Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

何処へ往くのか只独り

何処へ往くのか只独り はコメントを受け付けていません

jiro東映のプロデューサーとして仮面ライダーやスーパー戦隊を世に送り出した平山亨さんが先月末に逝去され、僕の子供時代のヒーローたちの生みの親がまた1人、クリエイターとしての仕事を後進に委ねました。

僕らの世代にとっては仮面ライダーどころか、悪魔くんや河童の三平妖怪大戦争、仮面の忍者赤影、ジャイアントロボの頃からの、ブラウン管を通してのヒーローの生みの親です。うーん、さすがにそれらに相当するスチルがハードディスクのストックには無いので、人造人間キカイダーを使うのですが、都合によりこれは石ノ森章太郎さん原作バージョンです。

それというのも、たまたま先日、家内が録画していた衛星放送のプログラムで流されたという、手塚治虫さんと石ノ森章太郎さんの代表作番組を見ており、人造人間キカイダーのドラマとしての作り込みって奥が深くて、石ノ森コミカライズと寄り添いながらももっと抉り取るものがあったのだなあと感じていたからでした。

今になってはそのチープさを突っ込みどころとして楽しんでしまう悪い視聴者根性もあるのですが、そういう映像をよくよく見返すと、人間、人造人間、改造人間、良心回路、アイイレナイアイなど、正義と悪という構図の奥に、そんなの子供にわかんないだろうというパズルを織り込んでいる。途中はすべて割愛しての第一話と最終話だけでしたが、こういうのを作らせたということに、子供向けの千年王国にも大人の時代への錠前をしかけていたのかなと思わされました。

霰や霙に聞くと、仮面ライダークウガ世代の彼女らは、「スーパー戦隊と比べて、ライダーってストーリーがわかんないよね」と答えます。それはなんとなくそんな気がする。勧善懲悪から複雑な構図へと絡み合う昨今のライダーは、結末までこれほど時間をかける必要があるだろうかと思うほど、どこへ行くかわからないことがある。それは、かつてジロ―が辿った戦いの構図に通ずるものもあるんですが、もう少しシンプルだった。それでも背骨の太さは感じることのできた番組でした。

ジャイアントロボなんて、ウルトラマンの結末にびっくりした以上にショックな最終話でしたし、柔道一直線ではそれほどでもなかった吉沢京子さんを、太陽の恋人でどきどきさせる存在にしちゃったのです(まあその辺は余談)

放送コードや倫理観など、今の時代は何かとやりにくい作りにくい枷をはめられているのかもしれないけれど、現役のクリエイターさんたちにも頑張ってほしいと思うのであります。

遅ればせながらも、合掌