って、ひょっとして(写真のものと)金型データが同じ? それともこっちの流用?
さて困った。仙台にいたときは車で20分のところに系列店があったけれど、今は近場にないよ。秋葉原に行くしかないか。
と、よくよく考えてみたら俺、楽天で買えるのを思い出しましたわ。というわけで、31日の発売予定で、うちには6月初めに届くこととなります.
って、ひょっとして(写真のものと)金型データが同じ? それともこっちの流用?
さて困った。仙台にいたときは車で20分のところに系列店があったけれど、今は近場にないよ。秋葉原に行くしかないか。
と、よくよく考えてみたら俺、楽天で買えるのを思い出しましたわ。というわけで、31日の発売予定で、うちには6月初めに届くこととなります.
四月の霰に続いて、霙も転勤だそうです。計ったように片道50キロという通勤距離は、クルマの管理にはちょうど良かったのですが、今月から15キロほど、職場までの道のりは短縮されるそうです。
今までは3つの市域を通過して通っていましたが、今度は隣町だというのも、会社も考えてるじゃんと思ったのですが、
と、本人は複雑な顔をしております。最短のルートをとると、こっちの町を出たら目的地まで、ガソリンスタンドもコンビニも無いそうです。
「なんだお前は。樵でもやってんのか?」(注 樵さんに偏見は持っておりません)
この転勤にもいろいろあるのだそうです。聞けば霙のあとには今年入社の男の子が配属されることになっていたのですが、これは霙のときにも行われた「新入社員を1年置いて、翌年に入れ替える」仕組みらしいです。ところがこの男の子が、入社3日目に辞めてしまったとかで、後任は来ない、転勤は中止されない顛末。しかもそれが発覚したのが先々週だというから、職場は大慌てだという。
「うへー・・・俺も仙台で中途採用にひとり半年で辞められ、その翌年に採用した新卒に3か月で辞められたもんなあ。配属前ならまだ上司の査定に響かなくてよかったかもよ」
「はじき出される方はたまったもんじゃないですっ」
しかし日曜日でメーデー。そんな日に転属先に初出社というのもたいへんな彼女です。
昔、「グレートマジンガー」で暗黒大将軍が戦死した折、敵味方ともに彼の弔いをやったような演出があって、それほどに勇猛な幹部であり宿敵だったということなのですが、その喪が明ける(らしい)とき、ミケーネの闇の帝王は「四十九日が過ぎた」などとぬかして、次の回で地獄大元帥の登場となっていくのでした。
いかにも昭和の東映動画な、シリアスさを追求するあまりの落とし穴だったと思います。いや、ひょっとすると古代ギリシアの神話の中にはそのような弔いの仕方があったのかもしれませんが、さすがに四十九日という言葉は聞いたことないです。
それにしても、人が没して七日ごとに審判を受けるというというのは、亡くなった当人も大変だろうなあと感じます。その審判によって来世のありようが決まり、来世に往くまでのどれだけの間、極楽か地獄かにとどまらねばならない。このあたりは死者の国だったりタルタロスだったりエリシオンに落ちていった古代ギリシアの人々の宗教と共通する部分もあるので、ミケーネの闇の帝王が大乗仏教っぽいことを口走っても良いのかも(でも、当時は「変なの」と思ったよ)
そんなことを思い出して、本日親父の四十九日に臨む僕はスクランブルダッシュな不謹慎野郎です。ことのついでにグレートブースターばりの間抜けな我が家の話を暴露すると、
「墓参用に千円分の花を四束買ってきて」
と娘らに指示を出した妻でしたが
「一応それで四束買ってきましたよ」
といういわゆる「使えない買い物」に怒り出す始末。冷静に考えなさいよ娘らよ、花屋が千円分なんて「売れ筋にもならない」束を作り置きしているわけないじゃん。
しかしこちらも冷静に考えると、こいつら肉屋に行って「豚こま200グラムとひき肉300グラム」なんて買い物したことない世代だわ。そもそも町の肉屋が絶滅しているし。
という顛末で、なぜか僕が追加で「千円分を二束作って」と買いに駆り出されたので、花屋で演出用の写真を撮らせてもらいました。
ジロー・キカイダーにとっては傍迷惑な存在のハカイダーですが、ハカイダーにしてみれば「キカイダーを破壊せよ」という指令を受けて産み出された以上、一方的にジローを宿敵扱いしなくてはなりませんでした。だけど、宮城県登米市の石ノ森章太郎ふるさと記念館の外壁に展示されている彼ら、戦っているというより野球拳をやっているようにしか見えない。むしろその方がほほえましい。
4月28日、ハカイダーが48年前に没した日。
などと書いていたら、菊池俊輔さんが24日に亡くなられたと。菊池さんは人造人間キカイダーではなくて、仮面ライダーの楽曲の作曲で有名だったり、宇宙からのメッセージ・銀河大戦の主題歌を暴れん坊将軍の主題曲で「だいたい歌える」などの逸話を・・・ という話はともかく、作曲家デビュー60年めの節目でした。ご冥福をお祈りします。