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  ~懲りない傾向~

走り始めて半世紀過ぎてますもんねえ

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童話作家のあまんきみこさんが、知らぬ間に「車のいろは空のいろ」の新巻を出版していたというので、「なんてことだ乗り遅れたぜ!」とばかりに注文しました。第4巻めは2022年11月に発表されていたのですが、このタイミングで2度目の新装版として、全巻BOXものが売り出されており、こちらを入手したのです。このお話は小学生の頃に教科書に載っていたものが初読みでした。そのあと図書室で同書の1冊めを見つけ小躍りしたものです。

しかしこの新装版を見るなり「ななななっなんですとーっ」と驚愕するのでした。なんと主人公の松井五郎さんが走らせている空色のタクシーが、セダン(下の写真が新装以前のもの。画家も変わっています)ではなくハイトワゴンに変わっているではありませんか! うむむ・・・1965年が初出で68年に出版された本ですから、松井さんのタクシーもモデルチェンジしなくてはならないほど走り続けてきた(松井さんいくつになったんだろう?)ってことですねえ。

第1コーナー後の明暗

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1984年2月3日に放送が開始された「超攻速ガルビオン」は、戦闘機に代わってスーパーカーが3段変形(後述の理由により中間形態は登場せず)するロボットアニメで、自動車が超絶的に進化する世界観の用意や、キャラクターデザインに当時人気漫画家のたがみよしひささんを起用するなど何か起きそうな予感をもたらしました。まあその期待は第1話のクオリティでかなり削がれるんですが、スポンサーの玩具メーカーが5月に倒産しあえなく打ち切られてしまいました。

ガルビオンことサーカス1その他の玩具に寄せていた期待も未発売という流れで打ち砕かれ、後年別メーカーからリリースされたもののもう模型作るの億劫だったし更に後から出てきたものは高額だしで、縁がありませんでした。

ガルビオン放送開始に1日遅れること2月4日には「重戦機エルガイム」が始まっています。こちらはガルビオンとは別メーカーの倒産によって、企画段階でスポンサーが変わった幸運なロボットアニメ。変形こそしませんがフレーム骨格の要所に合金を使って低重心制御と可動の自由度が飛躍的に向上した玩具が登場しました。このハイ・メタルものはバルキリーのように続々とバリエーション展開はせず、やはり変形や合体には一歩及ばなかった感があります。

しかしエルガイムはそれまでの巨大ロボのデザインとは一線を画し、洗練されたフォルムとシンプルなマスクに好感度がありました。バルキリーとてあの頭部のごつさは戦闘は形態では違和感丸出しだったのです。この番組でも幾多のヘビー・メタルが登場し、やっぱり変形だとマークⅡが繰り出されますが、エルガイム自身の流麗さに敵うものはありませんでした。

両作品とも40年前の出自ながら、現代でも通用する魅力を携えています。

意欲的でちぐはぐなヒーロー

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インベーダーの奇襲で冒頭から部隊全滅という幕開けは「秘密戦隊ゴレンジャー」を彷彿とさせましたが、番組のフォーマットは視聴層の高年齢化を意識してか、装備も銃火器も特殊車両もリアル志向に振っていたのが「ブルースワット」の洗練されたところ。バイクのカウルにも専用車にもアウターロールケージを括り付けるかっこよさがありましたが、全体的には地味ヒーローなのです。インベーダーの着ぐるみがぶよぶよに不細工だし、無理が祟った脚本の梃入れが最悪。

後半、この特殊車両ストライカーも主役のショウもパワーアップして明るい色彩にマイナーチェンジするものの、その力を与えにやってきた宇宙人がもうヘンテコ極まりないうえに毎回の登場がバンクフィルムで尺の無駄だ(制作側にとっては尺の稼ぎですが)と、失速を食い止めようがない。1984年1月30日の放送から本日で40年になりますけど、こういうのは今リメイクしながら、それこそ東映ヒーロータイムから切り離せば案外行けるんじゃないかと思います。

 

闘将の最期から45年

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俗にいう「長浜ロマンロボ三部作」という、故長浜忠夫さんが手掛けたロボットアニメがある中(意外かもしれませんが長浜巨大ロボアニメは5作品しかない)、合体のコンバトラー、ボルテスに対して単機変形の「闘将ダイモス」は、45年前の1月27日に最終回を迎え、「何がロマンだ愛だこのやろーっ、俺はそんな演出大嫌いだーっ」と生意気なことを言っていた少年(僕のことです)の留飲を下げたのです。まさか翌週から「踊る戦隊もの」が来るとは思わなかったけど。

そのような嫌いなアニメながら、バカでかいトレーラートラックがヒト型に変形する玩具の方は、余剰部品を多々残したものの変形前のボリューム感や武骨なスタイルが気に入っており、後に見つけたジャンク品が「木星軌道上の人工天体内で自沈した」イメージをよく表してくれて今でも手元に残してあります。これが2008年に超合金魂としてリメイクされると、やたらとすっきりしていて拍子抜けしたのですが、ロボ形態重視なので仕方がなかった。

ダイモスの手足を格納した「トランザー」は、全長が不明です。ダイモスの全高が45mという設定なので、脚部を伸縮収納した分で推測すれば、トランザーは約40mもの巨体になる。旧ポピニカDXと超合金魂とでは変形機構が全く異なります。旧作は45年前の技術として見てもなかなか優れた、要はトランザー形態重視の出来栄えでした。番組もダイモスではなくトランザーで最期を描いていたし、そこが生意気な少年の琴線に触れたのかもしれません。

旧作のトランザーをもう一度見直してみると、第一印象で「超合金魂よりも超合金トイになっている」という点がわかります。ただし設定上ダイモスになると体内のあちこちが空洞化するので、そんなんで格闘戦できるのか?という疑問も出ますが、ロボでなくトレーラー時の見映え優先は、所詮変形したところで流麗な姿のロボにはならんと、割り切りきった判断を通してしまう(多分そんなことじゃないかなあと想像)デザイナー・村上克司さんの秀作です。

 

五番目の月着陸

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話題にするのが出遅れしてますが、JAXAの無人探査機「SLIM」が20日午前0時20分あたりで月面着陸を果たしました。昨年9月に打ち上げられていたもので、やはりJAXAが申請し国際的に命名認証されたクレーターSHIOLIにほぼピンポイントでの着床を成功させています。日本初と同時に世界で5番目の月着陸となり、技術的にも着陸精度の飛躍的向上が話題となっています。ランディング方法も4脚の後ろ側2脚を先に着床させ、あとから前2脚を降ろすというユニークな手法がとられました。

この着陸、2015年にリリースされた「宇宙兄弟26巻」で、南波六太が月着陸ミッション時のトラブルで傾斜してしまった着陸船を立て直す際、着陸船に組付けられていた多脚走行装備を駆使して支えきり着陸船の転倒を防ぐというリカバリーによく似ています。「SLIM」の方はあらかじめ「転ぶように」と説明されています。するとこれは、2015年以前から、探査機の着床技術としてプランに乗っていたものが、先んじて「宇宙兄弟」に採用されたということなのかもしれません。

「宇宙兄弟」の時系列における2024年では、まだ六太は宇宙飛行士ではなく自動車メーカーの開発部所属で、彼がデザインしたクルマが賞を獲得する年回り(来年、上司に頭突きを食らわしクビになります)。弟の日々人が初めて月へ打ち上げられるのもさらに2026年まで待たねばなりません。その間、現実世界でも月へ再び人類を送り込むアルテミス計画の一環ミッションが準備されていて、「SLIM」もまたそのための橋頭保を築いたことになります。

 

これがNewGenerationの威力なのか

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昨日、「ウルトラマンブレーザー」が最終回にしてテレビ放送の大団円を迎えましたが、第1期ウルトラをリアルタイムで知る身にとって、それよりも若い人たちが半世紀にわたるウルトラを咀嚼して作り上げるとこうなのかと、眼を見張り膝を打ち続けた半年でした。ニュージェネレーションという言葉は「ウルトラマンゼロ」以来の「ウルトラマンに与えた称号」と思っていましたが(実際そうなんだけれど)、これは作り手にこそふさわしいなと感じます。

縦軸を三通りも持たせながらその一つである「このウルトラマンは何者なのか」についてはあっさりとうっちゃり謎のままありのままの、全体を通して尺がもったいないから余計なことは描かない作風は、なるほど作り込んだ「初代」や「セブン」と比べると一見煩雑ですが、必要なものを何一つ落としていないばかりか、登場人物を一人たりとも粗雑にしていないところが素晴らしい。もちろん「ブレーザー」が今後のすべてのフォーマットになるわけではありませんが。

その一人であるミナミ・アンリ隊員役の内藤好美さんの演技は、場面ごとの表情の出し方、視線の動かし方と、脇の脇に置かれていても実に細やかな芝居をしていて好感度が高いです。聞けばドラマはほぼ初登場の人とか。もったいない、あと一クールくらい見ていたかった。てことで、わかりましたよこのあと予定されている劇場版も観に行きますよ。彼女の「やっぱみんなノーコンだと思ってたんだーっ」のセリフが聞けるというアースガロンの玩具も予約しましたよ。

あ・・・ヒルマ・ゲント隊長については映画観てからの感想で行きます。

初観音の亡者送り

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毎月18日は、観音菩薩との結縁日にあたり、1月は初観音と呼びならわします。全国津々浦々の観音様を祭るお寺でほぼもれなく行われる縁日のうち、浅草寺では12日からこの日まで「温座秘法陀羅尼会」という除災招福の秘法が修法され、そのほとんどが非公開ながら18日最後の「亡者送り」のみ見学できます。これは松明を持った鬼役の2人が境内を巡り、銭塚地蔵堂脇に掘った穴に松明を投入するもので、参列者は松明の燃え殻を火除け厄除けの縁起物として拾うものです。

浅草寺の本尊である聖観世音菩薩は江戸時代に今の隅田川で漁師の網にかかって現れたという伝承があり、この日が3月18日であったそうです。悪魔封じの行事は本来五穀豊穣を祈願するものですが、1998年には意外なご利益をもたらしており、隅田川を遡上するテロリストの4足歩行レイバーが吾妻橋から上陸し、特車2課第一小隊のレイバーを撃破しつつ雷門通りをのし歩きながら、雷門にはまったく危害を及ぼさず国際通りへと誘き出されていきました。

・・・なんのこっちゃ? というと、

「上陸地点は吾妻橋の浅草側。このあとお客さんを国際通り、言問通り経由で上野公園までご案内する」
「というわけで、はなはだ簡単ではありますが、これが今回の話の関連地区図であります」
「なるほど! 広い上野公園に誘い込んで迎撃作戦を行うのね」

などという捕り物が繰り広げられていたのです。

これがたぶん98年3月頃のこと。18日だったかどうかは定かではありません。

石川県のはしっこのほうから来た彼女

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能登半島地震から2週間近くが経ち、亡くなられた方も被災された方もどんどん増えています。被災地の救助支援困難さは、東日本大震災を思い出せばやはり半島の各所に点在していた町で、能登は半島の規模も大きく陸路のインフラが寸断されては極めて大変な状況が続いているはずです。

そんなときに不謹慎かもしれませんが漫画の話。

高松美咲さんの「スキップとローファー」の主人公・岩倉美津未は東京の燕西高校に首席入学し「石川県のはしっこの方から来ました」と自己紹介する高校一年生。彼女が黒板に書いた略図だと、珠洲市か能都町あたり(に所在する架空の鈴市)が実家で、「将来T大に入って官僚を目指し、総務省で過疎地対策を学び定年後は地元に帰って市長になる」という、故郷の過疎問題を憂えながらも気丈で朗らかでちょっと世間ずれした、でも裏表のない娘なのです。

例によって雑誌連載は読んでなくて、コミックスの展開でしか時系列を追っていませんが、連載自体は2018年に開始されていて、物語の進み具合はまだ彼女も高校二年生の夏秋くらいです。が、これを現実の世界と並べると、順当にT大に入れていれば今三年生。こんな大災害を目の当りにしたら、彼女は何を思うのだろうかと。

同じ雑誌で「波よ聞いてくれ」を描いている 沙村広明さんは、アニメ版で先行した北海道胆振東部地震エピソードを連載にも組み込みましたが、高松さんが同じことをする必要は無いし、なんでもかんでも現実にくっつけては無粋です。それでも起きてしまった災害を脳内から追い出すこともできず、彼女とそのご家族や彼女の友人たちが少し近い未来にどうなっていくのか気になってしまうのです。

アニメ版も見てみると、狐目やや三白眼の、うーん美人とはちょっと違うなあの彼女ですが、オープニングで披露されるダンスシーンがなかなか良い。ほんの一瞬瞼を閉じる場面がいくつかあって、ほーほーかわいらしいじゃん、とも思わされるのです。この漫画では数年先にやって来る現実とは切り離して、ほっこりするスクールライフ・コメディーを踏破してほしいものです。

 

堕落の自覚

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暮れに届いた「百姓貴族第八巻」に、その単行本と共にテレビアニメ版DVDが付属していまして、えっ? そんなのいつどこで放送していたのっ? と狼狽しちゃったわけです。ソフトには放送されたという全12話と、特典として未放送2話が収録されていました。

この漫画をアニメで見ると、人間堕落していくのがよくわかります。漫画ならばきちんとコマごとに目で追うしセリフやト書きの情報を能動的に入力しますから。

動画と音声はそんなことをしなくても全部「見せてくれる」ので、ことこの手の漫画のアニメ版は脳活動を堕落させます。うーむ、「百姓貴族」のアニメ化はならん。モノが面白いだけに脳みそが受動的で馬鹿になってしまうのは甚だ良くない。

と思ってたら、うちに届いたパッケージには付いていないシールが書店ものにはあるらしい! なんてことだ、第2期制作決定だとっ!

足元から竜が上がる

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十二支の干支の中で、竜は唯一、想像上の存在です。辰年は陽の気の脈動によって万物が振動し活力旺盛する、成長し形がととのう年とされています。超自然的とはいえ想像上の存在ごときにそんな効能があるのかよと思うのですが、身近で突然意外なことが起きたり、急に思いついて何かしらを始めることを「足元から竜が上がる」と言い、要は気持ちの持ちようなのかと半分納得するわけです。

竜の視点から見たらきっと「行き当たりばったりで暮らしてやがるくせにどうにかなってるだろうよ」などと言われそうなのがつくばーど®の在りようです。それでもいろいろなものが重くのしかかってきているのが現実。ここで足元に潜む超自然的想像の存在に頼るか、地に足をつけて前を向くかを決めなくてはならないのが人の辛いところです。

ぶつぶつ独り言ちていても2024年は始まってしまいましたから、今までどうにかなってきたならここからもどうにかなるんじゃないの? という能天気さを捨てることも無いのです。と・・・なんともいい加減な一年の計を立てることにしました。自分の力量を願みず強大なものに抗うとか、大それた計画や無謀なことをすることを「竜の髭を蟻が狙う」とも唱えますが、何も自分で自分を蟻呼ばわりしなくたっていいじゃないですか。

そのような気分で、遂に無謀で大それた計画の後半戦に挑んでまいります。

などと能天気なことをやっていた矢先、令和六年能登地震が発災し、極めて広範囲な津波と局所的大地震の被害が時間を追うごとに拡大しています。仙台での被災を思い返すと、それこそ自分には何一つできない無力さしか蘇ってきません。被災された地域の方々が少しでも平穏を取り戻せますようお祈り申し上げます。