アニメーション映画『GODZILLA』
そりゃもう二匹目の鰌、二番煎じ、便乗と言われ放題言われるであろうことは覚悟のうえでのこれなんでしょうけど・・・
監督レベルのこのお三方のコメントの、なんと没個性でつまんない当ったり前でしかない内容であることよ。プロモーションの香りがしないでもなかったけれど、「俺より面白いもの作るんじゃねえ!!」とか叫んでいた漫画家さんの方がよほどウィットに富んでる。
アニメーション映画『GODZILLA』
そりゃもう二匹目の鰌、二番煎じ、便乗と言われ放題言われるであろうことは覚悟のうえでのこれなんでしょうけど・・・
監督レベルのこのお三方のコメントの、なんと没個性でつまんない当ったり前でしかない内容であることよ。プロモーションの香りがしないでもなかったけれど、「俺より面白いもの作るんじゃねえ!!」とか叫んでいた漫画家さんの方がよほどウィットに富んでる。
好きで好きで辛抱たまらないのか、特撮版を断じて認められないのか。作り手の意図はいろいろあるのだと思いますが、まあ創りたかったんだろうなあ。
2週間、全国2館とあっては、残念ながらリアルタイムでは観ようもない。それでもソフトを出してくるだけ優遇されているのでしょう。
早いとこ力をつけて、全国展開できる長編を動かしてほしいです。あーでも、その頃には別の作品作っているんだろう。そうでなければいけないですから。
シネコンに足を運ぶ気には全くなりませんが、東映スーパーヒーローイヤー企画として本日封切られる劇場版仮面ライダーゴーストには、おそらく慣例として次に登場するライダーが顔見世興行するはず。
なのですが、新しい仮面ライダーことEX‐AIDとやらは、せっかくの斬新デザイン(良いとは言ってないからね)をライダーの記号に呪縛されたことで、結局はキワモノインパクトを背負わねばならないようです。戦隊でもライダーでもないキャラクターを堂々と売りに出せないようなプロデューサーなど、もはや不要なのではないか。と何度も書いてきましたが、デザイナーもデザイナーだねこの造形は。
胸のプロテクターにゲーム機のようなボタンが付いているボキャブラリィの低さは、子供にわかりやすいつもりでそうしちゃったのでしょうけど、せめてボタンの形くらい「ワンダースワン」のものを持ってこないとダメだったんじゃないか(なんかもうよそのメーカーのゲーム機ボタンみたいなのさ)。そのよそのメーカーはすでにスマートフォンとインターネットを駆使した「これをやりたかった」ゲームアプリで世界を席巻してしまっている(良いとは思ってないけどね)時代で、ゲームマニアがハードかソフトかの力で変身する趣向をどうぶつけていくのか。
ちなみに、ゲームを扱ったものではありませんが、インターネット回線やコンピュータの回路、ソフトのプログラムに侵入し侵略する敵を、カウンタープログラム(と、謎のエージェント)で倒すという番組だったら過去に居ました。
ウルトラでも宇宙サイボーグでも鏡の戦士でも地底の巨人でもない新機軸を、世界観だけでなく造形としても作り出したという点で、撮影技法の良し悪しはともかく、当時の円谷プロダクションのほうが意欲的でした。
この日付なので当然観ておりません。試写会に呼ばれるつてもないし。だけど昔「八岐大蛇の逆襲」だとか「ガメラ大怪獣空中決戦」だとかを観て喜んでおきながら、今度の「シン・ゴジラ」は観に行きたがらない心理が働いており、たぶん家内がソフトをレンタルしてくるまで目に触れないような予感であります。それはひょっとすると、まるで「進撃してきた巨人」みたいなゴジラがいやだからかもしれないし、三百名を優に超えるキャストで揺さぶりをかけてくるのはいいけど所詮そんなに役者を知らないしという圧迫感からかもしれませんし、「シン」という冠になんらかの拒否反応を抱いてしまったからかもしれません。
しかし制作サイドの意図はわかりませんが、「シン」の付くゴジラがことし作られるということには象徴性があるなと感じています。2016年は申(さる)年でありそのサルに当てられた文字通り当て字の申は「シン」と発音し、もともとは「呻(うめき)」の意味であったらしいですから、庵野さんなり樋口さんなりの「ゴジラを任された心中」を表現するのにぴったりです。
ことし新作のゴジラを復活させると、これがシリーズ化されるのかどうかも話題となりましょうが、かつての乱発のように毎年とはいかないだろうと。すると、スローペースで次にゴジラを出現させたくなる年回りとなれば、東京オリンピックが巡ってくる4年後の2020年。ここにターゲットを絞らなくてどうするよというのが次作のプロモーションではないかと思います(気が早すぎ)
とすると、シンが申であることは、閏年になるとゴジラが攻めてくるというベタな語呂合わせにもなるのです。まあそれやっちゃうと、次作は「ネ(子)・ゴジラ」かよ? てな突っ込みも入るでしょうけど。しかしわかります? あえて漢字とカタカナの壁を取り払ったこじつけで物言いすれば、「申」と、子ならぬ「ネ」の組み合わせは「シン」と表音する文字を産み出すのです。
閏年には辰年もあるだろうって? この辰もまた、こじつけなくたって「シン」と呼ぶじゃないですか。
マニアでしょ?と言われても否定する必要がないほど特撮番組も映画もアニメーションも好きな僕ですが、そういう人生にどこでどのように転落(おいおい)の一歩を踏んだかといえば、当然、受動的なファーストコンタクトでした。それが1964年の7月です。ピンポイントに19日ではなかったと思いますが、叔父が(後にウルトラを押し付けてくるあの叔父ね)彼の父親、つまり僕の祖父に言われて新潟地震のグラフ誌を町に一軒しかなかった本屋に買いに行かされ、そのとき貰った小遣いで一緒に買ってきた週刊少年キングなので、要因は19日にあるのです。
この少年キングに掲載されていたのが「サイボーグ009」の第1回目で、おそらくこの雑誌を偶然にも読んでしまったことが009との出会いを通した、SFとの邂逅です。他の連載はほとんど覚えていませんが、戦中派である親世代からの刷り込みによる「0戦はやと」は記憶にあります。
よもや。ね、それがスタートラインになって震災の直前に原作者の故郷である宮城県に転勤して、現在に至るウルトラ以上の長い年月、009を遠かったり近かったりの場所で読み続けるなどとは、幼稚園にも届いていない小僧に予感できるわけがありませんが、そうなってしまいました。この間、日本におけるSFの定義づけにもいろいろあったらしいですが、現実を超越して科学的にも空想できるあらゆるジャンルは、全部SFとして飲み込める資質を持ちえたような気がします。
しかしこれも肯定論で言うことですが、どんな人間に影響されるかで人生のある程度は塗りこめられているなあと、自分の叔父について思うのです。彼が「0戦はやと」や「少年忍者部隊月光」を読んでいなければ、我が家には少年キングが山積みになることもなかったのです。
でもって、珍しく定時で仕事を終えてパソコンを切り替えてみれば、完全新作・三部作のニュース。
もう勝手にやってください。な設定とデザインですが、こりゃもう同人誌レベルだねえ。
50年前の今日も日曜日でした。僕は「ウルトラQ」の怖くて不快な呪縛から解放され、日曜日は夕方になると「サンダーバード」のメカニックメカニックまたメカニックな迫力が楽しみ。しかし「Q」の大ファンだった当時まだ高校生でプロレスにも傾倒していた叔父は「マグマ大使」を見るぞとチャンネル権を譲らない。「マグマ」は月曜日の放送ですから僕の見たい番組とは被りませんが、マグマの造形がとにかくいやで、いかにロケット形態が出ようとも見せられるのが苦痛でした。
その叔父が、日曜日の夜7時から新番組を見る、つまり家族内のチャンネル権を占有するため、朝から家事手伝いを率先して引き受け、そのまた手伝いを有無を言わさず申し付けられたのが僕。概略は省きますがとばっちりです。
そうして夜7時。ニュースを見ないのかといぶかる祖父母(ったってまだ若い)を尻目に、まあだしに使われた形で叔父とともに「ウルトラ作戦第一号」を目にしたのでした。
サンダーバードの救助メカに比べると、なんだか嘘っぽいなーと感じながらもいきなり事故に巻き込まれて墜落炎上しちゃうパトロール機(名前なんか知らないもん)、捜索に出動する別の機体(なにしろ名前わかんないもん)、それが運んでくる潜航艇と(だって・・・しつこい)、これらの映像には食い入るように見入ってしまいました。が、後半はなんだか変な怪獣と、つるっとした変な宇宙人がプロレスを繰り広げてしまい、かなりがっかりしたというのが、今に残る記憶です。
その後数年にわたり、僕の周囲にはジェットビートルだとかウルトラホークだとかのプラモデルがずらっと並ぶのです。しかし考えてみてください。そんなものを幼稚園に通い小学校に上がるような年頃の坊主が作れるわけがない。二人の叔父や親父が面白がって買い求めてきては自分たちで作って、それを僕に与えていたのです。それでもがっちりと刷り込まれてしまったウルトラという記号は、その後の成長に大きな影を落としていくのでした。
そうなのです。この半世紀、ウルトラマンなどどうでもよくて、脇を固めるウルトラメカニックや、仮面ライダーそっちのけでサイクロンの雄姿や、それらが少しでもかっこよく演出されているシーンを心待ちにしてきたように思います。そんなシリーズが50年も続いているとは。そして聞くところによると、霙の大学にもウルトラをはじめとする特撮技術の研究を仕事としている中堅の教授がいらっしゃるとか。まさかですね、来年あたりその授業が履修されたりしたら、変な因果の糸車がこんがらがりそうです。
過去エピソードのリピートを交えながらも、ギンガやエックスといった新機軸のウルトラマンを繰り出してきた「ウルトラマン列伝」と、続く「新ウルトラマン列伝」が早朝の枠であったのに対し、昨日放送開始された「ウルトラマンオーブ」は午前9時台に持ってきた。これは番組の持つ力が評価されたからでしょう。
いま、対象年齢の子供たちがこの時間枠をリアルタイムでテレビの前に座れるのかどうかは知りませんが、夏休みのタイミングも近づいているし、テレビ局としては英断とサービスの一打だと思われます。
ギンガ、エックス。特にウルトラマンエックスの造形やパワーアップに関しては「モビルスーツやアーマードじゃあるまいし」と、アンドロメロス時代と比べても鎧の大仰さにあきれましたが、オーブは過去のウルトラマン2人分を任意に組み合わせてタイプ別のオーブに変身するという、スタンダードバリエーションの時点で凝りに凝っている造形です。
というか、素体となるウルトラマン自身が無い?というところが驚きです。こういうのは今までありそうで無かった。と言いたいのだけれど、複数の能力体を同時に、な変身といえば、「レインボーマン」が後半取得した「合体の術」がひとつの原型でしょう。レインボーマン自身、ダッシュ1から7まできわめて特徴的な化身でしたが、能力も限定されていただけに、合体の術によって2つの化身の能力を加えたダッシュ7の誕生(額の文様が変わるだけだけど)は斬新でした。
オーブは造形ごと丸々変わる。コスト的に着ぐるみづくりの負担が軽くなったとも思えませんが、大盤振る舞いです。出足は3タイプですが今後どれだけバリエーション展開するのか。これを思うと、出され過ぎで覚えられなくなりそう(すでに各タイプの名前がまだ覚えられない)。1人で複数タイプの事例としては、仮面ライダークウガが11タイプくらい? オーブでこれに並ぶとすると、過去ウルトラマンを含め30体を越えることになるのです。
しかし主人公がネクサス的に何か背負ってるっぽいけど、それを打ち消す破天荒さはちょっとのけぞりました。なんかもう、「早川健とヤマトタケシとトッキュウ6号の力お借りします!」てなもんです。