Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

いつもふたりだ 二人でショッカーと戦おう・・・!

2 Comments »

Wrider1「仮面ライダー1号」というタイトルをわざわざ使って作った映画の背景には「本郷猛が1号というのは2号以降が出てきたからそうなったのであって、本来、本郷猛は『1号ライダー』ではなくて『仮面ライダー』なのだ」とのプロデューサー発言がありました。ならばタイトルに1号と振らなくともいいわけですが、そこは「いろいろあって」と。振ったからには『1号』であって、そこには『1号以降の仮面ライダー』を、つまりは意識しているのだと吐露しているような気がします。

Wrider3仮面ライダー3号なんてキワモノをやって、客寄せのような4号までやってしまっていて、配信モノとしてアマゾンズも来年シーズン2です。プロデューサー自身が「仮面ライダーXのリプロダクトはやりたい」と話している。そこまでやって、『仮面ライダー2号』を素通りしてしまうだろうか?・・・

と考えたとき、これはあるんじゃないか? と根拠もなく確信してしまった場合、『2号である以上1号がいる』という構図をはずすことはできないだろうと思っています。そして「1号」であの本郷猛を描いたとしたら、どうしたって

『年老いた戦友の危機に駆けつける、年老いても盟友』

Wrider2それこそが、一文字隼人の復活にふさわしいプロットだよね、と。もちろん当時の仮面ライダーとその後の客演を終わらせてからの、佐々木剛さんが辿った数奇な運命を知らないわけではありません。その失われた年月を背負っているからこそ、藤岡弘、さんの40数年以上に重い盟友としての価値観を感じます。何が言いたいかというと、そういうアジテーションというかプロパガンダでもって、軽いとは言いませんが案外つまらない企画が囁かれないはずがないなということです。

もしも、何かの勢いでそうなってしまうとき、「1号」のときのようなノリとポジションに胡坐をかくだけで物語をまとめることもできないような脚本家に、ホンを委ねてほしくないということです。

「2号」の物語というのは、『仮面ライダーを作ってきた者』ではなく、『仮面ライダーを見て大人になった者』でなければ描けない物語なのではないかと言いたいのです。

 

というか、今のうちに言っておく。

対 スーパー戦隊

4 Comments »
bbrr

と言いながら戦隊じゃない

何やら明日の放送で「秘密戦隊ゴレンジャー」の放送開始から数えて通算2000回を数えるスーパー戦隊シリーズなんだそうですが、時々モチーフに重複があるものの数えに数えて40もの戦隊を、1975年からずーっと作り続けているというところは、シリーズが途中で休止となったことのあるウルトラやライダーよりもギネス級です。

今でこそ一度に何人ものライダーが出演する仮面ライダーはシリーズ定着していますが、複数のライダーという発案自体、WライダーにV3が加わりライダーマン(当初半分敵役)でフォーマットが立ち、「いっそ最初から5人くらい一度にライダーを出す」とアイデアが出され却下された経緯があります。

bbrrx

統一性、一応無いわけではない

好みで言えば、確かに2人めのライダーは僚友が危機に瀕したとき現れる方が盛り上がります。戦隊は「多勢に無勢」と揶揄されることもありますが、統一モチーフの中でキャラクターを際立たせる配色、巨大ロボもありと盛りだくさんの面白さを実現しました。

ということは、それらを満たせる条件として、仮面ライダークウガが「超分身」なんていう能力を持っていたらベストだったのです。そのアイデアは後に仮面ライダーウィザードが果たしています。しかしいち早くこれを取り入れていたのは劇場版企画の仮面ライダーBLACKRXでした。

 

bbrrx2

追加、こいつしかいないけど

しかもRXには「当初から5人いない」というジャッカー電撃隊のような脆弱さ、てこ入れ企画の余地もある。戦隊では定番となった追加戦士を入れられるのです。

問題は同作品でどのように追加の5人目を繰り出すか。南光太郎がBLACKに変身する途中段階のバッタ人間という手もあるんですがあの姿は何とも哀れですから、やっぱりシャドームーンを引っ張ってくるのが妥当でしょう。

さあこれでスーパー戦隊シリーズ打倒の策はできた。

 

世界征服達成は目の前だ!・・・あれ?

プロキシマ・ケンタウリ

プロキシマ・ケンタウリ はコメントを受け付けていません

プロキシマ・ケンタウリ8月の天文学分野のニュースで「プロキシマ・ケンタウリにおいて液体として水が存在できそうな環境の惑星を発見した」というヨーロッパ南天天文台の論文(ネイチャー)に、何かが引っかかって「なんだっけなー」と数日経ってしまいました。

プロキシマ・ケンタウリという恒星はケンタウルス座の「右足の蹄」に位置する赤色矮星で、地球から約4.2~3光年の距離にあります。

論文を伝える多くのニュースは「わずか4.2光年」と言っています。光の速度で4.2年かかる。どう「わずか」という認識なのか知りませんが、1光年の距離は約9兆4600億キロもあります。その4倍ちょっとって、どんだけわずかなんだよ?

人類が実験した最速の飛翔体に宇宙探査機ボイジャーがあります。これが秒速17キロで太陽系から遠ざかっていますが、この速度でもプロキシマ・ケンタウリまでは7万年くらいかかってしまう計算だそうです。ブルーアースかヤマトを持ってこないとお話になりません。が、リープ航法メカも波動エンジンも存在しないので、別の方法を考えなくてはならない。

現在研究されている技術に、超軽量の帆を張り、これにレーザービームを照射する推進加速で、理論上は高速の20%に乗せることができるという恒星間航行飛翔体が取り上げられており、これでようやく20年ほどで到着できるレベルに押し上げられます。あくまで所要年月のところだけ現実的な話をしても、20年とか50年のオーダー。最初は無人で、次に数人での仕掛けにしても、途方もない計画になるのは間違いなく、今はまだ宇宙電波望遠鏡の力で観測するところから始めなくてはなりません。

V外伝あ・・・    途方もない仕掛けでようやく「なんだっけなー」の引っ掛かりを思い出したよ。宇宙世紀0153年、シリンダー型スペースコロニーを二基連結した巨大宇宙船「ダンディ・ライオン」が、このプロキシマ・ケンタウリに向けて旅立っていくのです。1995年に「機動戦士Vガンダム」の外伝として長谷川裕一さんが描いたエピソードです。95年といえば岩石型外宇宙惑星が多数発見されたころでした。あの外伝、先見性があったんだなあ。

ゴーストinチャペル

ゴーストinチャペル はコメントを受け付けていません

教会と、家内にたたき起こされたのは先日の日曜日の朝のことです。隣町のチャペルが仮面ライダーゴーストご一行様の敵の拠点になっていると。

録画を始めたというので後追い再生したら、あらびっくり隣町(といっても同じ市内ですけど)の建物がロケ地になっておりましたよ。

 

チャペルをアジトにするとは罰当たりな・・・と言いたいところですが、チャペルには違いないけれどここは結婚式場のチャペル。おお、そういえばつくばーどサイトでは2005年以前にSレイドの最初の頃の課題の場所にしてましたねえ(それも罰当たりなんじゃないか?)

何代か前の仮面ライダーでは、ここの近所の工場の資材置き場でもロケをしていたし、なによりこの町にはかつて、あの白井農場もありました。農場跡地は見る影もなく、敷地の一部には民間企業の倉庫建設が始まっています。

深 白い弾丸

深 白い弾丸 はコメントを受け付けていません

Xrider白い弾丸というのは、仮面ライダーXの常用マシンであるクルーザーの異名です。番組のアイキャッチには、Xライダーが深海開発用サイバネティクス・カイゾーグであることをイメージさせる、荒海を征くクルーザーの姿が描かれています。

まあバイクでそういうこともやってやれなくはないのかなあと子供心に思いながらも、ライダーマシンの凄さと無理やり納得していたのですが・・・

diver少なくとも長距離航行や深深度潜航はクルーザー単体では不可能だろうと、10年ほど前に模型のジャンクパーツで専用アタッチメントをでっち上げ、ダイバースペックというのを作ったことがあります(ページに書かれているテキストは、ありとあらゆる仮面ライダー史とは無関係の物語です)。最近は老眼も進んでこういう細かい作業はやらなくなっちっゃたんですが、まあ年末年始とか夏休みは下手の横付きでこんなもの作りながら、サイドストーリー考えて遊んでいたわけです。

で、ここからが本題。

あるんだこういうバイク!

いやもう感涙ものです。このライダーにクルーザーのハリボテとXライダーのマスクと衣装を提供してあげたいです。

やりたきゃやればいいけどさ

やりたきゃやればいいけどさ はコメントを受け付けていません
模倣

あ、また間違えちったよ

アニメーション映画『GODZILLA』

そりゃもう二匹目の鰌、二番煎じ、便乗と言われ放題言われるであろうことは覚悟のうえでのこれなんでしょうけど・・・

監督レベルのこのお三方のコメントの、なんと没個性でつまんない当ったり前でしかない内容であることよ。プロモーションの香りがしないでもなかったけれど、「俺より面白いもの作るんじゃねえ!!」とか叫んでいた漫画家さんの方がよほどウィットに富んでる。

ハトかタカか

ハトかタカか はコメントを受け付けていません

パト2016機動警察パトレイバーREBOOT

好きで好きで辛抱たまらないのか、特撮版を断じて認められないのか。作り手の意図はいろいろあるのだと思いますが、まあ創りたかったんだろうなあ。

2週間、全国2館とあっては、残念ながらリアルタイムでは観ようもない。それでもソフトを出してくるだけ優遇されているのでしょう。

早いとこ力をつけて、全国展開できる長編を動かしてほしいです。あーでも、その頃には別の作品作っているんだろう。そうでなければいけないですから。

枯渇の仮面

2 Comments »
EX-AID

アキバか?タートルズか?

シネコンに足を運ぶ気には全くなりませんが、東映スーパーヒーローイヤー企画として本日封切られる劇場版仮面ライダーゴーストには、おそらく慣例として次に登場するライダーが顔見世興行するはず。

なのですが、新しい仮面ライダーことEX‐AIDとやらは、せっかくの斬新デザイン(良いとは言ってないからね)をライダーの記号に呪縛されたことで、結局はキワモノインパクトを背負わねばならないようです。戦隊でもライダーでもないキャラクターを堂々と売りに出せないようなプロデューサーなど、もはや不要なのではないか。と何度も書いてきましたが、デザイナーもデザイナーだねこの造形は。

胸のプロテクターにゲーム機のようなボタンが付いているボキャブラリィの低さは、子供にわかりやすいつもりでそうしちゃったのでしょうけど、せめてボタンの形くらい「ワンダースワン」のものを持ってこないとダメだったんじゃないか(なんかもうよそのメーカーのゲーム機ボタンみたいなのさ)。そのよそのメーカーはすでにスマートフォンとインターネットを駆使した「これをやりたかった」ゲームアプリで世界を席巻してしまっている(良いとは思ってないけどね)時代で、ゲームマニアがハードかソフトかの力で変身する趣向をどうぶつけていくのか。

電光超人

かなり早い時代の挑戦だった

ちなみに、ゲームを扱ったものではありませんが、インターネット回線やコンピュータの回路、ソフトのプログラムに侵入し侵略する敵を、カウンタープログラム(と、謎のエージェント)で倒すという番組だったら過去に居ました。

ウルトラでも宇宙サイボーグでも鏡の戦士でも地底の巨人でもない新機軸を、世界観だけでなく造形としても作り出したという点で、撮影技法の良し悪しはともかく、当時の円谷プロダクションのほうが意欲的でした。

シン・・・

シン・・・ はコメントを受け付けていません
呉爾羅

こんなもん作っちゃってー

この日付なので当然観ておりません。試写会に呼ばれるつてもないし。だけど昔「八岐大蛇の逆襲」だとか「ガメラ大怪獣空中決戦」だとかを観て喜んでおきながら、今度の「シン・ゴジラ」は観に行きたがらない心理が働いており、たぶん家内がソフトをレンタルしてくるまで目に触れないような予感であります。それはひょっとすると、まるで「進撃してきた巨人」みたいなゴジラがいやだからかもしれないし、三百名を優に超えるキャストで揺さぶりをかけてくるのはいいけど所詮そんなに役者を知らないしという圧迫感からかもしれませんし、「シン」という冠になんらかの拒否反応を抱いてしまったからかもしれません。

 

しかし制作サイドの意図はわかりませんが、「シン」の付くゴジラがことし作られるということには象徴性があるなと感じています。2016年は申(さる)年でありそのサルに当てられた文字通り当て字の申は「シン」と発音し、もともとは「呻(うめき)」の意味であったらしいですから、庵野さんなり樋口さんなりの「ゴジラを任された心中」を表現するのにぴったりです。

ことし新作のゴジラを復活させると、これがシリーズ化されるのかどうかも話題となりましょうが、かつての乱発のように毎年とはいかないだろうと。すると、スローペースで次にゴジラを出現させたくなる年回りとなれば、東京オリンピックが巡ってくる4年後の2020年。ここにターゲットを絞らなくてどうするよというのが次作のプロモーションではないかと思います(気が早すぎ)

会見1

あ、間違えたよ

とすると、シンが申であることは、閏年になるとゴジラが攻めてくるというベタな語呂合わせにもなるのです。まあそれやっちゃうと、次作は「ネ(子)・ゴジラ」かよ? てな突っ込みも入るでしょうけど。しかしわかります? あえて漢字とカタカナの壁を取り払ったこじつけで物言いすれば、「申」と、子ならぬ「ネ」の組み合わせは「シン」と表音する文字を産み出すのです。

閏年には辰年もあるだろうって? この辰もまた、こじつけなくたって「シン」と呼ぶじゃないですか。

 

Go!

4 Comments »

合身どうせ今どきガラケーですから、内蔵カメラのレンズ特製で巨大ロボ感出して遊んでるのが関の山です。日曜日の割には天狗の森の山の上はそれほど人出もなかったので、車もきちんと駐車場に停めて、雲が途切れる瞬間ねらって一発勝負の待機ですよ。なのになんで、スマホのアプリで徘徊してきた人々から変な目で見られねばならんのよ? というほど、こっちはサブカルチャーの域にすら届いていないことを痛感。

ま、わざとやってんですけどね。