連休中、神経痛にのたうち回りながら気を紛らわそうとディスクを磨き直して、現在所有のパソコンで再生していました。ワゴンセールで買ってきた、途中で読み込みできなくなっていた「風花」のソフトです。
この映画もトロントの映画祭で発表されてから20年も経ってしまいました。批評は引用したサイトでレビューされている、まあまさにそんな感じの出来栄えです。
怪我人が気を紛らわすために観るような内容じゃありませんから、例によってエスクード馬鹿な鑑賞。ツールとして出てくるTD01Wのシーンしか興味ないぜと送っていくのですが、それでも今まで気づかなかったところが出てきたということは、これまでは映画の物語に傾倒していたのだなとあらためて感じました。
そのひとつが、中盤でエスクードに乗り込む小泉今日子さんのカット。
相米慎二監督作品と言ったら一つのシーンを長回しする撮影が特徴ですが必ずしもその限りではなく、カット割りも多用されています。このあとタバコを吸うために「車を止めて」と運転する浅野忠信さんに告げるシーンがあるのですが、何かおかしいぜとお気づきになりますでしょうか? 映画だからこそなんですが、これは運転している人間が振り向かなければ見ることのできないアングル。ほら、おかしいでしょ?
これを「現場」的な視点で考えると、撮影では運転席にカメラがあって、しかしエスクードは走っているという「おかしいでしょ?」とは別の謎が浮かび上がってきます。それを突っ込んだら物語が成立しない無粋なお話になりますからスルーしていいのですけど、トレーラーで引っ張っての撮影はスタンダードな手法です。でも、だからこそ、このあと後席のドアから降りてくるキョンキョンに、おいおいと思ってしまう。
まったく、助監督や演出は何をやってんのよと苦笑いしていたら、牽引されず自走しているシーンで「エスクードあるある」のような場面もあります。かんとくーっ、と言おうとも相米さんもう故人なんで、粗拾いよりもエスクードをこれほど沢山出してくれたことに、むしろ感謝するのがエスクード馬鹿な視点の、たぶん正しくない鑑賞です。