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  ~懲りない傾向~

来航今昔

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1853年7月14日、将軍宛の親書を携えたマシュー・ペリーが久里浜に上陸しました。事実上の幕末の始まりです。四隻の艦隊は数日前の7月8日に既に浦賀沖で投錨しています。その際、目的地の指標となったのが、その頃から200年ちょっと前に幕府によって設置された浦賀燈明堂の灯であったことは皮肉と言えば皮肉な話です。燈明堂は家康の江戸入り以降水運の要衝に位置付けられた浦賀水道周辺の水先案内を担う灯台でした。よもやその灯が黒船をも呼び寄せることになろうとは、200年とちょっと、考えもしなかったでしょう。

皮肉は重なり、ペリー来航の翌年、安政東海地震によってこの堂は津波に呑まれて崩壊してしまいます。要衝ですから復旧は行われ幕末を迎え、1869年に観音崎灯台が完成するまで、灯明堂の役目は続きました。その後老朽化で失われたものの、1989年に復元されたものが今の構造物です。2017年、浦賀水道あたりはペリーの時代に比べたらとつてもなくでかい船舶がとんでもない過密状態で往来しているし、ヒアリなんて厄介なものを上陸させちゃったりの騒々しさが続いています。

真夏日の報

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聴いていますよラジオの天気情報で。

でも信号待ちの釜石なんてこんなだよ。

カメラを出しているときは18℃だったのよ。

縄文の女神

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今月はどういうわけか山形づくしで飛び回っていましたが、ようやっと時間の余裕ができたので、県立博物館を初めて訪ねていきまして、以前レプリカで見ていた縄文の女神の実物を眺めてきました。ストロボ発光させなければ館内の撮影は自由という「早く言ってよ」な親切展示(まあ要するにカメラ持ってなかったんだよちくしょー)

 

出土したときはバラバラだった破片を復元したもので、国宝ながら地元に置いてあるというところにも好感があります。亀ヶ岡遺跡の遮光器土偶は東京に持って行かれてますから。

実物はやはりレプリカとは異なり、材料となった土の中に石英の粒子が混じっていることや、お尻の部分を意図的に磨いた痕跡の艶があり、製作者の意図が見え隠れしていることがわかります。同型デザインでサイズ違いの別の土偶もあり、この女神だけが乳房を積極的に表現していない造形であることも知りました。

下衆な言い方をすれば、乳房のある他の土偶のそれは、ここまで作り込んでいてその乳房のカタチはないだろうという極めて高齢化したそれ。腰回りからおしりのラインと全身のプロポーションから、これらの造形の基本は高齢者とは思えないわけで、肩のラインから胸元を抽象化してしまったこの女神だけが絶妙の完成度を持っています。

山形県立博物館は、広大な山形城址公園の中にあって、この城址がまた石垣と本丸跡と掘割以外惜しげもなくこの手の施設を点在させ使い倒してしまっているのですが、イベントの無いウイークデーならばかなり奥まで車で入っていけるおおらかさに驚きです。いやほんとに弁当とお茶買って昼寝に来ちゃうよここ。

博物館の展示自体は、たとえば僕の地元の県立自然科学館などに比べたら質素なものですが、展示物のすべてが「山形県内からの持ち寄り」で成立しているところに価値があります。大人1名300円の入館料というのも親切です。

 

へー、と思ったけど有名な話なのだとか

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東北道上り側の国見サービスエリアで昼飯を食っていたときのこと。・・・その昼飯ですが、この店「峠」のトンカツ定食は意外と、と言っては失礼ですが、意外とうまいです。ここでときどき食事をしているのは、店員さんが気さくではきはきしていて感じが良いからということもありますが、ネクスコ東日本・東北の管理サイドに聞くと、宮城の菅生や同じ福島の安達太良に比べ、いまひとつ客足で負けているらしい。そういうもんかなあ、決して引けを取らないと思うんだけど・・・という話は本論じゃないのでここまで。

そのうまいトンカツを食っていたら、国見周辺のガイドマップが目に入ってきて、なんとなく眺めていると、福島市内の信夫山は「となりのトトロ」の主題歌と縁があるというガイダンスが書かれていて「へー」と思って店員さんに聞いてみたら、作詞をした人が幼少時代に過ごしたところなのだとか。知りませんでした。が、福島市民にとっては有名な逸話だそうで、狭山丘陵を知らなくても信夫山とその主題歌「さんぽ」の関係はひとつの拠りどころのようです。街なかにぽつんと所在する信夫山って、ある種巨大な塚森という風情もあるしね。

唐津へ

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呼子の朝市は日本三大朝市の一つだそうで、出たぞ日本三大、あと二つってどこだよという話を始めると別の展開になるので(輪島と勝浦と高山・・・あれ?四つになっちゃうぜ)やめときまして、福岡から東松浦半島まで約80キロをひとっ走り。助手席だから快適。しかもジープ・ラングラーの視点の高さです。道々、TJさんのガイダンスを聞きながら景色も歴史も学べるというある意味大名旅行(何しに行ってたんだ、俺)

今は唐津市に合併された呼子はリアスの海岸の奥つ城に漁港を構え、イカの水揚げでは国内随一の町。

以下略。リンク参照。

 

朝市の設営よりも早く到着してしまうほど早朝の福岡前原道路を走ってきたため、町にはまだ観光客もなく、のんびりと内湾の海を眺めてから、ウエストウインの面々に頼まれ一夜干しやら干物やらを買い出しするTJさん。「一夜干しもするめも美味いけれどやっぱりイカ刺しですよ」と、朝市通りのなかにある食堂でメバルの煮つけと一緒に出てくる定食のイカ刺しをいただきます。2時間前に仕入れたイカだとか。

観光客が増え始めたところを抜け出し、湾内を散策しながらTJとTJさんの撮影をこなして唐津街道で帰路につきます。が、TJさんは昨日のどこへ行きたいかの雑談中に出ていた「佐世保バーガー」という一言を覚えていらして、唐津の街なかを案内してくれた後に虹の松原の広大な松林へとTJを走らせ、「からつバーガーでよろしければ」と街道沿いのバーガーショップに向かいます。

虹の松原は百万本と言われる松林で、またもや「日本三大」の松原のひとつ。その街道上に突如現れるマイクロバスとテントという店構えのバーガーショップは、松原散策と海岸へ出る人のための自由駐車場にあり、すでに満車ですが、TJさんは巧みに空いているスペースを見つけて滑り込みます。いや、俺、エスクードでもそこへは入れない。でも隣のクルマとの間隔はきちんとドアが開くのです。とてもTJ乗り出し一年弱とは思えない。

からつバーガーと佐世保バーガーの違いは判りませんが、ルーツは佐世保の米軍基地の味だとのことです。パティやソースは好みですし、なんといってもぱりぱりに炙られたバンズが良いです。今度、仙台の佐世保バーガーも食べてみよう(まだ食ったことがない)。あとで知ったことですが、そこは子午線で言うところの130度線(東経)が通る場所でもあったようです。こうして白砂青松の景色を刻みつけながら、一路ウエストウインに帰還します。

大雑把に言えば全行程で200キロ弱のドライブです。TJさん、大変お世話になりました。観光が楽しいだけでなく、ユーモアとインテリジェンスにあふれた、しかも独特の対話が、素敵な時間を過ごさせていただけました。あー、忘れるところだった。呼子、唐津としか綴ってきませんでしたが、ここは佐賀県です。九州、広い。まだ上陸三県め。次に行けるときは、どこまで足を伸ばせるだろうか・・・

 

 

日々旅ニシテ旅ヲ栖トス

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松尾芭蕉が「おくのほそ道」を編む旅に出たきっかけは、彼が崇めていた西行の五百回忌にちなんだものと言われています。現代の暦では1869年の5月16日(元禄2年3月27日)、江戸深川の住居を引き払い・・・引き払ってまでという覚悟のもとでもあろうし、長い行程のための資金繰りもあったことでしょうが、ともかく芭蕉は曾良を伴い、北を目指して旅に出ました。

日光、黒羽、那須を経て白河関を越え仙台にやってくるのが約1カ月ちょっとの後。途中の滞在期間を差し引くと、やはり健脚だったのだろうと感じます。いま、僕がその距離を数時間で行き来していることを彼が知ったら、どんな顔をしたことやら。

おくのほそ道は松島から平泉に至り、出発からほぼ2か月後に山形の立石寺に戻ってきて、そこから新庄まわりで出羽三山をめぐり鶴岡、酒田から行程最北の象潟に約1カ月をかけて歩み、日本海に沿って越後、金沢、敦賀を回って4カ月と少しで大垣に至ります。彼は大垣にしばし滞在した後、この年行われていた46回めの内宮式年遷宮を見物するため、伊勢に向けて出立していきます。

まさしく日々旅ニシテ旅ヲ栖トス。いくら東北のあちこちに出向く僕でも、4カ月という自由時間を得られない境遇では、この行程と同じ旅は不可能です。なにより気持ちのゆとりも覚悟もないしなあ。

 

月山へ

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仕事ですから来いと言われれば行かねばならないので、暦から連休は一コマ消えます。でも連休ですから交通量の多いこと。月曜日には鶴岡まで出ていましたけど、さすが平日よねと思うくらい閑散としていた同じ道路が見事な行楽日和でした。

夏スキーもできる月山です。街道から外れれば許可なしでは進めない以前に道がまだ埋もれたままだよどうすんだよ。という瀬戸際まで、いったい何の仕事に行ってるんだというのは企業秘密です。

なんだかんだで再発しつつある椎間板ヘルニアをなだめながら仕事をこなして、寒河江に戻ったら絶対に混雑してるよなあとまたもや鶴岡に降りて行ったのは、まあ空腹で早く昼飯が食えるのはどっちか?という誘惑に負けての話。しかし当てがあるわけも無く、ずいぶんシャッターが下りている風景を一昨日見ていることを思い出して半分後悔。

それでもありがたいことに暖簾を出しているお店を見つけることができて、ええもう何が出てきたって文句なんか言いませんよと無礼千万なことを考えていたら、「昨日」採ってきたての山菜の天ぷらと買ってきたばかり(失礼)のはまちの刺身と、写真に写りきらなかったけれど具のたっぷりと入ったなめこ汁。山形っていろんなものが美味しい。日曜日に菖蒲のパーキングエリアで食った定食がひどいものだっただけに、仇を討っていただけた思いです。

 

 

 

渡れませんがもしかすると

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福島県いわき市の小名浜港に巨大な橋が完成しました。

が、この橋は小名浜港に陸揚げされる石炭を運搬するための作業用道路のため、我々一般人は通行できません。橋の向こうでは専用桟橋と護岸で覆われた人工島が建設されており、完成後はそこに輸入された石炭がストックされるのです。我々は水族館アクアマリンふくしまあたりからこの景色を眺め、ライトアップで浮かび上がる様子を楽しむこととなります。

が、が・・・がしかし、小名浜港の港湾計画図を広げてもらって、橋の向こう側の人工島をしみじみと見ていたら、島の一角に「緑地」という土地利用があるのです。

緑地・・・それはまあ接舷した船の船員だって石炭の山だけ見てるのはつまらないだろうし海鳥の生息地とかも必要だろうし、石炭の粒を飛散させにくい防風林かもしれないけど、もしも仮に、ここまでならたまには来てもいいよという政策でも反映させていくのだとしたら、国もなかなか粋なところがあります。

君の足は・・・

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宮城県南三陸町で活躍しているオクトパス君は、もともとは「置くとパスする」受験祈願などに効能を持つ卓上小物のマスコットキャラだったそうですが、震災以降は街の復興応援のために奔走しています。

これほど至近距離でお目にかかるのは初めてなんですが、なんとなく違和感がついてまわり「あなたひょっとして、足が八本以上あったりしませんか?」と尋ねてみたものの、そのうちの二本をひょいひょいと動かすだけ(どうも否定のポーズらしい)

でも、どうにも気になるオクトパス君の歩行姿。ぐるりと生えている足とは別に、内側に歩行脚がまちがいなく二本あるのです。むすび丸さんなんか、それに気づいてハラハラという仕草にしか見えません。

もっともオリジナルのイラストだと、足六本しかないので、立体の足が多かったとしてもそこで相殺なのかもしれませんが。

刻まれた青

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宮古の港に押し寄せた津波の高さ。単純に高さだけじゃなく、その質量を想像したら、こりゃもうひとたまりもありません。

あの日、予定通りに仙台空港近くのアポイント先に出かけていたら、やはり同じくらいの大津波に飲み込まれていたし、予定を前倒して立ち寄っていたら6号国道を南相馬あたりまで南下していたでしょう。だんだん昔話になってきましたが・・・