そよ吹くよりもやや強い風だったので、さながら霞める朧月夜でもなかった。
関東はすっかり春ですね。たぶん行き違いで仙台も開花したかとは思われますが、千波湖のほとりは肌寒い夜となっても花見にいそしむ人の多いこと。
入学式の頃まで満開が続いてくれるかどうか、うちは当分気にかけることもないなあ。
なにそれ? と尋ねてみたら、落石や崩落多発、冬季は降雪凍結での通行障害、それ以外の季節でも豪雨による通行止めと、酷道とまではいかないけれど状況によっては大変な目に遭う路線だそうです。
この国道115号は、ついでに福島県の伊達市側からくねくねと上り下りし、一旦は阿武隈高地の平坦を走るものの相馬市に入ってまたもやうねうねと上り下りするため、内陸と相馬港を連絡する重要路線ながらコンテナトラックが走れなかった。
という30年来の悲願を結実させ、昨年の3月に相馬側、この10日に伊達市側の山岳部分で高速道路が開通しました。双方両端が常磐道や東北道とはまだ接続していませんが、先月走った時には福島市から相馬市まで70分かかっていたものが、40分で抜けられるようになりましたよ。
「速さだけじゃないんだぞ。浜通りの急病患者を安全に福島市の救急医療施設に送り届けられる。それほどスムーズに走れるようになった。なにしろドクターヘリは雨が降ったら飛ばないし、急患は昼も夜もないからな」
相馬の市長さんと雑談すると、この方はもともとお医者さんで、若いころに患者を搬送しきれなかった苦い体験があって政治家になったのだと。それが30年前のことだったそうです。
「今年はね、相馬の海水浴場を震災以来ようやく海開きさせるよ。福島市には温泉があって伊達市や桑折町にはうまい果物がある。この道路を使って相馬福島のいいところをどんどん見に来てほしい」
開通の日、政府のかなりえらい大臣とかえらい大臣とか国会議員が式辞やら挨拶やらをしていましたが、相馬市長の話が一番実感を伴っていました。
しかし相馬市長、伊達には果物とか言いながら、ちゃっかり相馬産の苺を(相馬市として)来場者にふるまうところがお茶目です。伊達市側からのふるまいだった豚汁をいただいているうちに、苺は品切れになっていて、美味いかどうかは確かめられなかったわ。
これくらいで驚いていては地元の人々に笑われますが、さすがに仙台市内ではここまでにはならないので、日本海側の降雪量は毎年毎年油断ならないものがあります。
ふと思ったのは、このところ何度か起きている全国の火山の噴火が水蒸気噴火と分析されている件。これらの予測観測の中に、当該火山域の年間降水量や降雪量というのは含まれているものなのか。
十年くらい遡っても、体感と記憶では局地豪雨の数は増えているし、台風も大型化しているので、それは都市部に限ったことではないだろうなあと素人考えに及んでいます。そういうとてつもない降水量と根雪がずーっと火山域の地下に蓄積され続けると、けっこうな確率で水蒸気噴火に及ぶ要因にもつながっていったりしないのかとか・・・
ごく当たり前のことで、そんなエリアの除雪活動なんか、十年どころか百年遡ったってやったことないでしょうよね。
先月、雪天で東北道の通行状況が危うかった水曜日。時間勝負の仕事となりさすがに車ではどうにもならないので、新幹線で盛岡ダッシュをして6時間後に仙台で仕事という、どう考えても「時間の合理化は働き方改革にはならない」ことを実感した日のこと。それでも正午から1時間は、相手のことを考えれば仕事時間から外さねばなりません。どこで時間調整すればいいのやらと、徒歩で往く盛岡には地の利が無いなあと思ったところ・・・
以前「貸しきりランチ」で立ち寄ったお店の前でした。看板に「水曜日はカレー」とある。なんとなく風邪をひきそうな体調で肝臓も弱っているのか、カレーライスに引き寄せられます。
店内は相変わらずあの青年が切り盛りしていました。水曜日は400円のカレーが100円引き。何かトッピングしても通常400円が500円。しかも500円の注文には250円相当のワンドリンクがサービス。
焼肉でもトンカツでもオムレツでものっかるらしく、薦められたのはハンバーグ。注文後に手ごねして焼いてくれますが、おい、それかなりでかくない?なサイズ。ちょっとそれデフォルトで大盛り?というライスにそれがのっかり、惜しげもなくキーマカレーがよそられました。
やるなー盛岡。オーソドックスなカレーライスだったら学食並みだよ。これで新年会までカレー食わずに暮らしていけるよ。
ところで書き出しで「先月」と断っておりますように、年が明けたので僕はカレーライスを断っております。新年会までカレーは食わないことにしているのです。ですからお間違いのないように。このお話は2017年12月の記録です。
わし座で最も明るい恒星で全天に21ある1等星のひとつ。七夕の季節には彦星、牽牛星とも呼ばれ、こと座のベガ、はくちょう座のデネブとともに、夏の大三角を形成している、α星。
この星は古来、アラビア語で「飛翔する鷲」の意味を与えられ「アルタイル」という名前もあるのですが、なにさ正月早々夏の星座を引っ張り出して。と思われそうな話ですので早めに展開します。
日本では、平安時代中期に作られた辞書「和名類聚抄」において、「比古保之(ひこぼし)」の記述がありますが、それ以外に「以奴加比保之(いぬかいぼし)」と呼ぶ名前が伝えられているのです。α星が、β星とγ星の間に入った配置を、古代の人々は犬を引き連れている姿に見立てたのだそうです。
というわけでアルタイルはわし座にありながら「犬飼星」とも呼ばれるのです。あー、これで干支の話と繋げられたよ。
しかし「わし座の星の配置」でそこまで想像力を働かせられるかというと、まあさっぱりわかりません。なぜ犬飼なのかは謎と言えば謎で、この犬飼という言葉を紐解いていかざるを得ないでしょう。それを始めると、もはやアルタイルなんてどうでもよくなってしまうので、ほどほどにしておきます。
岡山県吉備津に所在する備中一の宮・吉備津神社が、ひとつの鍵。神話によれば、吉備の国に住む温羅という鬼の頭目を退治し吉備国を平定した吉備津彦を祀った社で、この吉備津彦の家臣に「犬飼造」という人物がいたようです。
も少し広げると、吉備平定に臨んだ吉備津彦の家臣は犬飼健(いぬかいたける)、楽々森彦(ささもりひこ)、留玉臣(とめたまおみ)と呼ばれており、あの桃太郎伝承の原型とも言われています。
いやもうアルタイルもわし座もどこ行っちゃったのよ状態ですが、もともと出所が異なる神話同士なので無理くり繋げる方が悪いんです。じゃあどうせこじらせるんだったらともう一個。
わし座の見える東の空の、やや南寄りに、たて座があります。これまたどこをどう繋いだら楯になるのかわけがわかりませんが、ラテン語でScutumと呼ばれているたて座の楯とは、スペイン語に訳すと「エスクード」。多くの方々はスズキエスクードの名前の由来で「ポルトガル通貨単位」とか「金貨」とか「冒険のロマン」とか誘導された記憶をお持ちでしょう。その通貨単位のルーツが「楯」なのです。
もはや犬飼星すらどうでもいいじゃんという迷走ぶりで、2018年を走り出しております。
福島県南相馬市の「鹿島の一本松」は、ここに在った防風林をなぎ倒して行った津波に耐え、六年半以上浜風に立ち続けてきましたが、幹の劣化が進み本日、惜しまれつつ切り倒されることになりました。
岩手県陸前高田市の一本松のような永らえ方もあるけれど、ここではあるがままに災害と復興の時を刻み、天寿を全うさせようという地域の人々の思いなのでしょう。
ライトアップし、花火を打ち上げるというお別れ企画は「えー?」と感じたけれど、少なくとも南相馬においてはそれができるくらいに復興が進んだということなのかもしれません。
一本松の後を継いで風を受けるのは、国内最大級のブレード長と言われる風力発電施設。足元には太陽光発電施設も完成しています。これは地元の企業が自ら立ち上げ復興と再生を果そうという象徴。役目を終えるものと始まるものとが並び立つ最初で最後の姿を眺めてきました。
「雪いよいよ降り重ねる折からなれば也」と、うちの近所に居住していた常陸宍戸藩主の殿様が暦便覧という書物を編纂し、そのなかで大雪(たいせつ)についてこうしたためています。
大雪は太陽の円周軌道が春分から動いて255度めあたりを示す二十四節気のひとつ。降って来るなら激しい雪ってことですが、まあ要するに寒いこと請け合いです。
岩手県の山間部は霧に巻かれた後、霙になりかかりの冷たい雨が待ち受けていました。沿岸部は幸いにもまだ雪ではありません。林道ではなくトンネル工事のために開削され重機やダンプトラックが往来した未舗装路は、今は使われていない割には思いのほか荒れていません。許可がないと入れないということもあるのでしょうけど(許可出てますからね)、こういうルートはルートで埋もれ朽ちていくのももったいない気がします。
ましかし、こんなとこまで誘っても来る人いないしね。