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  ~懲りない傾向~

記憶の糸を紡いでみたら

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2013年10月4日、欧州合同原子核研究機構(CERN)が前年7月に発見した新素粒子を「標準理論における最後の未発見素粒子」として、ヒッグス粒子であると確定しました。ヒッグス粒子というのはスピン0、電荷も0のボース粒子のことで・・・とそれ以上は僕のピンク色の筋肉脳髄では理解もできません。

同日、長周期で1200年というティアマト彗星が地球に最接近し、分裂した破片が岐阜県にある糸守町を直撃し大惨事が起きていました。

いつものごとく今更なんですが、当時の僕はなんでそんなことを知らなかったんだろう? と、記録を紐解いていったらば、あれでしたよ、椎間板ヘルニアで仙台の病院に入院して、外の世界とはほぼ断絶していたのでしたっけ(リンクは10月5日のものですが)

と、こんなのフェイクニュースも甚だしい書き方になってますが、現実とフィクションをうまいことつなぎ合わせられたところに、自分自身の泣き笑い状態な日々が見事に重なっていたのでした。

よもやの逸品

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「本物、いつになったら買えるんでしょうねえ」

と、23歳の誕生祝にと考えていたら、霙が自ら購入してしまいました。

娘よ、そりゃあ「いま」だよ。若いうちにしか無茶はできないよ。と、思ったけど、幌エスクの存亡にかかわるので、そんなことは絶対に口に出してはならないのです。

 

ミニカーのついで話ですが、「つくばーどin写真展01」をアップロードしました。なんかしばらくぶりのページ作成だったせいか、ページサイズめちゃくちゃ。

何をやったかで人間の値打ちは決まる

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Twitterから引用

とうとう動いちゃったようです。

言ってしまえばでっかい機械仕掛けの黒子が操作する人形のようなそれで、全く面白くもなんともないんですが、この大きさでやってのけたことに意味があるのでしょう。

でもあれだね。以前潮風公園で組み上げられていった風景の方に臨場感を感じるのは、これが動いたらというイメージの共有で、今回のは動くことの気持ち悪さを感じるからなんでしょうかね。

 

だけど、何度でも言いたいことが、RX78はコアブロックシステムを介して78以外のモビルスーツに換装できるというのが大きな特徴。むしろそこが最大の開発コンセプトだったはずなのです。だから操縦席が1年戦争後の全方位型になってるのはアトラクションとしても許せんし、立ったまま操作するとなったらもうモビルスーツじゃなくてモビルファイターのトレーサーじゃんかよと。ましてや近場で見るのに観覧料が4950円て、考えた奴の価値観最低。

実は菅谷政子さんが一番すごい

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70年代にテニス少女をやっていた人はだいたい通り過ぎているらしい「エースをねらえ!」は、うちの妻もご多分に漏れなかったらしく、自らピアがリリースしたDVDブックを買いそろえてきました。「宝島」のときもそうでしたが、ブックレットもきちんとついて3巻構成で全部買ってもこの低価格というのは大したものです。しかしいわゆる旧エースはウルトラマンタロウに視聴率を打ち負かされ、打ち切りになったために宗方仁の去就まで描けていません。

それで後に「新・エースをねらえ!」が作られるのですが、新エースは旧(左の挿絵)を手掛けた演出の出崎統・作画監督の杉野昭夫が関わっておらず、グレードは上がっているのにキレがない。その代わりに美術監督で小林七郎が参加しているので、背景描写は明らかに新の方が優れているという不思議なアニメーションでした。そのいいとこ取りをしたのが、新の人気を経て作られた劇場版で、僕はこの劇場版と後々に作られた「2」とか「ファイナルステージ」しか見たことがありませんでした。

劇場版(左の挿絵)については、多くの人が言っていますが、新の25話分、原作の第1部を、わずか88分に破綻なくまとめ、しかも再編集ではなく新たに制作したという秀作で、杉野キャラも出崎(監督)采配も小林美術も最もバランスの取れた映画とされています。

面白いことに、うちの奥さん、新と劇場版は見ていないという。なんでだと聞いたら、宗像の声が中田浩二から野沢那智に変わってしまったからだとか。

ということは、「2」や「ファイナルステージ」も見ていないのでしょう。ОVAだったし。僕自身はこの完結編2作になると、キャラの描写がくどくなってしまって好みではないのですが(左図は劇場版)、ひとつだけ感心していることがあります。岡ひろみや竜崎麗華など主要キャストの声優がほぼ入れ替わる中、ひろみの友人、愛川マキ役の菅谷政子さんだけ、73年の旧エースからずーっと、89年のファイナルまでやり遂げていることです。これが一番すごい。

光画部部室を再現???

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ゆうきまさみさんの画業四十周年を記念する企画がいろいろ始まっているようですが、クラウドファインディングを介して「等身大のR・田中一郎、光画部部室を再現」って、まさかあの校舎の中の旧校舎の中の部室・・・ということですか,い? だってあ~るが「等身大」だというんだから・・・ それはともかく、来月19日発売の週刊ビッグコミックスピリッツで久々に「究極超人あ~る」が新作読み切り掲載だそうで、まずはそっちだ。

「続 ウルトラマン」だったとしたら 後編

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「ウルトラマン」もまた、近未来を描きながらもいつ頃かという設定は明確にしておらず、脚本の都度、都合に合わせて昭和だったり近未来だったりしますが、明確に西暦年が出てくるのが「故郷は地球」で、ジャミラを弔う墓碑に「ジャミラ 1960-1993 人類の夢と科学の発展のために死んだ戦士の魂ここに眠る」と刻まれています。このあと年を越してからゼットンと戦っているので、初代ウルトラマンは少なくとも94年まで地球に滞在していたことになります。

ここを今回のみ基準とするなら、その30年後といったら、2024年ということになり、МATの岸田隊員の父と第2次世界大戦の話をはじめ、坂田健が東京大空襲に遭った話には矛盾が出てしまいます。なにより歴代防衛チームのドキュメントをつなげたウルトラマンメビウスが「ウルトラマン80の去就から25年後」と設定しちゃったので、「続 ウルトラマン」の世界自体あり得ないのです。なにしろ80自身が名前を数字で語ってしまう1980年のウルトラマンなので。

そこはもう「もし」「続 ウルトラマンだったら」フォーマットなので、あとから出てくるウルトラマンなんか無視します。90年代にジャミラが初代ウルトラマンと戦った東京の風景は、2020年でも健在です。都内の再開発もあちこちで進みましたが、まあまあまだ、下町の風景には70年代のそれが色濃く残されているところもあります。それを言ったら近未来世界のウルトラセブンでだって、あれはレトロフューチャーと言ってかわすべき昭和な場面がたくさんあるし。

余談ですが、ウルトラマンの「故郷は地球」と今回引き合いにした帰ってきたウルトラマンの「暗黒怪獣 星を吐け!」は、偶然にも双方第23話でした。ついでに言うとウルトラマンの方で「鳩を逃がしに行く少年をハヤタが救助する」場面は、帰ってきた~の第1話において、郷秀樹が同じ行動をとっているという、初代へのオマージュが埋め込まれています。いずれにしてもジャミラの没年によって、このエピソードについては1993年が基準とされるのです。

「続 ウルトラマン」として新ウルトラマンが描かれていたら、21世紀の風景の中、マットビハイクルが走るというのも、古さは感じないけどなぜそんな年式の車両をわざわざ? と思わされます。RX-8を採用しても、もう相当古い選択肢となります。МATって航空戦力は充実していたけれど、地底戦車は配備されなかったし海洋防衛力も小型潜航艇だったし、けっこう予算措置には厳しい査定を受け、パトロール車両にしわ寄せが出たのかもしれません。

それでも「帰ってきた~」ではなく、「続」として新ウルトラマンが登場する世界だとしたら、あと少しで、どこかの街でМATの面々が活躍する姿を見かけることになるのかもしれないよ。と、勝手に一方的に妄想するのは面白いものです。

 

 

謎の十三代目 石川五ェ門

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十三代目 石川五ェ門だけの謎ではなく、「ルパン三世(のFirstシーズン)」全体にかかわるキーパーソンという話です。

という割にはいきなり峰不二子のキスマーク入り新聞の切り抜き。「カリオストロの城」の有名なシーンで、翌日のクラリスとカリオストロ伯爵の婚礼にバチカンから大司教が来る・・・と書かれているらしいあれです。大事なことは日付。1968年9月12日、つまりあの物語はこのガジェットから時代が判別できます。

だからどうした。という話ではあるのだけれど、この映画製作に関して宮崎駿監督は、ルパンを完結させるくらいの意図で、中年になって落ちぶれかけたようなルパンを描こうとした旨の発言を、当時しています。上映は1979年12月のこと。この映画は賛否二分し、その、中年で落ちぶれた、100円ライターを使うようなルパンは認めぬというファンの声が勝り、映画の出来に関わらず興行は振るわず、宮崎さん自身が干されていきます。

その後の映画の再評価はご周知のとおりですがちょっと待て。この石川五ェ門は、いったい誰なんです? と、いまさら何を言い出すんだな部分が謎なのです。石川五ェ門とルパンの邂逅は、Firstシーズンの第5話にあたるのですが、五ェ門が出るシーンの一つに、深夜放送を聴いている場面があります。彼の趣味の一つです。それはいいんだけれど、このとき流れる楽曲が小柳ルミ子の「お祭りの夜」、1971年9月に発売された2枚目のシングルレコードの収録です。

これはもう、同13話に出てきた魔毛狂介に頼んでタイムマシンで送ってもらったとしか思えない。この魔毛撃退の折にも、江戸時代のセットに翻弄された魔毛に「今は本当に寛永3年か?」と問われ、「今は昭和47年(1972年)でござる」と答えています。というわけで、「カリオストロの城」はルパンを終わらせるエピローグどころか、壮大なプロローグだったと解釈できるのに、68年の世界になぜ五ェ門が存在するのかというパラドックスをはらんでいたのです。

まあね、テレビシリーズと単発映画を無理やりくっつけて考えるなと言われればそれまでです。でも謎は謎です。

ところでその「カリオストロの城」では、五ェ門には「今宵の斬鉄剣は一味違うぞ」という名言がありますが、これもよく練り込まれた使い方で、実はそのセリフ、68年にタケヤみそが打ったCМで、森光子さんが言った「ひとあじちがいます」が、たぶん偶然ですが原典。

「続 ウルトラマン」だったとしたら 前編

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9月10日(便宜的に放送日)、地球は暗黒怪獣の接近で太陽系ごと丸のみにされ滅亡する危機に瀕していました。この暗黒怪獣がまたとんでもない存在で、北斗七星を飲み込み蟹座を食い荒らし・・・と、それぞれの星座を構成する星々がどんだけ離れているんだ?という突っ込みをものともせず、太陽系にやってくるわけです。しかし地球では星占い師の娘の予言や天文研究所の観測によって察知され、МATが活動するものの、この事実は避けられなくなります。

結局、暗黒怪獣は新ウルトラマンの活躍によって、意外と簡単に退治されてしまうのですが、地球を角砂糖の大きさにまで潰してしまう超圧力の怪獣体内で戦える新ウルトラマンの、どこが弱いんだよという新たな突っ込みをしたくなります。怪獣が退治されたことによって、星々は元の軌道に戻っていくという結末はもういいや、です。問題はそのことではなくて、この9月10日の出来事が、もしも「帰ってきたウルトラマン」でなく「続 ウルトラマン」だったらという話。

「続 ウルトラマン」は、「帰ってきた~」の前段企画で、ゼットンとの戦いから30年後、文字通りウルトラマンが地球に帰ってきて、МATとともに怪獣や宇宙からの侵略者と戦う設定でした。しかし完成した作品は、「ウルトラマン」「ウルトラセブン」とは異なり近未来色を引っ込め1970年代の日本を背景にしているように見えています。特に、前作ウルトラマンの模倣にしたくないという制作サイドの意志によって、昭和の世界がドラマにも強く押し出されています。

だから、もしも「続」の企画のまま新ウルトラマンが描かれていたら、この70年代の世界は30年ずれることとなるのです。それではその30年後というのはいつの時代になるのか? とりあえずウルトラセブンはすっ飛ばして、初代ウルトラマンの世界を引き合いにしつつ考えていく必要があります。ただし「ウルトラマンメビウス」がその考察を最後の最後で不意にしてくれるのですが、それらは後編で触れるとして、9月10日の話に絞っていきます。

Show me the way to you

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何で買っちゃったかなあ(笑 いやポチったの覚えてないんだよ)

とはいえ、初代ハイ・メタル、ハイコンプリートモデルと所有して、今またHI・METALRで再会することとなりました。しかし遊んでる暇がないというのもあるけど、まだVF-1さえ開けてないのにL・ガイムまで手が回りませんわ(VF-4は開けたのに)

でもってもうン10年前の初代ハイ・メタルは、さすがに箱管理していてもボディの黄ばみが進行しています。ランチャーを接続するチューブなど軟質樹脂類は劣化して取り付けたらぼろぼろに崩れそうです。

それでも当時としては関節可動域が広く、工業製品的にアニメデザインされたプロポーションも見事に再現されていました。

別作品のモーターヘッドだと・・・もう、ついていけませんが、ヘビー・メタルくらいの線やラインの簡潔さは(これもあとから出てくるのはだんだんえぐくなるんだけど)いい感じです。

だけどこういう絵を見せると一般の人からは「ガンダム好きなんですか」と言われちゃうんだよね。

 

謎の地球防衛軍 番外編

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この夏、講談社から全40冊という壮大な構想で定期配本が始まった「ウルトラ特撮PERFECTMOOK」の第1回目にあたる「ウルトラセブン」を見ていたら、コラムとしてバンダイから独立しフリーデザイナーとなった野中剛さんが、ウルトラホーク3号について面白いアイデアを出していました。3号に搭載するマグマライザーの話題で、そもそもサイズの矛盾があるなら3号自体の大きさをいじるか、マグマライザー自体を3号の一部にしてしまうというものです。

玩具デザイナーとしてのキャリアがものをいう発想です。3号のサイズをいじる案は、いわゆる70m級の大型輸送機「C型説」で良いわけですが、マグマライザーの機首部分から後方がそのまま3号とドッキングしているというアイデアは秀逸です。この場合小型戦闘機かつ強行偵察機でもある、重量にして25.5tの3号側の機動性は、180tものマグマがぶら下がることで台無しになるんですが、玩具としてのプレイバリューは格段上がります。

ただし、それを実機として考えると、全長19.5mのホーク3号と同24mのマグマという寸法問題が解決するわけではなく、マグマのドリルがホークの機首を兼ねたとしても、車体のかなりの部分がホークに食い込んでしまい、それは「ホーク3号による空輸」なのか「マグマライザーの飛行アタッチメント」なのかという葛藤が出るのです。それでもこのドッキング方式は、ホーク1号に通じながら異なるバリエーションとして面白い考え方です。

野中さんはこのコラムでウルトラホーク1号にも触れており、機体の3分割方式(成田亨さんによるデザイン)が、プロップ製作を通して玩具での再現に対する有効性を評価しています。なるほどもっと簡単な分割案は考えられるわけで、野中イラストにある「こういう分割でないところがみそ」の案は、機体全部を支える軸や芯が無くて玩具的には不安定です。野中コラムが面白いのは困った話で、これにつられて全40冊買っていきそうな予感がしますよ。