友達が、ゆきはなにと持って来てくれたねこじゃらし。 まだ小さい頃だったので、もう少ししたら使おうと 隠しておいたのを見つけたヤツがいます(多分ゆき) 日中に家に戻ったらリビングに転がってました。 片付けようと思ったら走り込んできたはなが 咥えるなり抱え込んで離しません。 しかもずーっと唸ってる(汗) 仕方ないからそのまま出て来たけど・・・ 夜帰るのが怖いよぉ
やたらと注文の多い客 和邇さんの手記058
客『えーとね、ビーフステーキ…は食べられません』 猫『かしこまりました』 客『それとね、ポークソテー…も食べられません』 猫『かしこまりました』 客『あとはねぇ、ジンギスカン…なんて もってのほかだし』 猫『…かしこまりました』
客『あぁ、馬刺し!馬刺しはありますか?』 猫『もちろん、ございますよ』 客『やだなぁ、食べられるわけないっしょ(笑)』 猫『かしこ…まり…ました…』 客『牛豚羊馬以外で、何がおすすめかな?』 猫『お魚かチキンはいかがでしょう?』 客『飽きちゃったンだもん。他にはないの?まったく、食材の品揃えがダメダメじゃない。 ちゃんと客の注文に応えられなきゃイカンねぇキミ(笑)』
猫『💢帰れ!』
SSレイドへの投稿とは思えない凝った文面だったので、あわや「和邇さんの手記」にしてしまうところでした・・・が、時間差で「おまけ」と題したメールがケータイにのみ入っていました。
ちゃんとチャーシューは抜いてもらいました。
まぁ画にはなりませんなぁ(笑)
やっぱり手記じゃねーかっ
ただ、追記しておかねばならないのは、和邇さんそれほどの食事制限を強いられているということなのです。注文の多い料理店のイメージを持つ「山猫軒」で肉を食えず、種山高原の「献立の少ない料理店」までわざわざ行ってくれての笑いの盗り方には、僕は泣かされましたよ。でも、叉焼抜きとはいえラーメンなんか食っちゃっていいのかどうか、ご家族の逆鱗に触れなきゃいいけれど。
ちなみに種山高原名物のこの「銀河鉄道の夜」、ことしから叉焼とメンマはパワーアップしていたのに残念なことです。
何がそんなに嫌なのだ?
ウルトラの父がまだ独身か新婚の頃・・・
第一期ウルトラの直撃世代にとって、やれセブンの息子だタロウの倅だとたたみかけられたニュージェネレーションズのウルトラマンたちは、面白いなりに小ぶりな物語感を拭いきれない部分があります。その経緯が一切語られていないことにも不満があります。それができないんだったら最初から二世ウルトラマンなんかやらなきゃいいんです。そこを突っ込もうとしたら、実はウルトラマンタロウとウルトラの父という実の親子関係も、メディアによって広報されていただけでした。
ウルトラの父なんて、よくよく考えてみたら初登場時にはウルトラマンタロウの影も形も無い、ウルトラマンエースでの客演(1972年10月6日)で、出てくるなりエースを助けて命を落としてしまうという強いのか弱いのかはっきりしないとーちゃんでしたが、10話後にいきなり何の脈絡もなく復活して、さらに月へ還った南夕子を伴って地球人を助けるかなり安易な活躍ぶりでした。父は意外と夕子びいきで、後のウルトラマンタロウでも共演します。
こういう背景を見ると、そのうち「ウルトラマンエースの子供」なんてウルトラマンが出てくるとしたら、そこは母親をきちんと設定して、可能なら夕子をそのポジションに置いてみたいと思うわけですが、それよりも実子に「タロウ」と名付ける父が、なんでそういう選択肢を持つに至ったのかを先に観てみたい気がします。齢16万という、ウルトラマンキングを別にすれば長老格の父・ケンは、案外初代ウルトラマンよりも前に日本に来ているのではないかと。
彼がいつ頃の日本に来たかという考証も必要ですが、何万年前ではなく、せいぜい江戸時代あたりで「太郎」と呼ばれる男の子が存在した時代で、対象となるファーストコンタクト相手の「太郎」の人となりに好感を持つに至った若き日のウルトラマンケンを描くのもいいんじゃないかなあと思うついでに、「大江戸ウルトラマン」なんてタイトルまで妄想してしまいました。時間軸が矛盾しないなら、闇落ちする以前のウルトラマンベリアルと共闘するのもありでしょう。
だから・・・布団返せっ!
彼岸はとうに過ぎたけれど
もう秋だぜ・・・と思ったけれど、夏の色だなあと見とれてしまいます。
でも「ひまわり畑ネット」の見頃一覧を見ると、北海道でも10月の見頃があって、岐阜県じゃ11月でも見られるようです。
記憶の糸を紡いでみたら
2013年10月4日、欧州合同原子核研究機構(CERN)が前年7月に発見した新素粒子を「標準理論における最後の未発見素粒子」として、ヒッグス粒子であると確定しました。ヒッグス粒子というのはスピン0、電荷も0のボース粒子のことで・・・とそれ以上は僕のピンク色の筋肉脳髄では理解もできません。
同日、長周期で1200年というティアマト彗星が地球に最接近し、分裂した破片が岐阜県にある糸守町を直撃し大惨事が起きていました。
いつものごとく今更なんですが、当時の僕はなんでそんなことを知らなかったんだろう? と、記録を紐解いていったらば、あれでしたよ、椎間板ヘルニアで仙台の病院に入院して、外の世界とはほぼ断絶していたのでしたっけ(リンクは10月5日のものですが)
と、こんなのフェイクニュースも甚だしい書き方になってますが、現実とフィクションをうまいことつなぎ合わせられたところに、自分自身の泣き笑い状態な日々が見事に重なっていたのでした。
今年は遅くないかいな?
2度目があるなら3度目も?
スズキが創業したのは1909年10月の、創業者鈴木道雄氏による鈴木式織機製作所立ち上げがルーツでした。ゆえに2009年に創業百周年記念事業でもあった(と思われる)歴史館が開館されていました。
が、ことしも創業百年。鈴木式織機製作所が株式会社化されたのが1920年3月であるためです。ただこの時代、同社はまだオートバイも自動車も手掛けていませんでした。
1936年、鈴木道雄氏は初めてオートバイ用エンジンの研究を命じ、自転車に取り付ける補助エンジンに始まり、実際にオートバイとして開発されたコレダCОが登場するのは1954年のこととなります。国が自動車取締令を改正し、オート三輪や小型車などにようやく認可が出るのが1930年だったからです。戦争による中断を挟み54年の6月、社名が改称され、ようやくスズキ自動車工業株式会社が誕生したのです。
そういった歴史について今になってあれこれ言うのも無粋なので、夢のある話に持って行きます。つまり、2020年の百周年は、偶然にもマツダと同い年の会社という地域の基幹産業同士の縁を持っている(ほとんど話題になっていませんが)年回りだけれど、1954年からの百周年なんていうのも、絶対にありそうです。すごいな、三度も百周年を迎えられるなんて。しかもその時は「ゴジラと同い年」って言うことができるのです。