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  ~懲りない傾向~

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2013年ダカールラリーがいよいよスタート。

http://www.paridaka-info.com/w/

とはいえ、もう何年も前からアフリカ大陸を走っているわけではなく、今年のルートもリマからサンティアゴへ南下します。人類発祥の地という遺伝子のなせる技か、アフリカの水を飲んだ人間は、また再びアフリカへ戻って行きたくなる。と言われていたパリ・ダカールラリーでのプロパガンダも過去の話です。

日本人エントラントがこの競技に参加したのは81年の第三回が最初で、30年近い戦績を持つ民族でもあります。乱暴に言ってしまうと好事家というか道楽というのかの参戦形態で、四輪はスターレットとランドクルーザーという組み合わせから始まり、モトでは第四回目からスズキのDR500が参戦して完走しています。

あのアピオの尾上茂さんが、エスクードを持ち込んでパリ・ダカールラリーを走ったのは97年から05年にかけてで、意外と最近の過去のことでしたが、初回から三連続リタイアというとほほの結果もあってか、初回など車輌情報がまともに残されていないのが寂しいかぎりですが、もとが市販車であってもプライベーターの改造車クラスではそんなものなのかもしれません。

97年以前の尾上さんは、5~6年にわたって四度、オーストラリアンサファリを走っているため、ダカールへの登場が後発となったこともあります。当初はバハ1000をジムニーで考えていたそうですが、尾上さん曰く

「あんなの(タイムアタックレース)ジムニーやエスクードじゃぶっ壊れちゃうね。オーストラリアンサファリのようなラリーレイドが、エスクードにはペースも距離的にもちょうど良かった」

とのことで、二階堂裕さんに言わせると

「パリダカは異常な距離だねえ。エスクードではフロントデフがもたなかった」

という話を聞かされました。アピオのパリ・ダカールラリーを振り返ると、貴重な記録として、他社エンジンやミッションの換装のことはともかく、最後は二代目エスクードをベースにして走ったということがあります。市場において不人気と言われた二代目は、アフリカの砂漠を駆け抜けていたのです。このへんのエピソードは、尾上さん自身が著書に綴っていますが、ESCLEVでもそのうち、まとめに入る予定です。