ガスコンロの横で、カサっカサカサカサっと音が。
そーいえばさっきいちが居たなーと思って見たら
この有様ですよ。
・・・いい匂いした?
確かに生カツオが入ってたビニールだけどね。
生憎と中身は食べ終わりました。
そもそも捨てそびれて置いておく方が問題(爆)
ガスコンロの横で、カサっカサカサカサっと音が。
そーいえばさっきいちが居たなーと思って見たら
この有様ですよ。
・・・いい匂いした?
確かに生カツオが入ってたビニールだけどね。
生憎と中身は食べ終わりました。
そもそも捨てそびれて置いておく方が問題(爆)
ESCLEV サイトに記念企画ページを公開しました。
10年前ほどの体力もないし、周囲の熱も冷めています。技術的にもいまどきこんななの? な仕様ですが、まあこんなもんです。今月の連休が無かったら作れませんでした。いやその、一度ぶん投げようかと思ったので。
さてエスクードも三十路になりました。明日午後から日曜日の本戦で、今度は雑誌用の取材イベントです。誰に頼まれたわけでもないのでこんなことを言うのは愚かなんですが、これで荷を降ろせるなあ。
尚、この機にESCLEV旧サイトは閉鎖いたしました。古いリンクをお使いの方は、上記の現サイトにブックマークをお願いします。
これも使う人いるのかよ? な気もするけど三十周年企画専用バナー作りました
我が家のイチゴ、今シーズン最後の収穫。
一番小振りだったけど、一番甘みがあって美味しかった♥
さて。
次なる楽しみは庭の畑か・・・
(今年もいつも通りの顔ぶれが植えられております)
1960年5月22日に東の彼方で発生したチリ地震の津波は、太平洋を隔てた日本には24日に到達し、三陸沿岸など各地に被害をもたらしました。宮城県南三陸町もその被災地のひとつで、この災害をきっかけにしてチリ共和国と親交を深めており、91年に同国からイースター島のモアイ像のレプリカが寄贈されました。
このモアイは東日本大震災の津波で流されましたが頭部は発見され、現地の高等学校に安置されています。
今世紀の津波の後、2013年に再び、イースター島から二代目のモアイが寄贈されました。それが志津川地区の復興拠点「さんさん商店街」に佇む像で、イースター島の石から削り出されている、ある意味本物。復興祈願の思いが込められ、命(マナ)が宿るよう「眼」が開かれています。
モアイという言葉にはモ(未来)、アイ(生きる)という意味があるのだそうです。
さすがにチリ地震は歴史的出来事に遠ざかり、最近の宮城っ子には、なぜ南三陸町にモアイ像があるのかを知らない世代が現れているのですが、それは大人たちにも言えることのようで、「どうしてチリ地震なのにイースター島から贈られたの?」という声が聞こえてきました。半世紀過ぎれば風化というのはそういうものです。
町は復興の道を歩んでおり、新しい文化や交流を築こうとしています。昔を振り返りながらも、未来に向かった方が、そりゃあ絶対に良いことだと感じます。
ゴールデンウイークに益子に行った時。
車を止めた役場の駐車場にあった木なんですけど。
白い花が印象的。
遠くからだと木全体がふんわりした感じに見えるん。
近づいてみたら、花びら?萼?が細くて長い・・・
さて、何の木だったんだろう???
レベル高いヤツを買ってしまった気がする。
んーと、中級の上くらい?
最初おすすめしてもらったのはこの下のランクで
「2級目指すなら最適ですけど、その上目指すと役不足です」って言われて、新月サンが「どうせなら一つ上のにすれば!」と・・・
それに伴い板もお買い換え。
これで滑りが変わらなかったら・・・どうしよう(汗)
5年前にも「果報は寝て待てっすよ?」な出来事がありましたが、これがちょうど25周年の年回り。そしてことしは30年というめぐりあわせで今度は18分の1スケールダイキャストモデルと来たもんです。
静岡ホビーショーを紹介するホビーショップ・タムタムさんの記事(下の方)
DORLOPというと、イタリアのペスカーラにある新しいブランドのホビーメーカーだったっけかな。またもやですが、結局海外の企画の方が理解が深いよ・・・
などとため息をついている場合ではないので、直に尋ねてきましたよ。中国製製品で、日本では9月頃のリリースだということで、わたしゃその場で予約してきましたよ。
しかしホビーショーの記事をよーく見て行ったら、エスクードが展示されていた場所の上の棚にもなんか大変なものを見ちゃったような気がする・・・
カップ麺食べようとお湯を注ぎ、捲れてくる蓋をさあどうしようかと考えていたら・・・視線の先に釜飯の容器!
おお、蓋が丁度よい重石になるじゃないか♪
いつもタイマーをのせたりしてましたが、こっちの方が具合がいいぞ~
(但しDん兵衛とか赤いKつねとかのどんぶり型は不可だわね)
五月病にかかる余裕もない日々が続くというのはありがたいことなのか、真っ黒な世界なのかようわかりませんが、エアポケットのように何も予定のない週末を送ることとなり、ぶらりと十代の頃の楽園に出かけました。
ま、のーんびりに聞こえましょうが、金曜日は秋田県の横手市から山形・福島経由で走り抜け帰宅というやれやれな週の終わりだったんですけどね。
高校生の頃から通っている蕎麦屋に行こうか、もう一軒の天ぷら屋に行こうか思案の末、道路を渡る際に偶数で行けたら蕎麦屋、奇数だったら天ぷら屋と決めて歩いた結果、「吾妻庵」ではなく「ほたて」の暖簾をくぐることに。脳内では天ざるだったんですが、天ぷら定食を注文するわけです。
どちらの店も創業百年を越える老舗ですが、双方、僕を連れて行ったのは祖父でした。
それを思い返すと、既に五十年前になる。街の歴史の本に出てくる店だと認識していたのに、自分自身が歴史の中に埋没していますよ。こればかりは逃れられない現実。だけど「とても素晴らしいが何処にもない場所」という理想郷だとかアルカディアだとか、どう考えても非人間的な支配社会のようなユートピアとは違って、楽園と呼べる街はうらぶれようともちゃんとあるのです。湖畔はいわば楽園の向こう側なのですが、そこからの夕景にも、街は横たわっています。