「に゛ゃ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!」と叫ぶ、いちにーちゃん ご飯も食べたんだし、大人しく寝てくれ・・・ 「膝に乗せろ!撫でろ!かまえ!!」という主張だと思うンだけど。 かーちゃんは今からとーちゃんのご飯を作るのだよ! 結局このまま炒め物しました(笑)
ひたち海浜公園はこの時期、6時半には駐車場が開くほどの行楽人気。みはらしの丘を埋め尽くすネモフィラの満開にあたるからで、いわゆるインスタ映えスポットとして定着してしまいました。丘のふもとからは空に続くインシグニスブルー、丘に上がればその先に海も臨める絶妙のロケーションです。戦前戦時中は旧日本軍の飛行場、戦後はアメリカに接収され対地射爆場として扱われていたことは歴史の彼方の話になりました。
ただ、彼方に追いやってはならないのは、この射爆演習で1950年代にはけっこう沢山の地元住民が流弾の犠牲になったり低空飛行のプロペラに巻き込まれたりという事故が多発し、日米地位協定に阻まれ泣き寝入りを余儀なくされたことと、これをきっかけに当地の米軍基地が沖縄県に移転する結末になった歴史です。茨城県民は迂闊に戦後を忘れてはいけないなあと思わされますが、70年代の返還の頃、大人はそれを教えてくれませんでした。
公園のネモフィラは自生ものではありません。毎年ピークが過ぎれば撤去され、秋のコキアに備えて丘の手入れが行われ、コキアが見ごろを閉じたら翌年用の植栽が行われます。国土交通省が珍しく国民に支持される風景を生み出しているのです。慕われすぎの人出で連休や週末なんぞに軽く見物にも行けなくなりました。だから実は、ここで挿絵にしているのはひたち海浜公園ではなかったりします。ずるしているかどうかはともかく、同じ瑠璃唐草ではあります。