子供の頃、てくてく歩いて通った小学校が 本日で閉校します。 自治体内の三つの小学校を統合して中学校の 敷地内に新設されるそうな。 私の通った小学校が明治7年創立。そこから 他の二校は分校として明治9年と24年に 開校されたという歴史があります。 まあ中学校も私が通っていた時代の1学年分 (当時45人学級で5クラス)+もう1クラス位の 人数ですもの(全生徒数が) 効率考えたらこうなっちゃうよね・・・
「愛の戦士レインボーマン」「ダイヤモンド・アイ」に続く「正義のシンボル・コンドールマン」のいで立ちは、ヒトを超越した神がかりな化身なので、いやその姿はさすがについていけないと思えど、こういうのが川内康範作品なんだろうなあと押し切られてしまうものがあります。60年代ならそんなことを気に留めなかったはずですが、コンドールマンの登場は1975年3月31日。少なくとも「月光仮面」をトレースしながら新機軸を創造したレインボーマンの造形に軍配をあげたくなります。
前2作が東宝制作、コンドールマンは東映作品ですが、コスチュームへの言及はここまでとしても、大道具であるマッハコンドルのなんとも雑な作りとコンドルよりもヒヨコ風味にがっかり感が漂うのです。でもこの時代の材料ならではという、フェアレディ―をこんなにしてしまう造形屋さんの度胸には敬意を表します。
「初の」とは書かれていないので記述自体に間違いはないのですが、例のなんとかペディアのスズキエスクードの項目には、1989年(平成元年)にはスポーツ用品のブランドを冠した特別仕様車が登場、5月に夏期限定車「ヘリーハンセンリミテッド」、10月に冬期限定車として「ゴールドウィンリミテッド」が設定される。とあります。あらためてこれについては「初の」と書かれていないので特に問題はないのです。
が、確かこれよりも前の89年1月に「G‐リミテッド」の最初のモデルが出ていたのですが、記憶では特別仕様とか限定車という意味で、前年にグッドデザイン賞をとったことから初の試みとして世に出たモデルでした。アウトドアスポーツコンセプトのヘリーハンセンやゴールドウインに対して、どちらかと言えばシティユース趣向のイメージが強いものの、これも翌年度以降年度末販売の定番となってシリーズ化されました。
それにしてもこの当時のスズキのカタログは、スチル1点とってもコストをかけています。隅々まで見ていくと合成写真が無かったわけではありませんが、メインとなるビジュアルは実車を実景で撮っています。しかもこのG‐リミテッドの場合、許可が出たんでしょうけどよくこんなところで撮影したなあと、うっかり真似しに行ったら怒られるじゃ済まない場所ではあります。
花見をやってしまってから七十二候の「桜始開」を話題にするのもあほみたいですが、暦の上でも2025年は3月25日あたりから29日の数日間がこれに当てはまり、エドヒガンや大島桜からソメイヨシノへと移り変わる時期にも重なります。なんだってまた、ソメイヨシノは寒暖の差による開花ずれがあるとしても一斉に咲き出すのかと首をかしげていたら、「ソメイヨシノはエドヒガンと大島桜などから交配され創り出された鑑賞用で、それらの成り立ちはほぼクローン」と教えられました。
この物知りの知人によれば、エドヒガンなどの原種を辿っていくとヒマラヤザクラという品種に遡り、2000mを超える高地で棲息していたことや、25000年前の化石も存在するとか。ソメイヨシノなどは近代日本の名物であり、古来花見とはヤマザクラのような群生を眺めていたものなのだそうです。
知らなかったよ、やっぱりつくばーど®の花見は気が早かったんだよ。天狗の森でヤマザクラが観られるのはこれから半月以上先だもの。
2月末に職場が移転したため、東京高速道路は僕の通勤ルートではなくなりました。わずか2キロくらいの一般自動車道ですが、いよいよ4月5日の20時で閉鎖廃線となります。
今後は歩行者天国というか、屋上公園として活用されるとか。そのための実証実験も何度か行われていました。
1984年の「ゴジラ」で、有楽町マリオンや東海道新幹線が襲われるよりも早く、この道路が、放射能熱線で撃墜されたヘリコプターの爆発によって、渋滞中の車両が次々と燃えてしまう場所でした。
現実的なことを思うと、ここを公園化してもゲートを作って夜間封鎖しないとスラム街化するんじゃないかなあ。
そんな話はまあ置いといて昨日の午後、960000キロを越えました。ここからまた長いこと長いこと。その割にはペースが上がりません。このままだと車検満了までに間に合わんなあ。
そもそもが2017年末に登場して、既にモデル末期とも言うべきクルマに鞭打つ「ぱっとしない」記事がもうピンボケです。クロスビーが世に出てきた背景といえば、その一つ前に出ていたイグニスがコンパクトカーでありながら室内空間の狭さを指摘され、これを挽回するために用意されたのです。確かにハスラーと比べればマッチョで、シャープさに欠けてはいましたが、確信犯的なハスラー似をジャッジするならば、ぶさかわいい部類で巷では今でもちゃんと見かける。
ドライに見たら、この車格で5人乗ったら結局は窮屈になるのは明白です。しかし取り回しの良さを見据えて、イグニスからの挽回策としてコンパクトビークルにそこそこの空間をもたらしたことで、クロスビーは役目を果たしていると思います。仮に、このクルマをジムニー寄りにデザインしたら、ジムノマの立ち位置が揺らいだかもしれない(まあそんなことはないけど)。またぞろ押し出し重視の顔つきが散乱してきたスズキのコンパクトカーの面白みの無さを考えたら、ハスラーっぽい落としどころは良い線を行っているのです。
8年といえば、歴代のエスクードがモデル末期に差し掛かった頃(三代目はもう少し長かった)で、茶化したいのか応援したいのかをはっきりしてもらうなら、良いところを見出して次のモデルなのかブランニューの登場なのかを占いながら、未来のことを書いてもらいたいです。記事自ら「フューチャーしてみたい」などと間違い英語(フィーチャーでしょ?)を使っちゃってるついでにね。
今さらハセガワがマットビハイクルの模型を出すからどうだって言うんだ? と思って、先日リリースされた予告なんかろくに見ていなかったんですよ。こちとらもう模型なんか眼もついて行かないし指もおぼつかないので作る気にもならないんですよ。
そしたらなんと、この限定品模型にはMATエンブレムのピンバッジがついてくるってなんですかそれはーっ
いや、MATのバッジなんて既に持っているんですよ。にもかかわらず、なんでこういうのを見てしまうと欲しがるかな俺 ←愚か者め、どうせ注文したんだろ
科学特捜隊でもウルトラ警備隊でもなく、MATなんですよ。「帰ってきたウルトラマン」の放送時、この流星マークのデザイン、カラーリングにノックアウトされた田舎の子供は、あちこちのおもちゃ屋を探しても、マットアローやジャイロは売っていてもバッジなんか無い。と、べそをかいてたわけですよ。すると見るに見かねたかお袋がフェルト生地を買ってきて切り抜いて糊付けしてこのデザインを再現し、ウインドブレーカーの胸の辺りに縫い付けてくれたのでした。
僕が所有しているバッジは二種類あって、ひとつは地球防衛チーム(チームUまで)のコレクションでフルカラー、もうひとつがいぶし銀の地味なやつ。どうせわからんだろうと、場違いが分かっているのに後者をつけて参加したのが1999年に出かけて行った初のエスクードのオフライミーティングでしたが、これを見つけた男が1人だけ居ました。後の週末関東人・SIDEKICKさんとの邂逅でした。