まだ組み立てられて間もない重ダンプ。黄色いのか緑の方か忘れたけど1台1億円だそうです。車体各部がユニット化されており、組み立てはボルトオン。リアタイヤなんかデフにくっついてます。そのタイヤだけなら1本100万円だって。積載量は緑の方が55t。
55といえば、BLUEらすかるを買ったときの値段だよ(万円ですが)
遺跡というか巨石というか、まるでストーンヘンジなしつらえの「焼きたて小倉パイ」。残念ながらリーフパイは、あのうなぎパイほど大きくありませんでしたが、現物が出てくるまで、巨石サイズだったらどうすんだよとビビってました。
山形市の「グランロック」は、車で乗り付けて飯食って雑談できて、分煙されているありがたいカフェレストラン。僕の検索が下手なんでしょうが、仙台市でこういう店をなかなか見つけられないのに、山形だと沢山あります。
石焼き風のハンバーグは、肉よりも付け合わせ野菜の方にもうちょい熱を通してほしいのが正直なところです。ついでながらこれをナイフとフォークで食うのには器をどうにかしてもらいたい(笑)
だけどこの席が例の先日の女子会っぽい布陣なので、おぢさんは割り箸をくれとは口が裂けても言わないのです。そういえば、女子陣がオーダーしたフロート系ドリンクが、飲み物とフロート用ソフトクリームを別々に出すのがユニークでした。
アニオタで特撮オタクな女子会がどうだったかというと、セーラームーンまで遡れて、ときめきトゥナイトまで行くと「母が読んでたみたいです」(そりゃそうだな)。意外だったのが、彼女たち、「赤い彗星」の出自や生い立ちは全く知らず、ただの「気障な悪役」としてガンダムを見ているのです。それでも、少年誌に初めてガンダムが記事化されたときの解説について「主人公のアムロ少年が着こむモビルスーツ」という記述の逸話については予想以上の盛り上がりをみせました。
小学生の何年次だったか失念していますが、学研から出版されていた「科学」と「学習」という月刊誌を、親にせがんで購読させてもらっていました。「科学」は文字通り様々なサイエンスの知識をもたらし、「学習」では沢山の物語を読み漁ることができて、そしてもっぱら「科学」についてくる毎号の付録が楽しみでした。
いつだったのか失念しているのは、その付録に、捕鯨基地のジオラマ作成セットがついてきたことです。
70年代には捕鯨禁止の勧告が始まっていたそうですが、そんなことはつゆ知らず、学校給食の献立に頻繁に出ていたのが鯨肉の串カツ。これはクラス内で好き嫌いの分かれる食材でしたが僕は好物でした。
そこへきて、捕鯨基地を段ボールのジオラマベースに紙粘土と紙細工とブラキットで作るという付録。ベースの線に沿って入江の港町の起伏を粘土で盛り付け、桟橋や建築物を紙細工で置いて行き、海側の好きなところにブラキットの捕鯨船を配置するというものでした。
実はその頃、僕は自分の描く絵画を馬鹿にされていて、それがなぜかというと「お前の描く船って沈んでるじゃん」と、クラスメートは言うわけです。画力の足りなかった僕は、画用紙の下から8割くらいを海として描き、残り2割が水平線から空という構図で、船舶を8割の海の方に配置していたのです。
しかしタンカーにせよ客船にせよ戦艦にせよ桟橋からか、あるいは沿岸からしか見たことが無いので甲板の様子がわからない。だから知っているアングルでしか描けないのに、船だけ真横から、絵の構図は俯瞰でやっていた。
そりゃー「海中に沈没」してるようにしか見えませんわな。
ところがこのジオラマを作ったことで、僕自身には捕鯨船ならば三次元の構造が理解でき、クラスメートには「お前の絵、そういうイメージだったんか」と理解してもらえるきっかけになりました。その後の僕の絵は、同じ構図でも「沈まず海上を航行している」俯瞰図になっていくのです。
さてその捕鯨基地の町は、ジオラマはあくまで架空の漁港だったのですが、先日、牡鹿半島の突端まで仕事で出ることとなり、鮎川浜の津波被災地にまだ健在で保管されている捕鯨船「第16利丸」と初めて対面することができました。
この船は、日本における高速捕鯨船の1番艦として建造されたそうで、昭和33年から62年まで就航・操業していた大型船です。牡鹿半島には明治時代に、山口県から捕鯨関係者がやってきて一大基地を作り上げていったとか。
鮎川浜はその後の国際的な捕鯨禁止政策によって、往時の姿はなく、また震災の追い打ちであまりにも静かな町となっていますが、かつて解説されていたおじかホエールランドなどの被災施設が再建されることになり、来年から再来年にかけて復旧するそうです。第16利丸があのブラキットのモデルだったかどうかも定かではありませんが、今回はその実寸を知る機会となりました。
玄関に四つ置いてるバラの鉢。
どれもこれも蕾がみっちり。
バラの開花時期が判らなくなってきた今日この頃です・・・
(先日ブログに書いたバラも蕾が沢山ついてます)
肋骨6本の骨折だそうです。
・・・そりゃ全治2か月とか3か月とかかかるんじゃないのか? でも重体なんてことにならなかっただけまだよかったか。
当人は「嵐田雷蔵と罰当たりなやつらだけに、罰が当たっちゃいました」
などとぬかしております。で、自分で笑い出して激痛を招いている始末です。いや・・・しかしその「嵐田雷蔵と」ってどういう意味だよっ?
当人に迷惑をかけてもいけないので事の次第は書きませんが、交通事故ではありません。が、打ち所が悪かったらただでは済まなかっただけに、不謹慎ですけどほんとに骨折くらいでよかった。
洗濯物取り込みに帰ったら、お出迎えなし。
(大抵いちかでんかどっちか出てくる)
あれー???おかしいな
と、二階に上がったら目に飛び込む猫団子。
そんな季節になったのね・・・
もう少し寒くなると布団の中に。
またはホットカーペット+湯たんぽに張り付いて動かないわ。
盛岡です。
立冬を過ぎて朝晩の肌寒さを意識せずにはいられない毎日。
日ごとに岩手山の紅葉も色あせ、牧場も雪の訪れに備える午後。
部屋着も厚さを増し、アツアツのステーキも上掛けが欲しくなるのか目玉焼きの装い。
老舗のセットが温かく来客を驚かせる、盛岡です。
などとつい、NHK盛岡放送局の上原康樹アナウンサーの真似をしてしまうこの設え。カフェレストラン瑠奈では「ステーキセット」という献立が、サラダとスープと飲み物付き、という既成概念の斜め上を行きます。
ステーキソースとは別に中濃ソースが出てきたときに「なんで?」と思ったのですが、まさかフライものが盛り合わせとなり、肉の上に目玉焼きが載ってくるなどと、想像もしませんでしたよ。ステーキと目玉焼きという組み合わせは余所にもありますが、瑠奈の場合はもはやミックスグリル。
なんとか目玉焼きをどかそうとしたものの、とろとろの卵黄は自重を支えきれずすぐに崩壊。ところがステーキソースとの絶妙なコンビネーションを発揮し、いままで食ったことの無い味わいを堪能することとなりました。
クリームコロッケと白身魚フライの下にはジャガイモといんげんのほかに肉厚のレンコンも隠れておりました。付け合せのナポリタンもなかなかの分量です。
そういえば以前、生姜焼き定食だという「Aランチ」を頼んだときも、予告なくカレーがついてきました。もはやそれって付け合せの域を越えてるじゃん。
なるほど地元の方々がライスを大盛りで頼むわけです。盛岡の昼飯は、まあそんなわけで余所には行けなくなってしまいましたよ。
11月も半ばなんでございますが・・・
アサガオ、花咲いてます。葉もまだ青いしなぁ。
こりゃ霜が降りるまで咲き続けるかも。
という宿題を課せられたため、約一名おぢさんなんですが再び女子会を設営することになり、本日仕事が終わったら部下を連れて出かけてまいります。だけどなー、アニメで特撮という脳内イメージが左図(こりゃ正しくは「アニメを特撮している」んですが)ですから、どうなることやら。
ただし「勇者ライディーン」を推薦してくるわけではありません。この挿絵はあくまで自分のボキャブラリーなんてこんなもんでしかないよ、という表現です。
それで熟考してみたんですけど、30年とは言わぬまでも、こういうのって「20年前ならいざ知らず」の世界になってるよなあ。でも模範解答とか無難回答もしたくないんですよね(笑)
よもや「ひやかしに行ってやるぜ」という人はいないと思いますが、何かの間違いで「いる」場合はこっそり連絡くれれば時間と場所教えます。遠いけどね。
義弟2号が唐突に「鯵食わねー?鯵」
釣りが趣味のお客さんから大量に頂いたらしい・・・
折角だから大きいの三匹と小さいの三匹貰って帰り、包丁振り回しました。
研がないで放置してた出刃が切れんっ!
普通の三徳包丁で下ろす羽目に(泣)
心配したけど全く鯵に興味を示さないチビず。
いちは新月サンにべっとり。おかげで手伝ってもらえず大変でした・・・