われています。はたまた宋の時代に用いられていた「便當」が語源という説もあるので、そんなもんどこの国でだって思いつくわなと片づけちゃいます。とりあえず黒炒飯弁当と肉まん一個が、昼飯としてはちょうどいい分量でした。冷凍庫にも余力が残っています。かぼちゃの話はまた来年。

 

 

歴史があとから寄り添ってきた

歴史があとから寄り添ってきた はコメントを受け付けていません

なんだってわざわざデロリアン・タイムマシンの話題を二日にわたってやっているのかと言えば、25日はタイムマシンが完成した日で、26日に(「バック・トゥ・ザ・フューチャー」内で)人類初の・・・初のタイムトラベラーは犬でしたが・・・タイムマシン発動が実験されたからです。このときのデロリアン・DMC-12は、通常走行にガソリンエンジン、タイムマシンを動作させる電力供給に原子力を使用していましたが、この発電システムが変更されます。

2015年、MR.FUSION社による「HOME ENERGY REACTOR」が新たに搭載され、生ごみなどを燃料としたシステムに換装されたデロリアン。いやちょっと待て、REACTORって、これはバイオリアクターという解釈で良いんでしょうか? 80年代の考えでは2015年の技術として高効率バイオリアクターが普及していて、コーヒーミルサイズ(実際にコーヒーミルだもの)で売られているとの設定だったのでしょう。

そこに突っ込みを入れるつもりではなく、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は1985年を軸に過去・未来それぞれ30年分の歴史を跨ぐのが、一作目と二作目の展開でした。ここで近未来を描いた2015年の世界は、原子力とは異なる(と思われる)環境保全型エネルギー発生機関を実現させていることに注目しました。もちろん、映画が上映された当時ではなく、現実の2015年を過ごしてからのことです。

世界は、2011年の東日本大震災と、不幸にも副次的に起きてしまった原子炉のメルトダウンを重くとらえていたということなのでしょう。映画の物語に対して、歴史が後からくっついてきただけのことなんですが、物語の中で2015年を体験したエメット・ブラウン博士は、日本という国で起きた未曽有の災害と影響についても知り得たはずで、だからこそデロリアンのシステムは換えねばならないと考えたのだと、今ならば思えるわけです。

 

雨はやがて止んでいった

2 Comments »

1976年10月24日は、F1世界選手権イン・ジャパンとして日本初のF1レースが開催された日でした。初開催にしてニキ・ラウダとジェームズ・ハントのチャンピオンシップを賭けた最終ラウンドだったり、ラウダが危険を訴え自らリタイアしたり、それでハントが易々と年間チャンピオンになったかというとそうでもなかったり、意外にもこのラウンドの優勝者であるマリオ・アンドレッティは71年の初優勝以来の表彰台だったりと、実に沢山のドラマが展開しました。

2周目でフェラーリを停車させたラウダは、それでもハントにはこの雨天のレースでポイントを覆すことはできないと確信していたのか、まさかのいずれ雨は上がるから、ハントはやるだろうと憶測していたのか。それは誰にも分らないことですが、レース終盤には雨雲は去り、路面はドライコンディションになっていました。

ラウダとハントの人生のレースは、奔放な暮らしぶりの末若くして亡くなったハントに対して、火傷の重症から復帰し2019年まで様々な活動と事業を続けたラウダ。こればかりは勝敗を付けられないと思いますが、伏兵というか、アンドレッティは今なおお達者というのがおどろきです。ハントが逝去して、いつの間にか30年が経ちました。