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  ~懲りない傾向~

平成合体技術

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平成で最初の変形や合体を果たしたロボは何だったか調べてみると、1989年の高速戦隊ターボレンジャーに登場したターボロボが平成最初の合体もので、変形に絞ると同年のガンヘッドがそれにあたりました。

ターボロボってGTカーやジープ(と呼ばれているけど要するに2BOXタイプのRV)、トラック、ワゴン(1BOXミニバン)、バギーの合体ながら、各車の大きさがもうめちゃくちゃ(笑)

しかし当時、この5台のうちに「これなんとなくパジェロだよなー?」と思わせるターボジープが構成されていたことから、四駆雑誌が取り上げたという(版元関係からそういうコーナーを実現できる背景があった)意外な紹介歴を持っています。だけどよくよく見直すとですね、どう考えてもターボGT(中央)よりターボジープ(左端)の方が小さい。そもそもGTがでかすぎなんですが、まあ堅いことを言うなと。

マシン合体ロボはスーパー戦隊の昭和期からあるわけですが、平成においてはその合体台数が増加するケースも多く、手足を入れ替えてバージョンを変えるパターンが目立って行きます。その中で、轟轟戦隊ボウケンジャーに登場したダイボウケンは、5台合体に始まりサポートメカが増えるごとにスーパーダイボウケン、アルティメットダイボウケンへと強化されていき、10台合体で「余り物を出さない」優れものでした。

一方、ガンヘッドはタンク形態からスタンディングモードへ立ち上がり変形するだけの地味な巨大ロボですが(昭和において既に大鉄人17があるし)、無理やり人型にしないデザインを貫き、興行成績よりもこの手の特撮映画を実現させたことに功績があります。対戦相手との格闘はなにやってんだかよくわからないグダグダですけど、ガンヘッドとパイロットとの掛け合いは面白かった。これに続くのがメカキングギドラやメカゴジラで、つるんとしたメカゴジラにはちょっとがっかり。

ガンヘッドのあえて不細工なリアル趣向は、意外なところで回収されており、トミカヒーローレスキューフォースで活躍するビークルタイプのレスキューマシンが、中盤予定されていたかの如く(予定されていたんだよ)人型合体してレスキューマックスになってしまいます。これが「重機を合体させてスマートなわけないだろう」と言わんばかりのずんぐりながら、ガンヘッドの流れを汲みつつより人型に近づいているのです。ここまでの進化に、ガンヘッドから19年が流れています。

もうひとつ、レスキューフォースの放送された2008年には、一連の巨大マシンとは真逆の変形と合体を試みており、手のひらサイズの携帯電話に手が生え足が伸び、AIによって自律行動するフォンブレイバーが登場しました。ただしアニメーションのゴールドライタンという先駆者(昭和)もあります。それを承知の上で言えば、ケータイ捜査官7のフォンブレイバーは、実際にソフトバンクの同型端末にオプションで手足をつけられたというありそうで無かったギミックが秀逸です。

ところが現実の世の中の進化も早い。フォンブレイバーはブーストフォンを増加着身させ機能展開するマイクロロボでしたが、折り畳み式携帯端末は板切れ1枚(おいおい)のスマートフォンやiPhoneに移行しその多機能ぶりは歩くケータイの「歩く必然性」を払しょくします。当時の画期性は目を見張ったのです。でも、10年経たずに過去のものになってしまいました。それでもメカもののブレイクスルーは楽しい。令和時代にどんな新機軸が誕生するか、興味は尽きません。

昭和可変技術

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53年前の4月23日、本邦初の可変戦闘機(ロケット)が登場し、録画という術を持たなかった少年は、今で言えば「ぶさかっこいい」宇宙ロケット戦闘機がロボット形態に移行するプロセスを目に焼き付け、ノートに写し取っていました。

ペガサスという神話の「天を駆ける翼を持つ馬」を知るのも、この宇宙ロケット可変戦闘機ロボがきっかけでした。

しかしペガサスの待機モードは人型とは異なり、ついでにユーモラスの方が勝っていました。画期的なギミックと言えば、戦闘機状態でも両腕をせり出し相対速度を合わせてモノを掴む。飛行機に腕が生えるというシーンは、ペガサスが単なる宇宙ロケット可変戦闘機ではないことを雄弁に物語っていました。これが特撮のマグマ大使よりわずかに早く、変形するメカニックとして、それこそ少年の心をわし掴みにしたのです。

河森正治さんなども、おそらくその一人だったのではないでしょうか。ペガサスから16年後、戦闘機に手足を生やした中間形態も含めた2足歩行ロボットへの可変ギミックが、動画の上で実現します。

これはあらためて驚いたのですが、レインボー戦隊ロビンがかなり昔のアニメーションと思っていたのに、超時空要塞マクロスまでわずか16年だったのです。

この間、ロボットアニメは合体や変形の試みを幾度も続けてきました。マジンガーZもパイルダーが合体し、ジェットスクランダーが後付けされる。ゲッターロボや鋼鉄ジーグのような、いちいち説明を求めるなという事例もありますが、機動戦士ガンダムのV作戦でさえ、可変戦闘機を核に形態の異なるロボ(モビルスーツ)を生み出すフォーマットを基礎としています。合体においては2機以上35体(わかる人にはわかる)までいろいろあります。とりあえずここでは変形に絞りますが。

バルキリーが誕生するや否や、他所ではレギオス・トレッドといった、方式の異なる3段可変戦闘機ロボが現れ、モビルスーツにすらZガンダムを産み落とす道筋をつけ、オートバイでもAFVでもタンクでもヘリコプターでも電車でもロボになってしまう(クルマやオートバイの変形はバルキリーよりも古いですが)。昭和に開花し平成でデジタル、CG技術も取り込まれ、よりリアルな映像に昇華したこれらが、令和の時代ではどう変化するのか、だんだん目が追いつかなくなりそう・・・

血迷ったのよ

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ウルトラの防衛組織シリーズより高かったのに、

あちらほどにはインパクトが無かった・・・

 

紙一重の異界

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昨今、どこぞの電器メーカーの課長だった人まで騎士団長に転生しちゃうほどの異世界ブームですが、そう言えば大分昔にも「剣と魔法とお姫様さえ出せばどうにかなると思ってるだろ」などと、同人の物書きたちがSFのSに安直さを物言いして論争していたことがあります。それ書き始めると夜道が怖いので書きませんが、異世界と転生ものは素材として飽和状態ではないか? そのうち本当に向こうの世界から攻めて来るんじゃないかと恐ろしくなります。

その話ではなくて、昨年夏に購入していながらそのうち読もうとしてそのまま放置してしまった漫画「となりの妖怪さん」が今になって転がり出てきました。異世界というよりも、我々の世界の一部か大部分かは、太古より異界と一緒に過ごしているという考え方の作風で、このジャンルもまた沢山あることはあるのだけれど、この漫画は骨が太そうで面白いです。

ずいぶん長くほっといたから、もう続巻が出ちゃってる? と思ったらまだのよう。オンラインで先を読めるらしいですが、こういう漫画は紙で読むべきだなと勝手に決め込んで、二巻目の出版を待つことにします。

14年越しの完結

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先週、今週と「仮面ライダージオウ」が、ちょっとすごい展開を見せていまして、客演に登場したのが「仮面ライダー剣」において宿命を背負ったブレイド・剣崎とカリス・相川の再会。彼等は出会ってしまったら殺しあわねばならない。それを克服しようと自らカリスと同じアンデッドになってまで歯止めをかけ、さらに相川と絶縁して身を隠したのが剣崎でした。その結末は、さながら「泣いた赤鬼」のようだったのが、14年前(放送開始は15年前)

今回、ジオウにおいては、彼等の封印を破壊して戦わせ、世界の滅亡を呼び込もうとするタイムジャッカーの陰謀に巻き込まれながら、結果としてジオウのパワーアップやブレイド、カリスのジョーカーという負の力をジオウ側で封じ、剣崎も相川も人間に戻ることができた。

「剣」の結末を知る視聴者にとっては、以前とは異なる意味で泣かせるエピソードとなりました。思わず剣崎が居候していた白井農場に出かけたくなったのですが、もうこの事務所は無いんだよなあ。

今度久しぶりに相川の居た「ハカランダ」に出かけてみることにします。

 

初めて擁護するけど

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家人がそろってテレビ放送の「2202(録画)」を見やがるものだから、半強制的に見せられちゃってたわけですが、あーそう、そういう畳み方したのという印象だけしか残りませんでした。ただ、ずーっと「さらば」で嫌いになった立場を貫いてきながらも、今回初めて、「ヤマトを高次元に跳躍させる役目を、なぜアンドロメダにさせなかったのか」というところで、擁護の気持ちも出ました。

その理屈は、それができる能力を持っていたのが、アンドロメダではなく銀河とやらの方だったからだけど、銀河自体が(僕の中では)要らない存在であり、アンドロメダにこそ花道を作ってやるべきだと思うのです。

今さら言いますと、「さらば」で登場した第二次地球防衛艦隊のさまざまな艦艇は、嫉妬したくなるほど新しくてかっこよいと思っています。ことアンドロメダは、艦尾は面白くないけど艦首側斜め前アングルの美しさが際立っていました。

神話におけるアンドロメダは、ケフェウスとカシオペアの間に生まれた、エチオピアの王女ですよ。森雪やらテレサやらと並んで、女性名を与えられた新造戦艦には、もっと重大な存在価値があったんじゃないか。それが4隻も5隻も出てきて(艦名はそれぞれ異なるものの)、昔よりは活躍したようだけれどキワモノで終わった気がします。

 

なつぞらだけに、青い

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以前と違って朝の連続テレビ小説を見ていたら仕事にならない生活環境のため、第一回目は録画を観ました。通算100作め演出で、「なつぞら」には歴代朝ドラヒロインを多数起用するとか、人気俳優てんこ盛りとかで、視聴者が食いつきそうな布陣。「半分、青い。」では漫画家の世界を半分どころか半端に切り捨てましたが、今作では黎明期の東映動画・・・じゃなかった「東洋動画」なるアニメ制作の世界を手掛けるという点も、視聴者層の代替わりを狙ったように思えます。

面白いかどうかはしばらく付き合わなければわかりませんが昭和30年代から40年代のアニメーション作品が、制作側の世界としてどのように扱われ、どんな人が登場してくるのかには興味が尽きません。その辺全部知らんぷりして、人物としてはモデルは無いよという路線もあるでしょうけれど。

それにしても役者の仕事ですからいろいろな配役に様々な俳優を持ってくるのは当然のこととして、かつての「梅ちゃん先生」なんかはボウケンレッドとシンケンレッドがヒロインを巡って恋の鞘当てしていたり、脇をみてもヒーロー経験者のオンパレードだったのですが、前作の「まんぷく」でも、仮面ライダーG3と仮面ライダーキバが姑と婿でちょっとだけ登場の仮面ライダーW(の片方)が弁護士。という構図がありました。

今作だとヒロインの周囲にゴーカイブルーと仮面ライダーメテオと仮面ライダービルドが颯爽と護りについている(いやそうじゃない)。

それぞれまあ、青い。

その上、戸田恵子さんが歌手で出る。だけどさすがにコスモスに君とを歌うはずがない等々、なんだかどうでもいい方向の話ばかりで盛り上がっている我が家です。

 

 

いだてんの冒険

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なぜ野口英世をやらぬ?

大河ドラマで近現代を扱うことが難しいのか、脚本の前衛差に視聴者がついていけないのか、「いだてん」がだいぶ苦戦しているそうですが、僕は観ていて面白いと感じる。ストックホルム大会は知らないけれど、東京大会まで引っ張るドラマならば、知らない歴史ではなくなるからというのが大きな要素だし、描かれ登場する人物たちが新鮮です。

維新ものや国盗りものは、もう切るだけ切り取った感がありますし。しかしこの時間帯の主たる視聴者は、それらで育ち茶の間にいた人々なのでしょう。彼等にしてみれば、ある意味大河ドラマ時間帯から追い出された感があるのかもしれません。

だけど、どこかで枝葉を広げるか引き出しを増やさないと、大河ドラマのあるべき姿も動脈硬化してしまうでしょう。近現代もの、いだてんが切り拓くならば大いに挑戦すべきだと思っています。

じゃあ誰を扱うのよ? と問われるでしょうからその際僕は、手塚治虫さんや円谷英二さんの名を引き合いに出すのですが、このあたりの層は多分、まだまだサブカルチャーでせいぜいドラマ10がいいところだと、切り返されるであろうこともわかります。

で、推したいのは野口英世さんです。誰もが知っている。しかし案外、幼少期の境遇から青年期は歪んで曲折の言動を振る舞い、意中の人にも疎まれるなど破天荒な人で、これの扱い一つで物語は地雷を踏むかもしれません。それらを経て、研究者として立身してからは、次第に人物像が出来上がっていくのです。なかなかエキセントリックです。

いだてんは、そんな冒険の戸口に立ったドラマ作りなのだと思っています。戦国武将を排除する必要も無いのです。何作かに一本くらい、近現代をレギュラー化していけばいいのだから。

SPACE2019

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新谷かおるさんが86年に発表した宇宙冒険譚「パスカル・シティ」は、当時の近未来設定として最大で2003年より少し前の物語として描かれています。劇中「ライト兄弟の初飛行から100年も経過していない」という対話が、その指標です。次世代スペースシャトルが事故によって軌道を逸れ、太陽を目指して暴走する中、クルーたちの子供世代が旧型シャトルで「勝手に」救助に出ていくという展開は、いかにも新谷漫画。

同じ年に、アメリカでは「スペースキャンプ」なる宇宙冒険映画が封切られており、こちらはNASAで体験学習中の少年少女が、そのうちの一人の少年の心情を読み取ったロボットの「勝手な」管制によって、搭乗していたシャトルを打ち上げられてしまうというお話。ただ、86年というのは、そのスペースシャトルが打ち上げ直後に事故で分解と爆裂的火災によって、クルーがすべて亡くなるという、宇宙開発にとって大きな痛手を被るところから幕開けした年でした。

そんな年回りこそ宇宙を見上げて夢を描こうと意図したのが、新谷さんの漫画だと思いますが、エリア88やファントム無頼のような長尺物にはならず、子供たちによる次世代シャトルの回収劇にまとめられ、エピローグで18年すっ飛ばした未来を描いて完結しています。この18年後というのが、ひょっとすると2019年から20年あたりじゃないかと試算できます。人類はまだ火星にはたどり着いていないんですが、再び10年以内に月面滞在を目指すムーブメントが浮上しています。

 

1991 架空の宇宙開発史

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罰が当たったわけではなく、筑波科学博のことに触れたら唐突に研究学園都市に出張という、いやそれ出張どころかかなり楽な仕事シフト(というのはもちろん公然の秘密)になりました。

85年のその日から30数年、筑波がつくばと表記されるようになって久しく、あの頃の常温超伝導とか新素材研究とか、どこ行っちゃったんだろう?というくらい、この街のことには疎くなっています。

実際にはここ5年ほどの間にマテリアル系の分野で革新的な動きのあるところだそうです。それはさておき、「仮面ライダーフォーゼ」のフォーマットで語ると、2011年の頃には非公式ながら日本にも外宇宙技術開発機構・OSTОという法人が存在し、政財界や諸外国とのどんなパイプがあったのかはさっぱりわかりませんが、月面基地まで有していた。しかもこの月面基地ラビットハッチは、遡ると1991年には既に現地で稼働していたのです。

するとこれはひょっとして、72年のアポロ17号月着陸時に、何らかの秘密裡な建設ミッションが組まれ、おおよそ20年かけて基地建設が進んだということなのでしょうか。公式にはこれ以降、人類は月へ行っていないのですが、そこに秘匿された歳月が介在するのかもしれません。ただ、外宇宙技術開発機構に関わるキーパーソンの一人、後の天川学園高校理事長となる我望光明は、69年の少年時代に「宇宙の声」を聴き、野望に目覚めるので、17号とは年月の差が狭すぎます。

その辺、史実とすり合わせても意味はありません。やりすぎると宇宙開発どころか、筑波研究学園都市だって建設が間に合わなくなりますから。仮面ライダーフォーゼこと如月弦太朗が生まれるのが94年。その3年前に、フォーゼ世界ではコアスイッチ(人類に対して働きかける宇宙の意思的存在が異生命あてにばらまいたといわれるオーバーテクノロジー)が月面で発見されるなど、架空の宇宙開発は面白い時間軸をちりばめています。で、うちの幌エスクはその1991年式(笑)