Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

三寒四温の音

三寒四温の音 はコメントを受け付けていません

主治医とそのスタッフによる突貫修理で、BLUEらすかるは一週間のドック入りから復帰しました。こいつの修理が明けるということは、三寒四温の警戒をしつつもぼちぼち春が来るかなと予測できる時期でもあります。

で、プロペラシャフトの交換。58万キロまでは耐えられませんでしたが、実は原因はブッシュの劣化による干渉。シャフトそのものはジョイントも含めて破損には至っていません。

各部をばらして組み直ししていると時間がかかるので、えんやこらと引き抜いてシャフトもろとも交換してしまいましたが、ブッシュについてもここまで持ちこたえたのだから相当な耐久性を有していたと思えます。

結果論で言ってしまうと、無頓着に乗っていてもあと1万キロのうちに大きなトラブルが起きたかどうかは判断しにくい。起きなかったかもしれません。それでもジョイント部のブッシュがちぎれ跳んだ場合を想像したら、気づいた時点で手を入れたほうが安全でしょう。

それはネタでしょう?と言われたこともありますが、プロペラシャフトのバランサーが剥離して車体に当たる音に気付いたことがあります。もちろんその瞬間バランサーだとまでは考えが及びませんでしたが、車を止めて下回りを見ていったらバランサーが無かったと。

TD61Wあたりになると、初期の初代に比べれば遮音性は向上していて、つまらないレベルの異音というのは割と打ち消されています。三代目などでずいぶん異音の話を聞きましたが、こっちの耳がマヒしているのか初代で慣れてしまったら三代目は何も気にならない話だとも思えました。が、音の性質や発生している箇所に気付けて何が生じているのかをイメージできるかどうかということについては、けっこう重要かつ役に立つ感覚といえるでしょう。

突如、座布団三枚四枚の持ち上がり

7 Comments »

SX4 S-CROSSや新型エスクードはどちらかといえば王道に行ってしまった車種である分、イグニスにはスズキらしい隙間ねらいの極意が秘められています。だから車雑誌の新車企画にも取り上げられるし特集ムックも出てくる。ただこのムックも以前とちがってコストがかけられない想定になったものだなあと購入してみると、一冊のうちのイグニス特集は半分しかない。後半から始まるページ構成は、言ってみれば「最も新しいスズキSUV今昔史」になっていました。

こういうのはスイフトの系譜で固めていくのが定石だろうと思っていたのに、エスクードやジムニー1300(シエラ)やX-90を意外というほど余分に取り上げており、こんなのエスクードの初代がデビューしたとき以来じゃないの?(3代目のときにもちょっとありましたが)と目を丸くするほど、ありそうでなかった路線の開拓者としてほめてくれています。今頃ほめるんだったら、28年間ずーっと高く評価し続けてくれりゃいいのにねえ(笑)

そんなわけで、当時は「見栄張型」などととからかわれながらも悪いことが一つも書かれていない、くすぐったくなるようなエスクードの記事だとか、様々なコーディネートを繰り広げた限定車、特別仕様車の紹介までもが盛り込まれていて、イグニス買う予定はなくてもエスクードがこれほど紙面に出ているのも珍しいから、この一冊はとっておいてもいいですね。

ご親切にどうも。

2 Comments »
翌日は雨だっちゅうの。

翌日は雨だっちゅうの。

先週土曜日のお手伝いの後。
台車を配達しに出かけた新月サンを待っている間、
会社の花壇に水撒いてました。
ホースで出しっぱなし。10~20分経ったら場所変えてっていうのを繰り返して、その間は建物の中で入荷の荷捌きしてました。
そろそろいいかと外に出たら、通りすがりのお兄さんが
「この水道ずっと出っ放しなんですけど・・・大丈夫ですか」と声を掛けてきました。
『あ、水まきしているんです』と答えると
「さっき通って、用事済ませて戻ってきたらまだ出てたので気になりまして」とおっしゃる。

・・・そーね。シャッター閉まって人気のないトコでジャージャー水出てたら忘れたか壊れてるのかと思うよね。
お気遣い有難うございます。

ほんとに知らなかったのさ

ほんとに知らなかったのさ はコメントを受け付けていません

仙台在住になっても鉄道に乗らないから知りませんでしたよ。

いや、ふつう、仙台駅がターミナル駅だと思うじゃないですか。というか、思ってたのだよ。

だから「あおば通駅」なんてほんとに知らなかったわ。ここまで掘ってるなら、広瀬川の向こうまで伸ばしとけばいいのに(しかしそれだと仙石線と呼べなくなる、ここがぎりぎりなのか?)

5年の歳月。

2 Comments »
1年前の光景ですが。

1年前の光景ですが。

中学3年生だった甥っ子1号は卒業式間際でした。
義妹が「卒業式やるかやらないかモメたんだよね確か」と言い(今年下の子が卒業なので思い出したらしい)式次第も省略に次ぐ省略で物凄い短縮されたとか・・・
この辺りは影響ったってそんなもんで済んだけど。

日常が崩壊してしまった人たちは・・・
それどころではなかったのよね。

ラジオで被災地の今を話していましたが。
震災前のレベルまで事業内容が戻った企業と戻らないで倒産の危機に瀕している企業と、二極化しているとか。
と。聞きかじりな知識で語ってもダメなんだよね。
また今年も訪ねてみようと思っています。

刻まれた時刻

刻まれた時刻 はコメントを受け付けていません

南三陸の時計南三陸町の病院に掲げられている時計の、5年前に刻まれたその日の運命の時刻。もはやあの日を現地で過ごした人でなければ、実感など伴わないほど震災記憶の風化は進んでいます。僕自身、2011年3月、ちょっとタイミングがずれていたら仙台空港の近くで津波にさらわれていたかと思うと、ぞっとする記憶は褪せていないものの、ぼろぼろの1か月を鮮明に思い出せなくなっています。

その日のわずか6日前に仲間たちと仙台や栗原に出かける直前、釜石市で仕事をしていたのも運命的な出来事でした。それから5年、帰還困難区域の時計は止まったままだし、集中復興政策を受けた各被災地も、インフラレベルの工事は目覚ましく進んだけれど、すべての生活再建に及んだかと言えば、疑問を拭い去れません。

何度も視察にやって来る総理大臣や国土交通大臣は、なぜ「復興の進んでいない地域」に足を向けないのか。その映像をニュース化しながら、マスメディアはどうしてそこに突込みを入れないのか。被災地をプロパガンダの材料にされる地元の人々のは、声を荒げなくてよいのか。

いずれにしてもターニングポイントを通過する日。あの津波が幻だったかのように、三陸沿岸の海原は美しく穏やかな風景が広がっています。

つい。

7 Comments »
あまり見ないのヨ。

あまり見ないのヨ。

近くのスーパーで見かけたので、つい買ってしまったある日の夕飯(←ぉぃ)

普通のと塩があったので塩を食べてみました。
スープがさっぱりめだったけど、美味しかったです♪

去ってしまった時間

去ってしまった時間 はコメントを受け付けていません

ノーズ1860年の3月10日。漂流していたスクーナー・スラウギ号が無人島に漂着し、保護者に無断で乗り込んでいた15人の少年たちは漂流生活を余儀なくされます。

彼らはなんだかんだで「2年間の夏休み」を過ごすことになるわけですが、こちらの方がむしろ原題(Deux Ans de Vacances)という無人島冒険譚が始まります。

1980年代に同期生の陰謀に陥れられ、中東の外人部隊に放り込まれてしまったパイロット訓練性は、少なくとも3年間の軍務をこなさなければ契約満了できないという窮地に立たされました。

まあどっちも当事者にとっては絶望的に長い、先の見えない日々なのですが、5年が過ぎて6年目に突入しちゃうと、2年だの3年だのなんてどうってことないよなーと、被災地を訪ねる度に思います。全国に避難している人の数が、2月時点でまだ174000人もいらっしゃる。もうちょっとで日立市の総人口に届く数です。

復興への新しいフェーズに入ろうということし、ここまで復興できたというべきか、全然先が見えないのか。見る人受ける人によってその差がありすぎです。

 

失効します?

4 Comments »
まぁ持ってただけだからねぇ。

まぁ持ってただけだからねぇ。

遠い昔に取得した教員免許。
制度が変わって、更新講習を受講しないといけなくなったのは何年前だったかな。
現時点では「現職教員でない方は免許状が失効することはありません」って文科省のホームページに書かれてますが、教職に就くにあたっては合計30時間の講習を受講しなきゃいけないそうですわ。

まず間違っても先生になることは無いけどね(笑)

深読みするは我にあり 和邇さんの手記007

深読みするは我にあり 和邇さんの手記007 はコメントを受け付けていません

来る3月11日、あの未曾有の大震災からちょうど5年を迎えるその日に、和邇娘姉が学生生活最後のステージに立ちます。あくまでも客演の一人ということで、けっして正規な演奏ではありませんが、想えば小学校高学年から大人のサックス教室に通い始め、以来中学高校大学と彼女の人生の実に三分の二を占めてきた音楽活動の集大成。長きに及んだパダワン時代の厳しい修行の末、そのフィナーレに自ら撰んだ楽曲は・・・

 

『モスラの歌』

 モスラ?モスラ?何故にモスラ?
 そういえば、『モスラの歌』の作曲者は福島県の出身とか。そしてモスラを映像化したのは同じく福島県出身の円谷英二氏。

そうか!これは東北の今後の安寧への祈りを込めた選曲に違いない。それに、娘が長年師事してきたサックスのマスターは、広島出身とのこと。『モスラの歌』の歌詞は、森羅万象の愛と平和を高らかに歌い上げたものでもある。この選曲は、娘からマスターへの感謝の意を顕すものでもあるのか!さすがは我が娘、意外なところで意外なことをしてくれるわい。と、感心しておりました。

そして昨日は演奏の合わせ練習。雨もしとしと降っておりましたし、大きくて重いバリトンサックスがあるので大変だろうと仕事を早めに切り上げて、いそいそと大学までお迎えに参じました。
 帰り道の車内で、最後の演奏曲に『モスラの歌』を撰んだ理由を娘に問いました。今年で24歳。すっかり大人になった彼女は、どのように考え、どのような答えを導きだしたのか。深慮の結果、如何にして『モスラの歌』を演奏曲に撰んだのか。さぁ娘よ答えておくれ。その理由を、この父に聞かせておくれ!

 

『社会人の先輩(女性)とのツインサックス。女二人っていったら“小美人”でしょ。小美人ていったら“モスラ”でしょ。これからは子供向けの楽曲もレパートリーに加えていかなきゃならないしね。アンパンマンとかさ(笑)』

 

東日本大震災からの復興に携わる皆さまに、一日も早く平穏が訪れますよう心よりお祈り申し上げます。

追伸:ライトサイドにおける覚醒、未だ成らず・・・

 

この手記のおかげで昨日の昼飯が決まっちゃうとは思いもしなかったさ。