Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

そんなことないでしょーと思っていたら

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山形市内の榮玉堂のどらやきを勧めてくれた乙姫さんによると、

「午後には売り切れてしまうので、あらかじめ取り置きしてもらうと良いです」

とのことだったのですがうっかりそれを忘れて昼飯食って博物館を訪ねて時計を見たら14時を過ぎていました。今考えると博物館を後にすべきでしたがとりあえず近所同士なので行ってみると・・・

おぉ、ショーケースには様々な味のどらやきがぎっしりあるではありませんか。店内の喫茶コーナーにもお客はいません。

なんだよ乙ちゃん、おどかすなよーと、娘らの好きそうな種類を買い求め、お茶を飲んでいると、1人、2人とお客さんが来店して、これが三組、五組と続々増えていき、「生どら10個」とか「抹茶小豆どらとチョコどら5個ずつ」とか、突如すごい勢いで売れていくのです。

買い物して喫茶コーナーに席を取ってから、せいぜい7~8分のできごとです。かくしてうちのどらやきとコーヒー代を支払いにレジに行った(あまりの混雑にしばらく席を立てなかった)ときには、ショーケース内のどら焼きはほぼ完売状態でした。乙ちゃん、大変失礼いたしました。無事に購入できたのは慶事でした。

※この記事は25日の掲載予定でしたが、例のミニカーの件が生じ先延ばしとなりました。

鎌倉中央病院

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念のために調べてみましたが、鎌倉市内にそのような病院は無さそうです。噂によると、心霊内科というセクションがあるとの話ですけど、鎌倉の警察署には心霊捜査科なんてものがあるくらいですから、いちいち驚いてはいけないようです。

それはともかく、1936年頃の竣工だとかで、豪奢な大理石仕上げ。床のモザイクタイルの模様がしゃれています。

ここから見上げた天井は遥か高いところにあって、建物全部の層を吹き抜けた空間と、ステンドグラスの明かり取りが特徴。階段の手すりには貝の化石が浮き出ていました。

戦争を経験しているこの建物には、アメリカ軍の戦闘機によって機銃掃射された弾痕も多数残っています。

吹き抜け近くの高さからのぞき込むと、床のモザイクタイルの模様がよくわかりますが、あれっ? なんだか・・・一階を歩いていたときとこの見降ろしは、景色が違うんじゃないか? と思った方々は、その観察力が正しいのです。

何が違うのかは説明をしませんが、これは「DESTINY 鎌倉ものがたり」の一場面です。

この場面は病室のドラマもあり、それは笠間市の「筑波海軍航空隊記念館」がロケに使われていたことが有名なのですが、あの建物にはこんなに高い吹き抜けは存在しないし、そもそも建物自体がこんなんじゃなかったよと、ずっと感じていたわけですが。

先日、仕事で出かけて駐車場所から建物を見て「・・・あ」

千葉大の医学部本館こそが、鎌倉中央病院の姿だったことを知りました。当時の文部省が直接設計を手掛け、同省の佇まいと同じような仕上げにしてあるそうです。ここに700人からの学生や教員がいるのですが、近所に新しい建物ができるので、耐震基準を一部で満たしていない本館はいずれ解体されてしまうとか。

それも運命ですが、いざなわれた僕もDESTINYなひとときでした。

覚えていますか って誰に言ってるんだ

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三代目エスクードが登場した頃のカタログには、青森ベイブリッジを渡る後ろ姿(合成)がグラビアとなっていました。リンク先の写真は実景なので三代目はいませんが、それが青森市を扱っていたことに新鮮さを感じました。四代目は北海道まで行ってます。けどそれは今回割愛。

割愛しちゃってまでなぜバンディッド?と思われましょうが、これが本題。

またしても合成てすが、このルーバーのような赤い壁もまた、青森市と思われます。青森港に対してベイブリッジの内側にある「青森市文化観光ねぶたの家ワ・ラッセ」の外壁ではないかと。実際には歩道なので乗り入れられませんが、暖簾をくぐるようなイメージのこの壁は金属です。ここで写真撮りたくなるんですよ。

僕が撮ったのは10年前。妙に気が合っちゃいましたが、あれですかね、スズキが発注する広告代理店のどなたかに、青森県出身のキーマンでもいらっしゃる?

「おいそこのホモサピ」という声は凡人には聞こえませんが

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なにげに書いてありますが、18500リットルの酵母って・・・

オリゼー何(兆)体分?

そもそも「兆」の単位で済むのか?

寒中見舞い申し上げます

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積んだ葉書の厚みがわからん

本年も沢山の年賀状をお送りくださいました皆様へ、あらためまして御礼申し上げます。

だいたい同数枚のうちの賀状はお蔵入りとなり、まあそれでも「お年玉年賀はがきの抽選あるしね」と言っていた割に、17日に行われた抽選会を忘れていまして、あとで気づいたら

そんなに簡単に一等は出ないのさ

という結果となりました。

遅ればせながら・・・そうでもないか、立春までまだ間があるので、この場にて寒中見舞い申し上げます。相変わらずつまんないブログばかり書いてますが、コメントください←そこかよ

まあ小さくなったこと

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「Sレイド」を始めた頃、筑波研究学園都市の国土地理院敷地内にあったVLBI観測局のパラボラはもう5年以上前に解体され、現在は石岡市に二代目が設置されています。2014年から稼働していたのですが、どうせ柵の向こうで近寄れないんだろうと思い込み、現地に出かけたこともありませんでした。

が、近寄っていいようです。観測概要を紹介する小さな展示室までありました。

それならそうと早く言ってよ!

↑ なにを今頃・・・

しかし観測装置としての高性能化が目に見えるほどの小型化ぶりです。地理院にあったアンテナは直径32mでしたが、二代目は13m。以前は常時観測ができませんでしたが、これは24時間365日稼働しています。地球上における国土の位置を1mmの精度で測位し、国際的な位置の基準座標系を構築・維持するのです。海面変動やプレート運動といった地球規模の諸現象の解明、人工衛星の位置決定、GPSの高精度化を担っています。

牛も千里、馬も千里

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西暦の末尾が「1」の年、株式市況にとってはろくなことが起こらないそうです。ついでにその年の干支が「丑」だったりすると、何かしらの要因でつまづくことも少なくなかったとか。真偽のほどは、過去の年回りを点検し、ことしを過ごしていけば、どうにかなるのかならないのかがはっきりするでしょうから、当たるも当たらぬも八卦ってところです。

昨年暮れに木星と土星が何百年ぶりの超最接近したことで、世の中の流れはすでに切り替わっているという説もあります。西洋占星術において「風の宮」に属する星座の人たちにとっては、大躍進の年回りだとか。これもまた真偽のほどは過ぎてみないとわかりませんが、丑年で天秤座の僕は、両方比べてプラマイゼロかよ?

翻って丑=牛。牛乳飲んで育ったうえ、牛肉食って重くなった恩恵を受けていながら、牛には馬ほどの魅力が無くて、有馬記念や東京大賞典を走る競走馬が話題になっても、闘牛場での牛の扱いはもとより、そも闘牛って牛がマタドールに負かされる趣向じゃん。劣ったものから優れたものに乗り換えることを「牛を馬に乗り換える」とも云ってしまうのも、なんだか哀れさを感じます。

早くても遅くても、劣っても優れても、行き着く結果は同じじゃありませんか。慌ててもしょうがない。15年もかかりましたが、地球と月を往復する距離を走り切ったし、あの6月の日から現在、80万キロまであと6000キロを割りました。

牛も千里、馬も千里。走り続けられるなら、走ります。

おはようございます

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2020年はいろいろな著名人が鬼籍に入られ、昭和から平成に移り変わるときもそうだったと思い出していましたところ、昨日、31日午後、家内の母親が老衰にて享年85歳で静かに息をひきとりました。

新年早々そんな話で申し訳ありません。

そのような次第で、喪と年越しが一緒に来てしまいましたので、欠礼のご挨拶も間に合わず、年賀状の発送を急遽中止いたしました。年始のご挨拶もひとまず本日のみ辞退させていただきます。本欄へのコメントも不要ですのでお気遣いいただきませんようお願い申し上げます。

当ブログ、つくばーどサイトの掲示板などは通常運営いたします。

相変わらずのコロナ禍、警戒レベルの大雪です。皆様も安全とご健康にお気をつけ、2021年をお迎えください。

今さらですが20年紀でした

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一番下まで切り取れなかった

なんか10年前にもやっていて、またしても同じ轍を踏んでいますが、2020年はつくばーどサイト開設20周年でした。こんな年回りにコロナ禍なんか呼び込みやがったのは何処のどいつだよ。何一つまともな記念行事ができませんでしたよ。

20年紀なんて言葉があるのかどうか調べてみると、Scoreというらしいですが、2世紀くらい前に廃れてしまったらしく、2度目の10年紀としてTwo Decadesと呼ぶらしいです。

らしかったなあというのは、BLUEらすかるが地球帰還を果たしたことと、ついうっかり「200回目のつくばーど」を独りつくばーどでやってしまったことでしょうか。秋以降、買い出しトライアルを復帰させて、不発にならずに済んだことはもう安堵以外の何物でもありません。テレワークが定着しようとも、やっぱり引きこもっているのは性に合いません。

仲良しの福島県相馬の市長さんに「ウィズコロナというのは、正しく怖れて賢く逃げるものなんだよ」と教えられました。彼はもともとお医者さんです。様子を慎重に見ていればどう対処して回避するかが見えてくるということだそうです。これは「慣れる」ということとは少し違います。慣れは成すべきことを見失いますから。

それにしても、10年の節目の2度目を過ごして、なんだかんだ言って持続していることは、いかに不真面目に歳月を浪費してきたということなのかもしれません。それもぼちぼち残り少なくなっているとすれば、来年も好き勝手にやりたいぜ。という暴言を吐いて、本年を締めくくります。

みなさま良いお年を。

 

樹木月 tree moon と、ついでに記録の樹立

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一般的には十一月の満月を呼ぶなら「ビーバームーン」なんだそうですが、英語圏には「ツリームーン」(樹木月)という言葉もあるそうです。日本じゃ「霜月」ですけどこれは満月のことを示しているわけではありません。でも、英語圏には「フロストムーン」てのもあるそうです。要するに霜月ですね。

などと言いながら写真は10月(ハンタームーン)のもので、なんか小さいなあと思っていたら、マイクロムーンの晩だったようです。

そんな月世界から(道のりだけ)帰ってきちゃって五か月ほど、行き場を失った感のあるBLUEらすかるですが、本日先程、79万キロに辿り着いております。何が末期だばかやろー!

でも聞いた話だと、沖縄県のタクシーなどはこのくらい平気で走っているとか。やはり80万キロは越えていかないと自慢話になりませんね。