2020年。横浜ではついに設定寸通りに作られたガンダムが動き出すそうですが、「ガンダム大地に立つ!!」をオンタイムで見たときのような関心を持てないのは、やはり自分が歳を取ったからなのでしょう。それを理屈っぽく、背後のドックがでっかい黒子なんていやだ。とか言っている自分がいるのです。
だって、そこは見せたくないだろうし見たくもない部分だろうし。
それでも、巨大ロボにも背中の哀愁があるんだよなあ。
2020年。横浜ではついに設定寸通りに作られたガンダムが動き出すそうですが、「ガンダム大地に立つ!!」をオンタイムで見たときのような関心を持てないのは、やはり自分が歳を取ったからなのでしょう。それを理屈っぽく、背後のドックがでっかい黒子なんていやだ。とか言っている自分がいるのです。
だって、そこは見せたくないだろうし見たくもない部分だろうし。
それでも、巨大ロボにも背中の哀愁があるんだよなあ。
いつのまにかっ、和久井映見さんもそんな御年ですかー・・・ って去年も似たようなこと書いたなあと思ったら、彼女は1年違いで猪熊柔と同じ誕生日でした。
和久井さんの熱烈なファン、というわけじゃないのですが、彼女が主演した91年の映画に樋口有介さん原作の「ぼくと、ぼくらの夏」というのがあり、原作は東京・多摩地域だけれど映画はつくば市、下妻市、土浦市などが舞台となっていたのです。
通っている学校の通学路が、うちの奥さんが通った小学校の真横だったり、よく知っている風景がそのまま出てくるのだからそれだけで保存ものなんだけれど、ヒットしていないのでDVD化されていない!
刑事の息子とテキ屋の娘というありがちなボーイ・ミーツ・ガールはそのままで、映画は原作と異なりかなり脚本も変わっていますが、その方が正解だったと思っています。タイガースの楽曲が絡むことから、いわゆる「組の親分=父親」が沢田研二という笑かしも楽しかった。あちこち突っ込みどころもあるのがまた醍醐味。なんせ学園都市から水道橋となりの橋を渡ったらもう筑波山のワインディングで、山を下りたら大竹海岸とか(笑) なんといっても勝ち気と可憐が同居した和久井さんが良かったのよ。
オーストリアやドイツの東、東欧あたりでは、今日は「クランプス」が出てくる日だそうです。なんだそいつは?と紐解くと、聖ニコラウスが子供たちにプレゼントを配って歩くのと対照的に、プレゼントをもらえる資格もない悪さをしていた子供たちを脅し懲らしめる伝説上の生き物らしい。それってなんだか、なまはげの言動に似ているところがあるなあと思いましたが、両者を同列に語るのは無理やりの誘導だという意見もあるので、ほどほどにしなくてはなりません。
クランプス自身も様々な形相のようですが、角が生えているという意匠的類似点と、悪さをした子供に罰を与えるところから、共通の存在に思えるのでしょう。そのなかで、なまはげには際立った特徴があり、彼等は「来訪神」「まれびと」と呼ばれ、限られた一定の時期に人間の前に現れる。クランプスのような土着の伝説とはちょっと異なるのです。あくまでも神であり、その形相に関わらず「鬼ではない」というのが彼等です。仮面ライダー響鬼の立場がありません。
角生えてて、来訪者で、善業を諭す超自然の存在。といったら、「鬼ではなく、神でもない」ことを断ったうえで、勝手に思い浮かべるのはウルトラの父です。悪い子に罰を与えたかどうかは知りませんが、彼は2度目の地球来訪の際、サンタクロースに扮しているくらい、地球の西洋文化に精通しているのです。更には月から逃亡した怪獣に、正月向けに餅つきの手伝いをさせる。うーん、無理やりつなげるなと言われても、これはすべてのまれびとをつなげたくなっちゃいます。
だけど、なまはげなんて案外愛嬌があるし、日本全国に点在するまれびとのいずれもよく見ると異形であってもつい親しみがわくのですが、西洋のこの手のモンスターぶりはどうしてこれほど嫌悪感丸出しにするのか。そりゃこれで脅されたら子供なんかひとたまりもありませんわ。今や虐待というモンスターが矢面に立ち、体罰自体が違法となった世の中だけに、まれびとたちには善行は善行、悪行は悪行だと、世代を問わずに罰を与えに現れてほしいものです。
・・・俺んとこに真っ先にやってきそうだな・・・
『仮面ライダー THE FIRST』の公開から15年が経ちました。『仮面ライダー3号』が『THE FIRST』の造形をある程度踏襲した以外は、『仮面ライダー1号』で「ええっ?」というリデザインが行われただけで、たいていの客演は『新1号』が使い続けられています。ここに上げている1号は『仮面ライダー THE NEXT』の仕様ですが、リペイントとダメージを加えた程度で『THE FIRST』の意匠がベースです。この15年、結局これを越えてくるデザインはなかったと感じます。
『THE FIRST』の造形には出渕裕さんが手を入れていましたが、元々に遡って石ノ森章太郎さんが二次元でデザインしたものをそのまま立体化した、いわば「コミカライズ1号」と「テレビ版旧1号」を比較しても、最初のコスチュームを作り上げた造形屋さんの仕事は素晴らしかった。改造人間と変身の概念が映像上では作り切れなかったにしても、仮面と戦闘服という表現においては、「旧1号」は異形の怪奇性を十分に持ちながら、ヒーローとして成立していました。
「旧1号」のマスクは、ヘルメットに始まり髑髏のデザインを経てバッタの顔立ちへ変遷したことが有名ですが、一歩間違えば・・・いや間違ったから?ヒーローに転じていて、それが無ければ世界征服の尖兵だったわけです。怪奇物という路線で企画された『仮面ライダー』だけに、バッタ型改造人間の姿は二次元デザイン時は生物テイストを滲み出していますが、マスク=仮面の域には少し遠かった気がします。この点において特撮の三次元造形による功績は大きいのです。
『THE FIRST 、THE NEXT』では、仮面という造形、ベルトの機能、戦闘服としての意匠に「ギア」というガジェットをきめ細かく取り入れたことが特色です。趣味的にはクラッシャーをここまでしゃくらせなくてもとも思いますが、「ホッパー」と名付けられる改造人間のいで立ちをよく表現し、これが組織を裏切り正義に転じると「仮面の男」としてヒーロー性が前面に出てくる。もとのデザインが秀逸なだけに、出渕デザインも古さを感じさせません。
いつからか、仮面ライダー〇〇の造形は「モビルスーツ化」してしまったように思えてならないのですが、平成のシリーズが既に昭和の作品群を数で凌駕し、令和のライダーも二人目の主役が登場してくるなかで、様々なしがらみでそうなったのでしょう。もはや改造人間という素体の起用は困難だとも言われるけれど、あのごちゃごちゃしたスーツでよくあれだけ動き回れると感心します。でも、このヒーローの戦闘服や仮面は、程よい軽快さが肝心ではないかと考えます。
科学特捜隊員は、平時勤務においては青いブレザーとグレーのスラックススタイルで仕事をしていますが、怪事件や対怪獣出動時にはオレンジ色の隊服に一瞬で早着替えします。その描写は、スラックスの裾からファスナーを開いて、スラックスの生地が上方に引っ張り上げられる部分のみ確認でき、スラックスの下に隊服を重ね着していて、黒のブーツも平時から履いていることがわかります。なるほどー、と感心している場合ではなく、これこそが科特隊最大の謎なのです。
便宜的に「出動時の隊服」と呼びますと、こちらは男女同一の仕様です。しかしフジ・アキコ隊員は平時勤務はスカートなのです。えっ、なにそれ、隊服の方を膝上までまくり上げているとか?(しかし靴はブーツじゃないのよ)。ここでこの話は詰んでしまうのですが、男衆にしても、ブレザー何処へ行ってしまうんだ? といった不思議があり、設定では青服がそのまま隊服になるとも云われているけれど、どうみてもリバーシブルでもなさそうです。
ここは寛容に解釈して、スラックスもブレザーもベルト周りのどこかに瞬時に吸引収納され隊服が現れるとしか思えないのですが、よくよく見ているとブレザー時のネクタイがアイボリーで、隊服になるとエンジになってしまう。ネクタイごときにわざわざ偏光機能か発色を変える生地まで使っているというのは、この早着替え仕様も含めて歴代で最も贅沢な装備だと言えます。しかしこのような構造で、簡易宇宙服にもなるというのはものすごい生地と縫製技術です。
それにしても、ハヤタは平時と隊服時で、ベータカプセルの収納場所が変わったりしないのか? と、わざと「例のシーン」を引き合いに出しますが、昔は気が付かなかったけれど、配信やソフトで繰り返し観られるようになった現在、ハヤタはスプーンを置いて屋上に走り出していることが、今ではもうあちこちのファンが指摘するようになりました。実相寺昭雄さんのアドリブ演出で場面がつながらなくなった。のは事実ですが、ここも謎として楽しむべきシーンでしょう。
十日ほど前に開館した「須賀川特撮アーカイブセンター」に行ってきたのですが、実に不愉快な場面がありました。
地元のテレビ局の、報道の腕章をつけた撮影クルーが、二階に展示されているジオラマで絵づくりをしており、ひとりが怪獣の真似をしてホリゾントの前で滑稽な動作でリハーサルをやって「こんなのじゃ怖がらないよ」「怖がらせるんじゃなくて笑わせるんだ」などと話しているわけです。
正規の取材で入っているから正当なスタンバイでしょうけれど、まあこの施設のルールで、スマートフォンと携帯電話でのみ一般来場者も撮影でき、インターネットに画像をあげることもできる。ただし、他者が映り込まないようにという条件付きで、です。よってこのジオラマを僕は撮れなかったのだけれど、そんなことはどうでもよくて、番組に導入するか、したであろう「つかみ」シーンを意図した、滑稽な動作はきわめて不愉快でした。
怪獣の真似をするなら怪獣らしく動けよ。あなたたちが滑稽さを演出して笑いを求めようという考え方は、永年にわたって着ぐるみに入って、異形の生物という命を吹き込んできたスーツアクターへの冒涜だし、特撮アーカイブセンターという施設が何のために作られたのかの理念も踏みつぶしているんだよ。そんな些細なことで腹が立ったものだから、「すみません、写真撮りたいのでちょっとずれてもらえませんか?」と言えばよかったのに、僕も大人げないんですが。
四十代くらいと三十代、二十代くらいのクルー世代だと、ここに収蔵され展示されている数々のプロップに込められた、ざっくり半世紀の特撮の、サブカルチャー以前の場所からようやくここまで来たという熱と、それらを画面に食いついて見てきた今やおじさんを過ぎようとしている昔の子供の記憶との出会いなんて、理解してもらえないかもなあと。おそらくは彼らは、ウルトラホークとジェットビートルの間に、なぜ赤と銀のホンダZが置いてあるのかなんてわかんないでしょう。
と思ったら、ジャンカーZのこともきちんと、館内配布資料に記載されていました。
須賀川市民交流センターが現在、コロナ禍対策で「福島県民以外の入館制限」をかけているため、円谷英二ミュージアムもろとも見学できないので、特撮アーカイブセンターはなかなか面白かった。だけどリピートしたくなるほどの展示量でもない。少しずつ収蔵を増やし、かつての円谷プロダクションや東宝などの倉庫(行ったことありませんが)に迷い込んだような見せ方をしてほしいと感じました。それにしてもやっぱりカラータイマーの無いウルトラマンって、見慣れないわ。
1955年11月12日22時4分、カリフォルニア州の街ヒルバレーに所在する裁判所の時計台に落雷がありました(あったんだよ)
この落雷によって時計台の時計は30年経っても修理されることなく放置されていたのですが、西部開拓時代に建てられた歴史的価値があるという名目によって、80年代には建物自体の取り壊しに対する反対運動が起きていました(起きてたんだってば)
なんのことはない一つの落雷事故が、差し渡し130年を跨ぐ捧腹絶倒とスリルのジェットコースタードラマをけん引することになろうとは。
この年のこの日、西ドイツは大戦後初めての軍備再編成を開始し、NATОへの加盟も果たしていました。日本ではこの日と前後して船橋ヘルスセンターがオープンし、自由民主党が生まれ、アメリカとの原子力基本協定が締結されていたりします。ヒルバレーがかつてのゴールドラッシュ時代から拡張しながらも80年代までに衰えていく中、日本はこのあと高度経済成長へ向かうのですが、2015年あたりじゃヒルバレー・・・というよりマーティー・マクフライが住んでいたリヨン団地も荒れ放題ですが、日本はそれほどでないにせよ似たような閉塞の時代になっちゃいましたね。
一方2020年の今夜あたり、というか今からなんですが、僕は差し渡し300キロをひとっ跳びもできないポンコツで移動することとなります。
またかよ。なんだかなー・・・