Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

とかいなかの街

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千葉ニュータウンに出かける機会がありました。実に八年ぶり・・・かというと、東北転勤の後に一度、狼駄さんが車にはねられ日医大病院に担ぎ込まれたと聞いて仙台からすっ飛んで印旛村の二ュータウンエリアに来たことがあるのですが(それでももう八年くらい前?)。驚いても仕方がないのですけど、ニュータウンのオールド化は、ここでも始まっていました。街を歩く人々の高齢化が目立つのです。ベッドタウンだから昼間人口の年齢層に空洞化があるのも当然ですが。

多摩ニュータウンに比べて20年は開発が遅れたここでは、多摩が高齢社会化する傾向を基に多世代交流人口の定住策を練ってきました。それでも人は齢を経るのを避けられないと、風景の中の人々を見て感じます。いや、そういう自分自身だって齢喰ってるんで人のことは言えない。ただしニュータウンの実際について付け加えれば、赤ちゃんを抱っこして買い物に出る若いお母さんや、カート?に乗せられて散歩に出かける保育園児たちもいるので、多世代定住は実現しているようです。

とかいなか、なんて言い方は糸井重里さんみたいですが、千葉ニュータウンは郊外と都市の中間的な街というイメージを描き、郊外=ルーラル、都市=アーバンから生み出された「ラーバン」なる愛称を持っていました。実際、開発が遅れた分、雑木林や谷津の点在するクラスター開発地です。が、8年もするとその原野だったところにもいろいろ建ち始めています。山羊を飼っている喫茶店も、野原のあぜ道にほつんと生えていた大きな一本の木も、いろいろ無くなっちゃってるねえ。

毎日がお上りさん

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実際に上り列車で通勤しているから、あながち間違いではありません。それでも十代の終わりごろから二十代はずっと、渋谷だろうが原宿だろうが板橋だろうがどこだって知らない街ではなかったんですよ。

だけど今になって、仙台でニュース映像としてしか見ていなかった絵空事のような東京の景色を目の当たりにすると、こんなんでいいのかなあと思わされるのです。

八十年代に一極集中の是正とかぶち上げて、多くの公的機関を郊外に転出させて、土地の有効活用をどうやるのかと思えば、結局集中を加速させただけという。そこへきてオリンピックですから、すべてがもう免罪符でこの機にやっちまえと言わんばかりです。

そのような変貌都市のなか、丸の内の駅前だけ空々しいほどモノをどかしちっゃて、これが僕の眼にはかえって、国力の衰退にしか映らなかった。迷子になりそうなバスロータリーだとかひしめき合うタクシープールの風景は、あれはあれで東京の活力を表していたのじゃないかなあ。

帆場暎一や柘植行人の気持ちが、わからんでもないです。でも建設現場にも警備される場所にもレイバーはいません。

 

 

異次元の胎内

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福島県の会津美里町が擁する「あいづじげん」さんと初めてお目にかかりました。合併した旧町村、曜日ごとに地域の特産を表す色合いなどアイデアにあふれたマスコットなのですが、そのおそるべき特殊能力?を目の当たりにしました。

その前に、じげん、という名前は地元出身の慈眼大師(天海)の諡号からとられているそうです。

何がおそるべきかって、漢字で書かない程度の話ですが、お目にかかった場所はかなりの山間部で、僕のスマホをはじめ部下のiフォンも周囲の人々の端末もみな圏外だったにもかかわらず、あいづじげんさんだけが何やらどこかと対話連絡しているのです。

そこへお付の人がやってきて、おもむろにじげんさんの背中に手を突っ込み、まるで心霊治療のようにどんどん腕をめり込ませていったかと思うと、胎内からスマホを取り出し連絡を続けようとしたのだけれど、つながらないという・・・

心霊治療のようなシーンにも驚きましたが、その胎内では通話可能なあいづじげんさん、すげー。

夜の世界

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「夜の世界」は、五木寛之さんの短編小説の題名で、地味な教師の中年男性が妻子に隠れて古びたシムカを購入し、夜な夜なこれを走らせ家庭も仕事もかなぐり捨て自分だけの時間に溺れていくお話。

それと密接な関係はありませんが、仙台暮らしの中で僕も、時々似たようなことをやっていました。

仙台宮城インターから東北道に上がり、ちょっと南下して仙台南部道路に分岐してこれを走りきると、今度は仙台東部道路にジャンクションする。東部道路を北上して石巻方面には向わず仙台北部道路に乗り入れ再び東北道を目指し、東北道に戻った後は仙台泉インターで降りるのです。

作戦室からのドアtoドアは、ちょうど70キロ。1時間ちょっと、仙台都市圏の夜景と陸送トラックの隊列を眺めながら、周回してくる、夜の世界です。夜景については、この環状線は郊外を走るために首都高のようなきらびやかさはありません。まあ、仙台も外から見たら田舎町です(おいおい)

気分的には、あと30キロくらいの延長があったらいいのですが、そのような路線は無いものねだり。ただしあと数年すると、福島まで南下して相馬へ山越えし、常磐道から東部道路に戻ってくるルートが開通します。もっともそれを待たなくとも、郡山からいわきへ出て仙台に戻ってくることは可能・・・いや、それは長すぎ(笑)

時折、仙台都市圏ループを走ってみて思うことは、どうも「そういうあほな愉しみ」をしている人はいないみたいだなあということです。たまに傍若無人なミニバンが追い越して行きますが、ナンバーが関東圏で、どうやら東北道から入ってきて南部道路で頭を抑えられてイライラしてか、二車線の東部道路になると一気に陸送隊列を追い越して行き、石巻方面の三陸縦貫道路へ消えていきます。

人車共に歳を食ったので、こちらはそういうのはやり過ごしてのんびりと周回するのですが、高速を降りると今度は国道をタクシーが結構な勢いで闊歩している。それらを回避して路地に入り、コンビニエンスストアでコーヒーを買い求め、小休止しながら作戦室に戻ります。

それでちょっと寝てから朝ドラを見て出勤しても一番乗りなんだよね。こういう遊びもおしまいです。来月からは早寝早起きしないと身が持たない。ただし早寝できるように帰って来られるかどうかが甚だ不安・・・

行く方もなし恋の浦路

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津屋崎の
岸に寄る波返るとも
恋の浦路は
行く方もなし

福岡県福津市にある玄海国定公園には、こんな悲恋の昔話があるそうです。

曰く、博多の廻船問屋の倅である仙吉と、土地の庄屋藤七の娘嘉代は許嫁の仲でしたが、嘉代の美貌に横恋慕した藩主黒田長政の叔父・養心がその権力を振りかざし、御台所様介抱附添人として横取りを企てたがために、二人は小舟を出し玄界灘に身を投げ心中してしまうのでした。

この小舟が二人の辞世の句だけを運び流れ着いたのが津屋崎の浜辺で、後に恋の浦と呼ばれるようになったと(あくまで昔話です。史実とは言わないよ)

絆や蜜月、いろいろな言葉があると思われますが、力を持つ者に突如、行末を阻まれることはあるのだなあ。

何を言い出すのかこんなブログではわからないでしょうけれど、事実は小説より奇なり、です。いずれおわかりいただけるでしょう。

山より大きな猪は出ぬ

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山に生息するあいつらが山より大きなはずはないというのは至極当然の道理。器より大きな中身は無いのよ、という意味であり、大言壮語もたいがいにしやがれと諭してくる言葉です。

2018年が誕生30周年であったスズキエスクードを我々なりにアピールしたいと、昨年は沢山の人々にご尽力をいただきました。30年ですよ、さんじゅうねん、という大口をたたいた割には、大したことはできませんでした。まさに猪並みのスケールで野山を走り抜けただけ。しかし面白楽しかったことも実感できました。要は、器の中身の大きさを論ずるよりも、密度の方が大切だったのです。そこを伝えきれなかった反省点も、もちろん残るのですが。

あと数カ月で、平成という歳月も更新されるなか、昭和の終わる直前に誕生したエスクードが、趣向は変わりながらも現役のブランドで新しい元号を迎えられることは、やはり慶事です。器より大きな中身は無い、と正論を受け止めながらも、四世代にわたるこのブランドの魅力については、我々は引き続き大口をたたいても良いではないかと感じています。

ところで、毎年のことで申し訳ありませんが年賀状を出し遅れております。

にもかかわらず、元旦から沢山の賀状をいただき恐縮しているところなのですが、そのなかで今のところ「ことし一番」というデザインの賀状を送ってくださった人の差出人名がありません。

←どなたでしょう?

 

Manuia le Tausaga Fou!

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信じなくてもいいが、我はネコ科の眷属だ

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マミポコさんが陣中見舞いに送ってきてくれた風景に佇む、もう濃すぎるキャラなシーサーさん。現地では少し離れてもう一体、阿吽の吽状態な白いやつもいるんですが、これを見てつい連想してしまったのは獅子ではなくカプセル怪獣のミクラスでした。似てるのか?って言われると、まったく似てないんですけどね。だいたいミクラス自体は古代インカ帝国の儀式に使われていた仮面がモチーフらしいですし、なんとなく水牛っぽい。

ミクラスに牛を感じるもう一つの理由は、ウルトラセブン放送当時にソフビ人形を作っていたマルサンが倒産し、再構築されたのがブルマァクで、会社のマークがバッファローだから。その頃僕にはマルサンの記憶は無く、ウルトラの人形だとブルマァクだったため、ミクラスはそれに気を使ったと勘違いしてました。ミクラスのデザインは青森県出身の成田亨さんですが、セブンを企画したのは沖縄県出身の金城哲夫さんという縁もあり、シーサー風味が入っても不思議は無いと思います。

事実、セブン版ではなくウルトラマンメビウスに出てくるミクラスなんかは、かなりシーサーアレンジが入っています。

しかしシーサーは水牛どころか古代オリエントのライオンを原点に遡る伝説の神獣だそうですから、極論を言えば狛犬ですらなく、猫の眷属らしいのです。でも、こいつの対になっている「吽」の白いやつなど、どう見ても犬なんですよねえ。

日本橋から七十五里

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国道6号線の旧道沿いにある、相馬の農業法人が営むカフェは、この地が400年来の野馬追の歴史を持つことに因んだ命名なのだと思われます。我々エスクード乗りが知るノマド=遊牧民という概念とは異なり、地に足をつけ土と暮らす人々を想起させますが、それはそれで良いではないですか。

震災前には無かったような気がするので、この数年のうちに立ち上げられたのか、転勤当時は気づかなかっただけなのかはもうわかりません。

20年くらい前だったら、ほんとにノマド乗りたちと示し合わせて、東京から300キロ、珈琲を飲みに行こうぜとツーリングしただろうに。今となっては何人、ノマド乗りが現役でいることやら。BLUEらすかるは同じ車体であっても「ノマド」のサブネームを剥奪されてしまったモデルだし(でもエスクードを大ざっぱに知る人からはノマドと呼ばれることがあります)

どれ、珈琲でもいただいて行こうと横付けしたのですが・・・

午後3時は既に閉店後でした(涙)

うむむむ・・・仙台からなら小一時間の場所ですが、平日しかやっていないらしいしそんなにしょっちゅう相馬に出かけることも無いし、こりゃ案外ハードル高いなあ。この際だ。エスクードノマドじゃなくてもいいから、どなたかトライしてみますか?

あをによし

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霙が奈良に出かけているためか、台風28号は洋上をかすめていきそうな進路予想になっています。相変わらずの晴れ女です。仙台基準で言えば、ここ数日の奈良市内はわりと暖かそうで散策にはいい陽気だと思います。

まあその分、こっちは山間部で雪も降ったしかなり寒くなってきてるんですが、10日近くも奈良と京都に行くなんて、それだけでうらやましいわ。

奈良と言えばもうあれですよね。

謎の亀石、謎の酒船石、そして謎の人面石(違)と、バスガイドの毛利郷子さん。

そういうのを待っていたんですが、送られてきたのは東大寺の廬舎那仏でした。なんだよー、石舞台古墳にも行ってないのかよー。と、罰当たりなことを言ってる親です。今回は仏教美術と建築の見学らしいので、古墳関係は除外されているとか。

総勢30人くらいで乗り込んでいったはずで、現地では小隊規模で動くとのこと。修学旅行じゃないから、毛利さんも期待薄です(いや、実在しないって)

昔だったらエスクード仲間の誰かしらが冷やかしに走ったでしょうが、もうみんなおぢさんになってしまって、そんな元気も無いだろうと、本人は油断しています。実際、出発する晩の夜行バスの周辺では、妻と同僚のおばちゃんが出没したらしいです(なにやってんだか)

しかしせめて、奈良公園では凶暴な鹿との格闘くらいはやって来てほしいよなあと思ったのですが、のんきに煎餅買って餌付けしていたようです。

ヘッドロックかけなきゃだめだろーがよっ

 

まーそうこうしながらうらやましい実況を受信している一方、冒頭の毛利さんにも「実際はどうだかわかったもんじゃありません」と言われている霙の晴れ女ぶりと台風の関係なんですが、26日夜の時点で左図。

・・・奴とは天気のことで喧嘩してはならんな