ふぅ婆が旅立って、緊張の糸がプッチリ切れまして。
吐き気と発熱に見舞われて寝込みました。
「やばいインフルだったらどうしよう(汗)」
と、慌てて病院へ行きましたが。
37.6℃っていう微妙な温度と喉の痛みも鼻水も出てないという事で「胃腸炎ですね」と診断されました。
「胃カメラのんだ事ありますか?」
「ありません」
「じゃ、念の為検査しようか」
・・・こんな軽いノリでいいのか?
そんなワケでついでにピロリ菌の検査もして参ります。
ふぅ婆が旅立って、緊張の糸がプッチリ切れまして。
吐き気と発熱に見舞われて寝込みました。
「やばいインフルだったらどうしよう(汗)」
と、慌てて病院へ行きましたが。
37.6℃っていう微妙な温度と喉の痛みも鼻水も出てないという事で「胃腸炎ですね」と診断されました。
「胃カメラのんだ事ありますか?」
「ありません」
「じゃ、念の為検査しようか」
・・・こんな軽いノリでいいのか?
そんなワケでついでにピロリ菌の検査もして参ります。
振り返ったら最初の縁は2001年の3月。先代らすかるが200000キロを刻んだ場所が、宮城県庁のそばでした。実はそれ以前の東北行はすべて、仙台なんかすっとばして岩手県以北にばかり出かけていたので、この街はおろか宮城県をほとんど知らないままの、気まぐれなドライブでした。
ま、それにしても当時です。200000キロくらいで大騒ぎしちゃってるんだから、かわいいもんです。
まさかその10年後にここで暮らすことになろうとは。1000年に一度とやらの未曽有の災害を喰らおうとは。そのまま居つくことになろうとは。という仙台になりました。
うーん、結局は東北人ではない自分。パンドンを倒しながらも満身創痍で帰還するわけでもない自分(なんだその喩えは)。それでも、いくらかは後ろ髪を引かれながら、帰路につきます。・・・基地を通り越して厚木経由ですが(笑)