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  ~懲りない傾向~

もうすっかり身内なグリフォン

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そう言えば「スズキエスクード」と「機動警察パトレイバー」は同級生でしたので、パトレイバーも本年35周年(まあそのことは4月に書いてるんですけど)ということで、土浦市役所がにぎやかだなあと思ったら、2階フロアにあのタイプJ9グリフォンの立像が奉られてしまいました。以前、パトレイバー展において展示されたグリフォン立像と同スケールのものを、地元のライオンズクラブが製作発注して寄贈したのだそうです。

いやー・・・またしても思うんですが、多国籍企業の裏側で犯罪組織も抱え込んでしまって(行きがかり上、ね)、その邪な部分が生み出したという出自のグリフォンでも、土浦ではすっかり身内扱いというのが、もう呆れるのをやめて微笑ましくさえ感じてしまいます。「シャフトエンタープライズジャパン・土浦研究所謹製」、なんて罪深い言葉なんだろう。

しかし地元のニュース記事を読むと、馬鹿の一つ覚えで「機動警察パトレイバー=アニメ」と決めつけている。この立像企画関係者が同作のメディアミックス性を知らないし、土浦市自身が「アニメで街おこし」などと言っちゃうのをまた鵜呑みにするマスコミも、所詮は街ネタ扱い程度でしかないということです。

グリフォンはアニメ版よりも漫画版の方で先んじて登場していますから。

ミラクルマンたちの邂逅

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ウルトラセブン放送開始55年を記念したいくつかのプログラムのうち、2023年の世界でモロボシダンと薩摩次郎が出逢うという新作セブンが、サブスクリプションにて配信されています。日本人の男性に擬態したペガッサ星人と、往時のままとしか思えないマゼラン星人マヤも出てくる中で、世界のパラドックスによる破滅の特異点扱い? なアンヌがなんとも邪魔に感じます。でも、今どきの脚本家はこんなのを描けるのかと、ちょっと感心しています。

それにしてもペガッサ星人とマゼラン星人、地球に取り残されて孤独の歳月を過ごしてきた二人とも、55年前のドラマと異なり滅びていなかったことは、ペガッサのダークゾーンによる時空の変化なのでしょうけれど、このドラマにおいては絶妙なキャスティングです。このシーンにて二人がすれ違っていますが、どうやら二人のいる世界もまた別次元のようで、アンヌはマゼラン星人のいる世界に迷い込んでいます。

マゼラン星人マヤ役の岡井みおんさんは、往時の香野百合子さんに似た雰囲気の女優として起用された人ですが、香野さんとはやはり別人なので衣装の合わせによる雰囲気作りが効いているのだと感じます。それでもあの日、ジュークボックスに仕掛けられていた自滅装置の悲劇をこのような演出で「無かったことにした」のはよかった。宇宙人同士の再会という形で、アンヌとではなく彼女とダンが巡り会うベタな(アンヌこそベタですが)展開を見たかった。

もう無いだろうと僕も思ってましたよ

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「ゴジラvsメカゴジラ」の封切りから30年となりました。いやー、この映画になんで入れ込んでいるかって、劇中にスズキエスクードが登場するからで、過去に「端役ながら大役」「だから鵜呑みにしてはいけないぜ」を書いているほどです。こうなると、30年経ったよということ以外に、エスクードを絡めた「vsメカゴジラ」のことでは書けるものはもう残っていないなあと、僕自身が思っていたわけですよ。

そしたら当時、こんなムックを買っていたことを、不意に記憶の底から呼び覚ましてしまい、しばらく発掘作業をしていました。30年だもの、どこに片づけたかなんて忘れちゃってましたよ。ついでに言えば、ゴジラ映画ごときでムックなんか、普通なら買いません。この本に関しては、主役メカとなったメカゴジラ、ガルーダと同じページに、あの(しつこい)エスクードが掲載されていたからです。いやほんとにそれだけの理由。

テキストの内容はほぼ記憶から消えていました。読み直してみたら、エスクードが登場するシーンは、脚本上では単に「クラシックカー」とだけ書かれていました。車種の吟味もなされていなかったのです。この車がエスクードではない可能性もあった。現地調達を果たした大道具小道具さんたち、とてつもなくよい仕事をしてくれていた(僕にだけのことですけどね)のでした。しかし絵コンテにはすべてのシーンとも描かれていませんでした。

さて多分「vsメカゴジラ」とエスクードの話題は本当にこれが打ち止めになると思いますからもう一冊、「ゴジラ1954‐1999超全集」というのが上記のムックよりもあとに出版されております。上記の出版は東宝本家、ゴジラ生誕40周年と、本多猪四郎さんの追悼をうたっています。こちらは小学館からのリリースでしたが、本多さんに加えて田中友幸さんの追悼も加わり、円谷英二さんも含めたゴジラ生みの親たちに捧ぐとされています。

ここでも、1993年の「vsメカゴジラ」は当たり前に扱われています。そうです、ストーリー紹介のスチル群に、Gフォース本部玄関口近くに駐車されたあのエスクードも、またもや200ページを超える一冊の中のわずか1ページの、たった一コマにて掲載されているのです。残念ながら「vsデストロイア」に出てくる民間人のV6ノマドまでは網羅されていませんが、クルマジャンルと全く異なる書籍で2冊にわたって載っていることが、30年前としては快挙でした。

でもさー、これって結局Gフォースの建物と主演にあたる青木一馬のスチルであって、しかも同じ場面じゃんよー。と、長年、自嘲(なんで俺が俺を笑わねばならんのかわからん話ですけどね)していたのです。ところがそれぞれの掲載スチルをよーく見ると、東宝版と小学館版とではアングルが異なり、映画フィルムから起こしたものだとすればカメラのパンの状況から、小学館版の方が車を降りた直後のようです。そうだったのかと、まさしく愛蔵版の2冊となりました。

この宇宙に愛を

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「超人ロック 憧憬」が出版され、これで本当に聖悠紀さんが描いたロックは、未発表原稿でも出てこない限り最後の一冊となりました。今後しばらくしてどなたかが新章の扉を開けるかもしれません。「憧憬」で既に、アシスタントの佐々倉咲良さんが最終話を描いています。幾多の漫画がそうやって描かれています。でもやっぱりそれは多元別次元の超人なんですよ。むしろ「憧憬」に登場する海賊が語っているセリフ(本書の帯にも記載)こそが、永遠を紡ぐのかもしれません。

この本、別章の「ロックインザボックス」との二本立てなのですが、こっちはスラップスティックなコメディー仕立てながら、多元宇宙のロックが大勢出てきます。人それぞれの中の記憶や記録が永遠を紡ぐ手立てになるかもしれないと思わせる、不思議なカップリングになっています。

銀河のスパーク流星のスピード

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ぼちぼち本年のヒーロー周年ものも店じまい時期です。1993年12月5日は、「ウルトラマンパワード」の第1話がビデオリリースされた日。ハリウッドで初代ウルトラマンをリブートさせたことがエポックでしたが、ウルトラマンの造形についてはアメリカに日和りすぎた感が否めず、誰の演出なのかM78から来た異星人なのに(日系人と融合したからなのか?)決めポーズの一つが合掌という妙なキャラ感で浮いた部分もありました。

特撮技法についてはオープンセットや操演など、意外と古典的な手段を効果的に用いており、脚本(ベースを執筆した伊藤和典さんと山口宏さんの進言と、向こうの作家側のテイストがうまくまとまった)も初代リブート+αな秀作だったと思います。ただこのウルトラマンは戦い方にも演出上の制約を受けてか巨人らしさの表現か、序盤は鈍重。相撲の鉄砲が意識されているようですが、関取だってもっと俊敏。

防衛チームのセットや航空機のデザインはウルトラマンよりも(趣味的にですよ)よく出来ていました。際立ったのは変身に用いるフラッシュプリズムが独鈷杵の形をしていること。いかにも密教なんですが意匠のまとめ方もさることながら、これを握った変身のシークエンス時、初代の縦型ベーターカプセルは発煙筒でも焚くのか?な姿なのです。横型のフラッシュプリズムはごく自然に拳を突き上げることができる。玩具の中にも異星の工業製品的なテイストを産み出した傑作です。

知らなかったわその誕生日

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12月になってしまいました。個人的に昨年の11月以降腑抜けた生き方をしてきた僕ですが、年が明けたら喝を入れ直そうと思うだけは思う最近です。

そんな折、因果な12月1日を初めて知りました。宮水三葉と立花瀧って、それぞれ1996年と1999年の12月1日に誕生していたんです。だからどうしたかというと、1996年はうちのV6‐2500のエスクードの年式。1999年は第一回目のつくばーどを開いた年でした。

いや、だからどうした? な話なんですけどね。そもそも12月1日の日付はどっちにも関係ないし。

そういえば「君の名は。」を生意気にも再解釈しながら映画化するとかなんとかハリウッドが息巻いてから、もう6年経っちゃいましたよ。脚本上がったんでしょうか、キャスト決まったんでしょうか。←本日の記事に関しての逃げ口上。

「素晴らしすぎて泣けてくるねえ…この眺め」

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2023年11月12日に、大気圏再突入時のトラブルに見舞われた宇宙飛行士ブライアン・Jは2人のクルーと共に殉職しますが、そんな事象のフィーチャーなぞしたくもない。だけど近未来が現実に追いつかれてしまったのです。

アルテミス計画におけるオリオン宇宙船の大気圏再突入日からミッションに基づく逆算をすると、1日か2日の誤差を考えながらもたぶん本日11月6日あたりに、彼は月への置き土産を設置しているはずです。

この人形は、3年後に南波日々人が発見し、6年後にブライアンの兄・エディが彼の分の人形を持ってくるまでずっと、時を刻み続けます。元々はブライアンが産まれた年に月面着陸を果たしたニール・アームストロングとバズ・オルドリンを模した人形でしたが、彼らは少年時代にこれを買い求め乍ら、自分たちも月へ行くぞと誓い合って、それを成し遂げた証なのです。

ブライアンとエディの物語は、南波兄弟のそれを先んじて語られる「宇宙兄弟」のひとつの在りようです。

それと同時にブライアン人形は月面で遭難した日々人の命を救い、その場所にブライアンと名付けられた酸素供給機器が到着するような、マンガだとわかっていても胸の熱くなる展開を見せ、エディのミッションチームには兄の六太が同行しており、南波兄弟の月面でのそろい踏みに導いていくのです。

連結メカニックは日本のお家芸というべきか

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先日、「0(ゼロ)テスターが放送50年」という内容の記事をインターネット上で見かけて、大昔に分離できないミニカーサイズのテスター1号廉価版玩具を持っていたなあと思い出しながら、当時ってあちこちで「サンダーバードに追いつけ追い越せ」のメカニック設定が盛んだったのかと感じました。エポックメイキングはウルトラホーク1号、これにシュピーゲルが追随し、アニメの世界ではテスター1号が先鞭をつけたのです。

3機合体というシステムは「サンダーバード」では少なかったギミックで(映画版には唯一、ZERO-Xという4段式宇宙船・探検車がゲストメカで出てくるけれど)、レギュラーメカニックとしては「謎の円盤UFО」でスカイダイバーやルナキャリアが登場しますが母艦・母船との分離は2分割でした。むしろその方がリアルで、3機ものフォーメーションでドッキングなんて、玩具売らんかなの前提とはいえ無茶なシステムだと今更ながらに思います。しかしそれこそが日本のお家芸で、枠を拡げれば3機どころか5機以上のメカ合体は呆れるほどの数に上ります。変形して合体するとヒトガタにまでなっちゃうし。

「0テスター」には2号機以降のまさしくサンダーバード的な展開もありましたが、テスター1号の合体分離ギミックが特撮からの継承を果たします。これが翌年の「宇宙戦艦ヤマト」でぶった切られながらも、ウルトラホークに始まる3機構成メカニックは折に触れ登場を続けました。しかし主役を張ろうとすると巨大ロボに行ってしまった感もあり、「0テスター」の正統とも言うべき巨人や巨大ロボに頼らない合体メカニック主体番組は「科学救助隊テクノボイジャー」まで約9年を待つことになります。が、「テクノボイジャー」はTB17号まであるという破天荒なマーチャンダイジングものなのに、打ち切りの余波を受けて玩具が全く発売されずに終了しました。

この半世紀に出てきた乗り物系合体メカニックは枚挙にいとまがなかったと言えるのですが、最近はなりきり系の変身アイテムや武器に取って代わられ、こうした航空機や宇宙船ものが激減してしまったのは寂しい限りです。

tell us what is left in the end

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ついうっかり、21日に書くべきだった「銀河漂流バイファム」のことを忘れていました。因縁なのです。40年前の10月21日、僕はその第1話を見逃していました。つまり「なんてこった。またやっちまったぜ」です。「聖戦士ダンバイン」「装甲騎兵ボトムズ」に対して、見比べてみれば極めて正統派なロボットアニメであり、しかも当時の日本サンライズ得意の何かしらモチーフを持ち込む作風に「十五少年漂流記」をあてがった群像劇でした。

監督の神田武幸さんもキャラクターデザインの芦田豊雄さんも既に鬼籍に入って久しい人たちですが、このコンビならではの味のある物語。十五ならぬ13人の少年少女たちを、四十数光年離れた地球へ帰還させるという初期のプロットは、それでもつのか?とも思わせ、またぞろ打ち切り路線かと思いきやファンの直訴で梃入れも行われ、めでたく大団円に至りました。大河原邦男さんのロボットデザインがあっさり目なのも好感を持てました。

結局全46話を通してすべて見ることにはならなかった本放送でした。実際に途中で終了してしまった地方もあるとか。僕は運良く最終回をリアルタイムで目にすることができたのですが、第1話からのオープニングラストで飛んでいた折り紙飛行機が、大団円を飾る伏線だったことを知るに至って、こんな素敵なジュブナイルを作るとは!と目頭を熱くするのでした。TAОの主題歌は斬新で、渡辺俊幸さんの楽曲も心地よく、贅沢な番組だったのです。

 

タイムマシンが完成した日

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タイムマシンと言っても古今東西様々な機械が考案されているので10月25日と一概に決めつけられませんが、あのデロリアンDMC-12をベースとした、ドクことエメット・ブラウン博士によるタイムマシンは、1985年のこの日に完成しています。タイムスリップに必要な1.21ジゴワットの発電を行うため、ドクが選択したのは原子力。この人は意外にあこぎで、原子炉用のプルトニウムを、テロリストをだまくらかして強奪させるマッドサイエンティストです。

ドクがタイムスリップの原理となる次元転移装置にひらめいたのは1955年。30年かけてこれを作り上げ「見た目がかっこいい」という理由でDMC-12を筐体に用います。現実的な原子炉がこのサイズに収まるのか?と常々思っていますが、これがプルトニウム枯渇で使えないとなると、落雷の電気エネルギーで代用するアイデアを繰り出すほどの天才です。

残念ながら80年代までの技術では(ある意味では現代でも)、落雷の電力を捕獲し蓄電することは不可能のため、原子力に行ってしまうのはやむを得ないことですけど、この設定のために、唯一「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で納得できない部分が産まれてしまいました。

しかし、いわゆるpart2への布石となっているラストシーンにて、DMC-12に積まれた次元転移装置発電用システムは一新されています。そこで留飲は下がるのですが、それはまた明日のお話に。