玄関のプラムにぶっ刺さっていたカナヘビ。 気が付いたのは昨年末ですが・・・ 差した本人が取りにくるかな? と、そのままにしてはや三ヶ月。 そろそろミイラ化してきちゃったので いい加減外して土に返してあげた方が いいんでしょうか・・・
TDA2025シーズンがいよいよ23日開幕ですが、川添哲朗君のアグレッシブなドライビングによって、ТA74Wはホーシングが破損するドライブシャフトが千切れると大変なことになっているようで、ストーブリーグ中はその修復に費やされていました。
スズキの経営体制も会長逝去に呼応してか大分変革したらしく、ストックパーツのコスト削減で三代目ショートでも部品が手に入りにくくなったそうです。
対メーカーと代理店のかかわりについて裏話を聞いたら、スズキの顧客はスズキを嫌いになっちゃうんじゃないかというひどい話ですのでそこは割愛しますが、どうにかパーツは調達できてセッティングの最中。次はあれです、スイフトスポーツ用のM16を載せ替えというプラン。これには川添君の背中を押すと同時に、そのエンジンこちらて買い付けて圧力かけてやろうかという悪い考えもあったりなかったりです。
そんな渦中の2月上旬、島雄司社長はめでたく還暦に突入されました。うへー・・・あの真紅のE376トライアル用エスクードの時代から四半世紀は経ってしまったのか。ともあれ還暦ですよかんれき(うるせーよ、と言われそう)
「あなたどうせ普段着からしてパーソナルカラーが赤だから、わざわざちゃんちゃんこ作らなくてもいいわよね」
とは奥方の談だそうですが、それでも真っ赤なMA1をプレゼントされたとか。さらに娘さんからはサザビーの模型が贈られたとかで、本人はご満悦です。
「いやしかしですね、模型なんてもう何年も作っていないから、箱を開けたとたんにこれは確かに手に負えんわと。工賃出すから誰か作ってくれと発注しましたよ」
島さん、公私ともにそんなこんなの怒涛の年度末を過ごしているそうです。
ラジオアンテナが左のAピラーから生えているのに
ハンドルは右。メーターフードは後期のドーム形。
ヘッドライトウオッシャーの無いフロントバンパー
アンバー色の濃い前照灯
前席ドアの側面に何かしらのエンブレム
サイドマーカーらしき後部の突起
それらはすぐに確認できたので、「中身がエスクード5ドア(ノマドでなくなった年式)で、車体としてサイドキックをのっけたやつ?」と即答したら
USDMマニアでもさすがにアンテナ位置までは変えまいと考えると、V3(和邇さん所有の秘密兵器たるビターラコンバーチブル)と同時期にカナダで生産された英国圏仕様のヴィターラではないかと思われます。
日本のSUZUKIからオーストラリアやニュージーランドに輸出されたものは、国内仕様と同じくラジオアンテナは右のピラーに設置されておりました。
まさか左ハンドルを わざわざ右に移設したとするならば、その意気やあっぱれとしか申せませヌけれども(笑)
うわわ・・・なかそとニコイチじゃなくて真っ当な逆輸入ものだったのか・・・ めずらしいです。しかも、探し出せればこの個体に乗ることが不可能ではないという。実際に遭遇したのは和邇お嬢ねーちゃんだったそうですが、これを見出してきた彼女もさすがです。
「さよならジュピター」の映画封切りは昨年3月17日が40周年目でしたから、今になって何を書き出すんだと思われましょうが、この物語の舞台は今からちょうど100年後の太陽系を描いているのです。なぜ2125年としたのかについては根拠があり、原作者の小松左京さんはミディアムブラックホールが太陽系に突っ込んでくる(これはさらに2年後の2127年)際、「木星以外の太陽系惑星がすべて地球の後方に位置する」環境を考えていたからです。
2127年の太陽系の諸惑星軌道は、木星だけが外宇宙に向けた場所にあるらしく、小松さんはこれを軌道計算ソフトで割り出したのだそうです。物語が火星から始まる100年後、人類は180億もの人口に達し、太陽系全体にも5億人の人々が居住就労している世の中となっているわけですが、2025年の現時点ではまだ、月の裏側に整備される太陽系開発機構どころか第二次月着陸のためのアルテミス計画もまだ人類を月面に送り込めていません。
19世紀の産業革命から100年程度で、技術の発達と引き換えに、地球上の諸環境は悪化の一途をたどってきたので、果たして21世紀からの100年がこれを覆せるのかどうかは見通しが暗いのだけれど、1970年代に元々の構想を練り上げた小松さんは、世界中の紛争に対して「そんなことしてる場合じゃないぜ」という考えとともに、人類まだまだ捨てたものじゃないと、このストーリーを立ち上げたのでしょう。
「復活の日」や「日本沈没」に比べて、「さよならジュピター」は、からっとした明るさがにじみ出ています。だから読んでいて楽しく面白い。100年もの未来はもはや僕の手の届くところでありませんが、曾孫の子供くらいだと現役かもしれません。
ただし、孫の予定が全く見えてません(笑)
東北勤務時代、北東北の町々で「十六団子」を御呼ばれする機会が何度かありました。山の神が里へ下りてきて、ぼちぼち田畑を耕す人々を支えてあげるぞという時期が3月16日のこととされ、出迎えのために団子を16個備える風習です。それとは別に、里人が食する分をいただいたのですが、地元に戻って来てからは、うちの方ではそういう習慣は残っていなくて、山の神には赤飯を備えるのがならわしで、それは旧暦の11月のことです。
これもまた十六団子に似たもので、一年間農耕を支えてくれた山の神が帰っていく際、土産代わりに食ってもらうわけです。ただ地元で・・・というか少なくとも我が家では3月の十六団子はやっていません。罰当たりにも団子はお茶うけとなって自分の胃袋におさまってしまうのでした。
1985年3月15日に始まった「巨獣特捜ジャスピオン」は、東映メタルヒーローのシリーズ第4作に括られていますが、それ以前の「ギャバン」「シャリバン」「シャイダー」はどちらかと言えば宇宙刑事シリーズとという冠も持っていたので、ジャスピオンにおいて「メタルヒーロー」というカテゴリーが成立したのではないかと思います。仮面ライダー、スーパー戦隊とは別格のヒーロー像を創造する意欲が、この頃はまだまだ元気良かったのだということです。
ただ、前3作にわたる母艦、タンク、バイクといったプロップやレーザー剣などを踏襲しすぎて玩具面では飽きられかけていた面もあり、超惑星戦闘母艦ダイレオンなどは戦闘巨人に変形もできるのに、売れ行きは振るわなかったそうです。主人公が野生児という部分にも違和感があったかもしれません。が、次作の「時空戦士スピルバン」においてこれらのプロップが引き継がれ人気を出しているのだから、メタルヒーローの立派な橋渡し番組になりえたのです。