昨日の朝、庭のキュウリで休んでた揚羽蝶。
まぁ雨の降るなか、飛びたくないよねぇ。
みかんの木に卵産みにでもきたのかしらん?
「週末関東人」という言葉を編み出したのはコムロさんだったと思われますが、なにしろ20世紀末の話なので記憶が定かでありません。何を意味しているのかというと、90年代終盤から2002年くらいにかけての週末は、どこかしらで何かしらのツーリングやオフロード走行会や夜会などが、「開かれていない日の方が少なかった」ということにつながっていきます。
もちろんそれは関東地方に限ったことではありませんけど、我々の行動しやすい行動半径は関東で、アルファベットを符牒とした走行ポイントに集まってはクロカン遊びをしたり、ランダムに選んだファミレスで晩飯を食いながらエスクード談義を繰り広げておりました。
その都度、声をかける人が幹事になり、予定の合う人々がそこに集まってくる中、ほぼたいていのイベントに現れていたのが、ダークブルーメタリックの3型ハードトップ。バンパープロテクターを兼ねたランプステーに一対の補助灯をつけ、当時の流行だったディッシュタイプのアルミホイールにBFグッドリッチのオールテレーンを履いたシンプルなエスクードは、SIDEKICKさんが最初に乗り出した92年式モデルでした。
このエスクードが初めて姿を見せたのは、メーリングリストによってコミュニケーションを図っていたEOSが北軽井沢で開いたクロカン走行とキャンプのオフラインミーティング。99年の春のことです。以来、6月のつくばーどin新治や翌年からのあちこちのミーティングに出かければ、だいたいこのエスクードがいる。本人談によれば、参加していないのは雑誌・4WDエクスプローラーが開いたエスクードミーティングくらいで、アピオの上総湊クロカンキャンプにまで「着の身着のままで行ったら、尾上さんに自分用の椅子くらい持ってくるのが基本だとたしなめられました」と、顔を出していました。
あまつさえ、なのですが、どういうわけかほぼ毎年、紅白歌合戦とゆく年くる年を、つくばーど基地のテレビで見ているのがSIDEKICKさん。要するに週末と盆暮れには茨城にいるという理屈で、週末関東人の異名を持っていたのです。
え? SIDEKICKさんってどこの人かって? 遠州灘の鰻ともやしと餃子の町・・・というより、スズキエスクードの生まれたところですよ。つくばーど基地まで、ざっと350キロ。
パジェケンさんから「不忘山林道の下見終わりました」という連絡が入りましたので、19日の土曜日に宮城側からツーリングする計画を企画しています。ジェーエーシーリサイクルパークも、この頃には出来上がっているはずなので、タイミングが合えば午前中に大人の社会科見学。その足で林道に向かいます。当日は午前9時45分、東北道村田インター下車左折のポイントにあるコンビニエンスストア集合です。
と準備を始めたところにSIDEKICKさんから「ふもとっぱらの小屋は確保したので、デイキャンプ主体で朝霧高原Ⅶをやります」という連絡も。こちらは現地集合で26日の正午から一泊です。入場は各自手続きで日帰りかキャンプかをフロント申告・支払いしてください。あまりにひどい雨、テント泊めんどくさいという人には山荘(合宿所ではありません)を用意してあります(追加料金となります)。詳しくは掲示板で進行中。
念のため追記しておきます。不忘山林道は宮城県、朝霧高原は静岡県です。朝霧の方は、食材費を1人千円いただきます。
コムロさんがマフラータオルの企画を始動しています。例によって歴代エスクードのほぼすべてのシルエットがモチーフですが・・・ マフラータオルは以前作ったスポーツタオルに比べて、長さは同じですが幅が半分しかないため、このようなチョロQみたいなデザインにせざるを得ず・・・
というわけで制作提案です。目標単価が1150円とのことなので、オーダーが30を越えたら発注決定とします。
タオル地の色については、現時点ではこのサンプルのウォーカーギャリアっぽい青系グリーンですが、てっぺんの文字列が真面目すぎて面白くないので(まあ前回に考えたの俺だけどさ)、ここは変えようと思います。
rurbanvehicle since1988
万能 半端 (二文字に分けて相々傘でくくる)
The truth of ESCUDO
というのを考えていますが、却下されたらどうすっかな・・・
尚、前回のスポーツタオルをまだ受け取っていない方にお願いですが、オーダーされた枚数と受け取り方法の希望をお知らせください。パソコンがクラッシュした折、注文データも紛失してしまいました。申し訳ありませんがよろしくお願いいたします。
残暑の次は厳冬と話が極端で馬鹿みたいですが、今シーズン用のスタッドレスタイヤを注文。ジオランダーにしていた昨年に対して、再びブリザック・・・と思ったらDMV1はすでに215/70R16だと在庫希少。またもや全国探してもらうというのも申し訳ないので、先シーズンから登場したらしいDMV2に切り替えます。発泡ゴム構造になったことで、経年に関わらずグリップを失わないとか。ぬ? しかしそれは裏を返せば摩耗しても新しい表面が食いつくってことで、摩耗しきっちゃうと意味が無いような・・・
「再来年用のも一緒に注文しちゃいますか?」
見積書を打ち出しながら店長が笑いやがりますよ。
それはまあ、この税込値段で組み付けも古いやつの処分もやってくれるっていうんだから、2セット買ってもばちは当たらないよな。
自分にとって、スズキエスクードに乗り続けている年数だけは誰よりも長いのが取柄(そんなの自慢になるのか?)らしき話ですが、その僕も10年前の8月は、2号車のノマドはあったにせよ主力車両を持たない浪人時代でした。TD61Wを練馬に見に行く前夜の夜会で「雷蔵です。すみませんがエスクードに乗ってません」と挨拶して笑いを盗っていました。もっとも、つくばーどはエスクードに限定したイベントは開催しないので、今でも何に乗ってこようが関係なしです。
それでも、「雷蔵が次に乗るクルマがエスクード以外の何かであるはずがない」「エスクード以外だったらそこは袋叩きよね」という声は、8月いっぱい周囲で吹き荒れていて、わざわざ61Wの契約の日にそれを見届けに駆けつけてくれる仲間も出てきたという、そんなに他人事と思わないでくれていたの? と恐れ入る展開もありました。この日あの中味は錆まみれのエスクードを実際に見聞した人たちは、「こんなのに乗って大丈夫なのか?」と不安になったことでしょう。
この頃つくばーどには手芸部なる、霰、霙と遊んでくれる分科会があり、娘らのために時間と労力を費やしてくれる仲間もありました。記録を見たら新宿、練馬に続いてその翌日に基地とその近所で夜会になっていました。年末年始でもないのに3連続とはすごいことになっていた。先代のらすかるで育ってきた娘らだって、家のクルマが無くなったことには傷心でした。手芸部の面々はそんな娘らを元気付けにやって来てくれたのだと、10年して気がつく馬鹿親です。