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  ~懲りない傾向~

メタルヒーローの系譜

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1985年3月15日に始まった「巨獣特捜ジャスピオン」は、東映メタルヒーローのシリーズ第4作に括られていますが、それ以前の「ギャバン」「シャリバン」「シャイダー」はどちらかと言えば宇宙刑事シリーズとという冠も持っていたので、ジャスピオンにおいて「メタルヒーロー」というカテゴリーが成立したのではないかと思います。仮面ライダー、スーパー戦隊とは別格のヒーロー像を創造する意欲が、この頃はまだまだ元気良かったのだということです。

ただ、前3作にわたる母艦、タンク、バイクといったプロップやレーザー剣などを踏襲しすぎて玩具面では飽きられかけていた面もあり、超惑星戦闘母艦ダイレオンなどは戦闘巨人に変形もできるのに、売れ行きは振るわなかったそうです。主人公が野生児という部分にも違和感があったかもしれません。が、次作の「時空戦士スピルバン」においてこれらのプロップが引き継がれ人気を出しているのだから、メタルヒーローの立派な橋渡し番組になりえたのです。

怪獣映画の矜持

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1995年3月11日に封切られた「ガメラ 大怪獣空中決戦」は、当時エンターテイメント路線に回帰しながら現代的な考証をそれなりに施していた「vsゴジラシリーズ」を、さらに一皮むいた出来栄えを持っていました。巨大生物のスケール感をもたらし、それがなぜそこに現れたのか、現れるとどうなるのか、そもそもそいつらは何者なのか。後に三部作となっていく「平成ガメラ」の幕開けとして、温故知新な映像とドラマがちりばめられていたと思います。

だからなのか、全てが描ききれない大盛りを超えた特盛りの中でも、怪獣映画でやるべきこととやりたいことはきちんと詰め合わせていた。言い換えると「やりすぎていない」ところが良作なのです。「2」「GⅢ」ではガメラの強さがインフレしてしまう部分もありますから。誤解なきよう加えると、僕は「ガメラ2レギオン襲来」なんかは大好きです。それでいて1作目が「ある程度怖い怪獣映画」を描いたことには脱帽しています。vsシリーズになったゴジラにはそういうものが失われていたし。

もうひとつの幸運、この映画で美しく大人になった中山忍さんの姿を見られたことは言うまでもありません(先日、ウイングマンでお母さんやっていた。それほど歳月が過ぎてしまった)。亡くなられた美穂さんには悪いけど、「ねーちゃんよりいいよな(「ラブレター」を除いて)」と思っていました。怪獣には美女です。キングコングの時代から。やるじゃねーか金子修介も樋口真嗣も(笑 金子さんなんかは出自がモノを言ってるし)。作り手のプライドを垣間見る怪獣映画でした。

宿敵は本当にTFだったのか

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1985年当時の雑誌記事内容を記憶からサルベージすると、「高速移動型へ可変するモビルスーツ」「当座の敵は巨人族を名乗る特別部隊」「中国系の名前を持つヒロイン」というキーワードが取り沙汰されていました。この年の3月2日に放送開始となった「機動戦士Zガンダム」は、スポンサーの意向によって、人気を盛り上げていた「トランスフォーマー玩具」への対抗措置と云われていますが、これらのキーワードには別の番組の影がちらついているような気がします。

「Z」は一年戦争の七年後を舞台としていますが、続々と新鋭機が出る(しかも可変機体などはかなりのコスト高)軍拡の時代と感じます。その一点において、「めぐりあい宇宙編」の大団円が薄められたようでいやだったのです。巨大ロボットは昔から戦う道具という宿命を背負っているので致し方ないけれど。後年、物語の改変まで行って「フィルムが全て」という以前のポリシーを曲げるなど、「Zガンダム」は翻弄され、それでもそこから40年ものシリーズ化を築く礎となりました。

でも実は49作目

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スーパー戦隊シリーズなんて言葉は後から造られたもので、今で言う「秘密戦隊ゴレンジャー」や「ジャッカー電撃隊」は当初、その括りにすら入れられなかったのですが、紆余曲折しながらシリーズ一本化したおかげで本年(4月5日)が50周年。あきれるほどに凄いものです。「ウルトラ」「ライダー」も持続はしていますが中断休止の時期もあった。スーパー戦隊は半世紀にわたって絶え間なく繰り出されている、ただ一つの特撮ヒーロー番組なのです。

そのただ一つの系譜を引き継ぐ50番目の戦隊が、本日放送開始となる「ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー」。50年目で50番目ですが実は番組として見ると49作目。ゴレンジャーが2年に及ぶ長丁場だったからです。ところが「ルパンレンジャーvsパトレンジャー」という二大戦隊を途中にちりばめていることで、うまいこと50番目を襲名でき、2026年の新戦隊には「50作目」の冠も与えられるおいしい年まわりになっています。しかし子供の憧れ番組にそういう商魂ちらつかせちゃいかんわ。

出すぎた杭は打たれない・・・はずなんだけど

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「出すぎた杭は打たれない」と言ったのは松下幸之助さんでした。中途半端で批判を恐れていては良い結果は得られない、信念をもって事に当たれという教えだったのですが、世の中そんなに甘くない。それをやり過ぎと解釈され邪魔だと疎まれれば、場の空気やらコスト論やらで潰されてしまうのが社会の構造になってしまいました。「仮面ライダークウガ」と「仮面ライダー響鬼」は、どちらも批判が無かったわけではありませんが2000年以降の仮面ライダーとして秀作でした。

しかしどちらも上記のような楽屋裏の騒動の末に、前者では警戒視線が生まれ、後者で遂に路線変更とプロデューサー更迭の顛末となりました。25年前のクウガは「仮面ライダーでなくてはならなかった」、20年前の響鬼は「仮面ライダーから脱したかった」という宿縁を背負い、それぞれが平成時代の新機軸を産み落としたけれど、内情として伝わるものには後味の悪さが残ります。そしてこの二作のようなライダーを超えてくるものもない。本日は両者の第一話の日です。

ワンツースリーっ

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12月3日もそうかもしれないような気もするんですが、1月23日こそが「ワンツースリーの日」として記念日制定されています。長野県佐久市に所在する一般社団法人日本記念日協会によるもので、同会がまだ任意団体だった1987年に定められています。その心は「自らの人生において跳躍する気持ちになろう」説と、「何事も一歩、二歩、三歩と踏みしめていこう」説とがあるようです。まあどちらももっともなお話です。明日に微笑みあるだけの人生はなかなか悪くない。

兄ちゃんは今年還暦な兄弟戦士

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1985年はバイクに乗って戦うあのヒーロー不在の頃でしたが、企画面で原作クレジットとしてかかわった石ノ森章太郎さんが「兄弟拳バイクロッサー」を世に送り出しています。キャラクターや小道具大道具を見れば、これはもう玩具企画が先行していることが分かりますけど、石ノ森ネームバリューは棄て置けないものだったのでしょう。主人公の一人、兄・水野拳は1965年の元日生まれで、本年還暦を迎えています。弟・水野銀次郎が乗るバイクを担いで砲撃する力持ちです。

放送局の違いからなのか、この二人は類型的にメタルヒーローと思われるのだけれど、そのシリーズには取り込まれていません。前年前作の「星雲仮面マシンマン」も同様でした。母艦があり戦闘車両と戦闘バイクがあり必殺武器のバイクを担いでしまうギミックなど、そうそう悪くもないアイデアだったと評価できるのですが、町内ヒーローというスケール感や悪役の扱いで、さほど人気は高まらなかった。ブルマー履いてタイツのような脚部が、僕は嫌いでした。40年前の本日登場。

マスカーワールド(仮面の世界ではないよ)

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大雑把な部分は自分でやりますが、ヘッドライトやテールランプのような微細で複雑な形状のところは、もはや目がついて行かないし指がごつすぎて太刀打ちできないのです。

年末に作業して休みの間に完成させるつもりでしたが無理だなこりゃ。という窮地はやはり霙が救ってくれます。あとは期間にこだわらずのんびりやります。

それにしても1/43スケールで流用させてほしいパーツというのはまず無いですね。そんなサイズの模型自体が無いんだから。仕方なくタミヤの1/35で加工できそうなものを、これまた直感ヤマ感で選んできます。98%は使わないままジャンク行きです。最大の問題は、頭の中のイメージを再現できるだけの器用さが無いってことなんです。

20年目の斗折蛇行

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唐代の文学者であり高級官僚であった柳宗元(りゅう そうげん)が綴った「斗折蛇行」という言葉は、北斗七星のような折れ曲がる星座の配置と、蛇の進むが如くうねりを、道や川の続く様として表しています。この言葉と関わるわけではありませんが、彼もまた優秀な役人であったのに、上層部の政変で左遷の憂き目にあった男でした。

人は大なり小なり紆余曲折な暮らしを続けていますが、そのことはさておきうちのスズキエスクードTD61Wは、乗っている自分が言うのもなんですが、これほどこの言葉が似合うエスクードを他に見ない道のりを走り続けています。海外に持ち出された古い個体には、おそらくうちのエスクード並みの積算走行距離を刻んでいる物があるかもしれませんが、少なくとも日本という国内において、あと約50000キロでオドメータがリセットされるような(リセットされるかどうかスズキもわからないと言っているという)個体は無いと思います。

この個体は90000キロ直前で下取りに出された1台でしたが、二人目のユーザーとの出逢いは20年前のことです。これまた自分で言うのかの話ですが「厄介な奴に見つかっちゃったよね」の始まりが、2005年の夏のこと。そこから文字通り「とせつ・だこう」の日々が繰り広げられています。走ったし壊したし壊れたしで、見てくれ以上に満身創痍です。「斗折蛇行」と言いながらも、走らせる意志と走る力が微塵もぶれていないことだけ、この個体の見どころです。

まだまだ行先は各地に折れ曲がって所在し、そこへたどり着く道のりも未踏でうねうねと曲がっているのですが、今年も淡々と走り続けるのみです。

 

遅くなりましたが報告しますと、12月30日夜、急な鳩尾の痛みと嘔吐で倒れまして、県立総合病院に電話をしたら救急外来が混雑しているけれど、来るだけ来てみなさいと。雫さんに運転してもらって駆け込んでみると電話のときのピークは過ぎたのかもともと混雑していなかったのか、すんなり診察に回されました。

ここら辺の経過はほとんど覚えていませんが、あとから情報を加えると、触診とか心電図とかCTスキャンでわかったのが胆石。しかも胆道と胆嚢の接点に確認されステンドを入れて胆道確保の必要アリと。しかし場所が悪く胆嚢を傷つける恐れが出ていてそれやっちゃうと最悪重篤化と脅されたようですが、朦朧としていたのでそのまま内視鏡処置へ。

この頃すでに意識はありません。内視鏡は口から入れられたようで(マウスピース咥えていた)すがあれが体内を蛇行した感覚が無い。←干支的な表現できたよ

この一連のフェイズ進行の最中、胆石は発見場所から砕けて落ちてしまったらしく、ステンド処置も必要なく内視鏡自体も短時間で抜き取られ。朦朧としたまま病室までストレッチャー搬送され点滴の管につながれておりました。

年越しのさ中にお騒がせして申し訳ありません。膵臓も弱ってるってことで診察は続いております。

Gott nytt år 2025

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