Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

忘年会設営します

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富士見ことしは6月以降ペースの上がらないつくばーどでしたが、12月になるので例年通り忘年会を設営し、ついでに鬼に笑われながら新年会の準備を開始します。

忘年会は13日の土曜日、筑波ふれあいの里で宴会宿泊し、翌日に軽く林道へ分け入ります。集合は買い出しをかねて、14時に新治ショッピングセンター 「さん・あぴお」。この時間帯に来られない人は現地で合流となります。天候にもよりますが、この時期の筑波山麓は夕暮れと明け方の富士山眺望が見ものです。頑張れば手持ちでも挿絵のような写真が撮れますが、三脚はあった方が楽です。

忘年会の献立は検討中ながら、狼駄さん、kawaさんが参加してくれるので、焼き肉ははずせません。あとはkawaさんに食材を指示してもらえば、なにかしらうまいのが(相変わらず他力本願)

林道については狼駄さんの車が四駆ではないため、状態の悪い場合は狼駄さんには午前中に基地に立ち寄ってもらい、うちの幌車に乗ってもらうことも視野に入れますが、軽めのルートを選択する予定です。

なお、新年会は2015年1月31日、天狗の森スカイロッジで開催です。こちらは恒例になっているような気がするので、カレーコンペを行う予定です。

浜辺の蒼い月

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bluemoon横須賀市から三浦市にさしかかる国道沿いに、その店があることは前から知っていましたが、なんせ混雑ポイント故に素通りするだけだったのが、BlueMoon。小ぢんまりとした田舎の(失礼)どうということのない(失礼って本気で言ったのかこら)喫茶レストランです。

が、その名前がずっと琴線に触れっぱなしで、いつかこのお店に行かねばよ。と思っていたら、和邇さんの守備範囲でしっかり連れて行かれ、ちゃっかりと目的達成です。

話に聞いていたのは、箸で食えるやわらかなスペアリブと、トッピングに凝ったパンケーキ。スペアリブは下地を作っておいてオーダーが入ったら仕上げの焼きを入れ、パンケーキはオーダーされてから焼くのだそうです。

食べ物屋さんとしては当たり前のことながら、多少時間がかかるのは仕方がない。ところが、和邇さんはいつの間にかランチメニューとしてスペアリブで予約を入れておりました。塩をまぶして橋を入れるとほんとにやわらかい。いやいや、ここまで下地で煮込まなくてもいいんじゃないかというほどやわらかい。でもぱさぱさなんかではない。あれかなあ、津久井浜の界隈も新旧混在した市街地構成だけれど、徐々に高齢社会が浸透していて、これくらいの料理が好まれるということなのかもしれない。

スペアリブそのやわらかさは好みの分かれるところですが、こっそり単独で出かけたら追加で2本くらい焼いてもらっちゃうでしょう。

パンケーキについては、普段「ご飯とデザートは別腹」などとうそぶいている家内も霙もランチで満腹になってしまい(パンケーキをデザートとみなすかどうかはまた別の話)、まさかのリタイア。むむむ、ということはそのうちまたここへ来る口実ができたと解釈すべきか。しかし僕単独では両方は食えない。誰かを誘わないとパンケーキの実物を拝むことはできないのです。家族を連れて行けば話は早いけど、ここんとこ各自スケジュールが立て込み週末が皆多忙・・・

誰かいないもんかね(断っとくがヤローは連れて行かないぞ)

 

orange☆mystery

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蜜柑三浦型露地野菜経営で有名な神奈川県横須賀市の津久井浜。主力品のひとつであるみかんの歴史は江戸時代に遡り、鰯漁のために紀州から三浦半島に移住した人々が苗木を持ってきたのではないかと言われています。北浦あたりのみかん栽培方法が、紀州とよく似ているからだそうです。それをルーツと断定するかどうかはともかく、栽培の基盤が確立したのは明治時代です。

観光農園の基礎作りは昭和30年代にはじまり、神奈川県の営農団地整備事業として集団みかん園が誕生しました。以来苦労工夫の歳月を過ごし、糖度12、酸度1.2くらいの上質なみかんが供給されるようになっています。

宮川早生(みやかわわせ)や興津早生(おぎつわせ)といった津久井浜のみかんの品種は、しかし紀州ではなく温州みかんと呼ばれています。紀州みかんは中国から伝来し、紀州(和歌山県)で産業化されたのが15世紀以降。一方で温州みかんはその名が中国の地名ですが、どうも原産地は鹿児島県あたりで生まれたもののようです。紀州ものも元々は熊本に上陸したのが原種ですから、その中から挿し木や接ぎ木で改良され鹿児島で成立したのが温州ものの原点ではないかと思われます。

これが明治時代までもてはやされなかったのは、品種の特徴である種のない果実が、武家にとっては縁起が悪いとされ遠ざけられていたかららしく、維新のあとから食べやすさが重宝されるようになったということでしょう。そのわりには、日本のみかんの原型とも言うべき「橘」を家紋とする文化もあり、その意味するところは後述する「橘に与えた不老不死や永遠の象徴」というメッセージが込められています。

宮川早生については、成り立ちがもっとはっきりしています。大正初期、福岡県柳川市の宮川謙吉という人のもとにあった在来温州の一枝が変異したということです。この時点で国内原産地が二転三転しちゃってますが、三浦半島全体でみればシークゥワサーもデコポンも夏みかんも栽培されていますから、今となってはたいした問題ではありません。

日本におけるみかんの歴史は垂仁天皇の時代に現れ、常世の国から持ち帰られた不老不死の薬効を持つ非時香菓(ときじくのかくのみ)がそれです。この命を受けた田道間守(たぢまもり)が役目を果たし帰国した年にはすでに崩御していたという説話が日本書紀などに記されており、垂仁天皇自身は 「時を定めずいつでも黄金に輝き芳香を漂わせる木の実」を見ることはありませんでした。

もっとも垂仁さんは齢140とも150いくつともいわれている、ほんとかどうかは定かでない長命者。「トキジクノナントカ」を取ってこいと命令が出たのはいつごろの話だよ?ということになると、無理やり西暦を当てはめるしかなく、日本に入ってきたのが西暦60年代くらいかな、としか言えないのです。

それでも、田道間守が持ち帰ったことから「トキジクノ」の実や枝は「田道間花」と呼ばれるようになったらしく、このタジマバナという言葉が変化して「タチバナ」となり、どうやら今でいう橘(たちばな)がこの実のことであるようです。橘の記述はずーっと時代が進んだあと、魏志倭人伝において「倭の国には生薑とか橘とか山椒とか茗荷なんかがあることはあるけど、やつらは食用にはしていないね」という内容の記述として存在が立証されます。

なんと、食い物にはしていなかったと。記紀説話の如く薬用の扱いだったのでしょう。果実としてのみかんは最初の話に戻って、遣唐使による中国との交易が行われるまで時間が止まっていたということになるのです。おそらく橘の時代、今のような糖度の高いモノではなかったからかもしれません。

その橘も育成環境で変化し枳(からたち)に化するというようなことは、紀元前300年代の中国でも語られており、日本の、田道間守が持ち帰った時代の果実はきわめてすっぱかったことや高貴な扱いとして薬用に資するものだったと考えたくなります。柑橘類というのは体脂肪の分解・燃焼を促進してくれるし、その葉はそれこそ時を定めずいつでも緑色で生い茂りますから、薬効や不老不死へと古代人のイメージがだぶるのもうなづけます。

そんな柑橘類は何処から来たのかとさらに遡ると、中国以前はタイ、ミャンマーに進化の痕跡があり、もっと辿るとインドのアッサムあたりだそうです。学説的には、その原種発祥は3千万年前だというからもう手に負えません。飯盒炊爨キットをリュックサックに詰めて学芸大学前から電車に乗る(そういう歌詞の「三千万年」という歌がある)どころか、霊長類自体にヒト科がいません。ヒマラヤ山脈も造山運動中です(あっ、これは今もか)

これだけ種としての歴史を持っていれば、ヒトの世の中では間違いなく不老不死や永遠の象徴に掲げられても不思議はなさそうです。

あー・・・長すぎる。でも植物3千万年の資料が無いので息切れ。もぎたてビタニャンCでも補給してまいります。

 

 

 

 

 

ヒラミって平実。

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さて、どうしようかな。

さて、どうしようかな。

ミカン狩りの後少し採らせてもらったシークワーサー。晩酌のサワーに♪と思っていたら、後で枝ごと頂きました。わーい、何に使おうかなー♪マーマレードにでもしようかと思うのだけど、とりあえず今流行の塩レモン仕込んでみました。

ところで、和名が「ヒラミレモン」って言うのは何かで知ってたんですが漢字で「平実」とは思わなかったわ。平たい実のレモン・・・なるほどねぇ。

まずは塩レモン。

まずは塩レモン。

つくばーどin津久井浜 0

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ミカンずいぶん話を引っ張ってしまいましたが、24日の津久井浜行きは「つくばーどのオフラインミーティングを三浦半島に招致しましょう」という和邇さんと、これに賛同してくださったエスクードOBのエス爺さんが企画したアイデアについて、実証実験に呼ばれたからでした。

三浦半島でのつくばーどは2007年10月、エスクードコンバーチブルの取材をかねて、三崎のマグロと横須賀海軍カレーを食いに行くというのをやって以来、定点で遊べる企画が立たずに長い時間が過ぎてしまいました。和邇さんとS爺さんのアイデアは、そこに風穴を開けようという試みが盛り込まれていました。

ミカン2津久井浜と言えばみかん(それだけじゃないけど、とりあえずみかん)。極力リーズナブルな参加費用で取り放題の食べ放題で、ついでに肉も焼く。

そんな橋頭堡が確保できるというありがたい提案で、実際にやってみたら、つくばーどミーティングと買い出しトライアルを同時に開催できる優れものでした。

これはもうやるしかないじゃないですか。来年、和邇さんとS爺さんのエスコートでつくばーどin津久井浜を実現させます。これは美味しくて面白い。ぜひお楽しみに。

蜜柑みかん。

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たわわ~ん♪

たわわ~ん♪

月曜日に、和邇サンのお誘いで尋ねたみかん畑。
考えてみたら「人生初」みかん狩りですわ。
おかしいなぁ、静岡に住んでたコトもあるんだけど(笑)

ばくばく食べてバカスカ採りまくらせていただきました。
一年分の柑橘類を一日で摂取した感じ(爆)
樹でちゃんと熟した実って、本当に美味しいんだなーと
思いましたわ。
そういえば、野菜だってそうだもんね。

翌日、肩から腕にかけて筋肉痛だったのは・・・
多分波打ち際で石投げて遊んだせいだな(汗)

そして船で往く

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久里浜神奈川県の久里浜から千葉県の金谷へと東京湾を渡るフェリーの存在は今さら語るまでもなく、その風情を楽しみたくて、三浦半島からの帰路にはよく利用するのです。

で、この一言を最初に書いておかないとどれだけまぬけで愚かな帰路になったかというと、久里浜から陸路でヨコハマカワサキトウキョウ経由でつくばーど基地に走れば都心環状線まわりでだいたい163キロ。湾岸線経由だとプラス5キロ。この間の渋滞を回避する名目で金谷からカーナビゲーションで基地へルート設定すると、最短距離が170キロ。まあ5キロくらいは目をつむるかとルートを見ると、木更津から東京湾アクアラインを使って川崎へ渡れと指示してきやがるのです。

おいおい、それはないだろうと木更津を無視すると、今度は169キロに縮みますが、これは千葉北インターから柏インターまでの約40キロを国道16号で移動する「そんな疲れる混雑ルートは嫌だ」コース。

そんなんだったら北千葉などに行かずに穴川から湾岸線と中央環状線で常磐道に行けばいいじゃねーかとすると、実は金谷からは195キロにもなるのでした。いやいやいや、中央環状線と7号線が混雑するんだから、事故でもなければ絶対に渋滞しない東関東自動車道路で利根川を渡っちゃえば・・・というかつての通勤ルートを当てはめますと、金谷からは190キロあるのでした。

おそるべし首都高速・・・

それでも。というオチですよ。いいんですよ、どうせそのあと300キロ北上するんだから。と、勇んで久里浜から金谷に向かっている間に東京湾アクアラインのトンネル内で事故。するとどうなるかというと、川崎まで3時間とか電光板に出てくるわけで、それを見た車が次々と千葉・東京まわりの帰宅ルートに変更したものだから木更津から千葉までびっしり渋滞。

「湾岸線、びっくりするほど流れてますよー」

という津久井浜で別れた風花さんからのメールも、そりゃそうだろうよと悔しがって、やむなく木更津から圏央道を使って茂原方面に逃げ出す羽目になりました。

この区間は僕が東北へ転勤した後に開通しているため、存在自体を忘れていました。茂原から東金までつながり、東金道路が横芝まで使える。横芝からは一般道で成田空港を目指して東関東道に乗り、すぐさま大栄インターで下道に戻って今度は神崎から稲敷まで伸びた圏央道に乗り直してみたら、これらがなかった時代の半分近くの時間で帰宅できました。

圏央道すげー・・・

これなら間違えられない・・・はずだが

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似てる?津久井浜での実証実験つくばーどの話は明日以降に持ち越しとして、和邇さんのサイドキック2号車と、BLUEらすかるが並ぶとこんな感じです。実は今まで、この2台が並ぶことはほとんど無かったのです。というより、BLUEらすかるの50万キロ記念焼肉大会が初並びだったのだから、2号車は先代らすかると並んでいた時代の方が長かったことになります。

しかしまあ、このフェンダーフレア―たったひとつで、こんだけ押し出しの強い姿になるわけで、とてもサイドキックの方が小排気量だとは思えません。BLUEらすかるの車高がノーマルだったらとても太刀打ちできない佇まいです。

これは間違えられても無理もない。しかし両車並んでいればその心配もあるまい・・・と思ったのですが、よくよく考えてみたら、そうそう声などかけられるわけないじゃないですか。何を期待しているんだ俺(ばかじゃないの?)

 

名刺交換してないもんで

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課長映画化される「海街diary」サブキャストが17日に発表されていたのですが、その俳優陣がどうとかこうとか言うつもりは全くありません。

単行本主体で連載を読んでいない僕にとって、この発表の何が衝撃的だったかというと、加瀬亮さんが演ずる鎌倉信金の坂下美海課長についてです。

え? は?

 

坂下課長って、美海って名前だったのか!

 

この展開は知らない人には何の事だかわかんないと思われますが「そういえばなんだが」での風花さんとのコメントのやりとりから読み取れるでしょう。ただ、この漫画が不定期掲載のため多くの話数を単行本が出るまで知りませんから、6巻以降のエピソードの中ですでに明らかにされているかもしれませんけど…

若さだわなあ

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網焼き2基地の近所のお店に出てくるローズポークの網焼き。

ロッテリアのタワーバーガーと同列にしちゃいけませんが、これもすさまじく、我が家で平気で平らげるのは霰だけです。

さて問題。これ何グラムあるか?

塩まぶして食うのが一番うまいです(って、結局食ったのかよ)