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  ~懲りない傾向~

つくばーどinらいとにんぐ新潟Ⅱ

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三名乗車(家内が卒業式のために先乗りしていたので)を維持しつつ荷物満載・・・といっても布団とカーペットと旅行用キャリーケースと掃除機と諸々の小物程度ですが・・・というのは、ハスラーでは無理だったでしょう←先日の積載量で負けたのがほんとに口惜しいのよ。

これで新潟市内を訪ねることはあまりなくなってしまうねえと思いながらお伺いを立てたところ、義理堅くアスラーダさんが掲示板にメッセージを書き入れてくれて、おいたマンさんとふっじいさんご家族が見送りに来てくれました。ふっじいさんちも今年から双子ちゃんたちは小学生。霰、というより実際には霙の年齢になりますが、つくばーどで長岡を訪ねた2004年を思い出させるような、双子ちゃんがランドクルーザーに駆け寄っていく姿は、はっとさせられる瞬間でした。

 

2 Responses

昨日はありがとうございました!
2004年の夏でしたよね。14年後の事なんて想像もしていませんでした。イベントレポートの写真を見ていると車の方はあんまり変わっていないように思うのですが、お恥ずかしながら掲載されている当時の私の写真と今の自分を比べると・・・まだ体重50キロ代半ばだったよなーとか(泣)うちの70はようやく此間30.万キロに到達しましたが、9年目で38万キロに到達しようとしているらすかるは凄いです。
あの頃の嵐田姉妹と言うとこのイベントもそうですが、肩車して肝試しに回った大平宿が一番印象に残っていますね。あの頃は小さかったのにもう社会人とは(うるうる)
今から14年後・・・ちょうど子供が成人位ですがやっぱり想像もつかないですね~。

  • 14年前だったら僕だって・・・と引き算したらあまり変わらないっていう哀しい現実が判明してます。
    大平宿もレポートが残っていますけど、飯田界隈もあの年は春と夏の2回走っていて、春は浜松から東名回りの中央道でした。しかも田切駅から松川村へ移動して、そのあと軽井沢へ出ています。
    将来を想像するどころか、現状完全燃焼しか考えていなかったんでしょうねえ。
    双子ちゃんに初めてお目にかかった夏も、神岡と高山から白川郷経由で日本海へ出て(まあ浜松も飯田も、いずれも宿泊は伴ってますが)上越ですから、旅をするのが楽しくてしょうがない一族なのでしょう。
    今から14年先となると、さて生きているかどうかの想像ができませんわ、俺(笑)