タクティカル・ダート・アタックなんてレベルじゃありませんが、うちでも地味~にダートを走らせる練習をやってます。しかし現在、裏山の練習コースが昨年の台風で倒木と崩落によって走行不能のため、というかそっちに行ったらハードクロカンになってしまうので、人目にはつくけれど何処とは言えないダートへ連れて行って挙動を覚えさせる程度です。このあとちょっとしたぬかるみに誘い込んだのですが、そのために靴を泥だらけにした僕が怒られました。
その靴を洗っている写真を載せた方が面白かったって? 撮ってません。
固定ページ、つくばーどサイトでお知らせしました通り、2020年の新年会は「つくばふれあいの里」で開催いたします。
つくばーどin筑波山界隈07のお知らせ
天狗の森スカイロッジは、来年度から運営形態が変わり、観光協会直営ではなく民間企業に委託するとのことで、それにあわせて内装改修と備品の入れ替えを5月までの期間実施するため、宿泊施設が使えなくなっています。何もこんな時期に閉鎖しなくったってねえ・・・
筑波ふれあいの里は、2014年の忘年会以来です。05のあと、2017年に06があるのですが、これは林道偵察をやっただけなので、宿泊するのは6年ぶり。よくよく考えてみると初回まで遡れば、ローグレードながら今で言うグランピングっぽいことをずいぶん昔からやってました。
というわけで、筑波も宿泊費値上がりしてましたが天狗の森よりはまだリーズナブルですし、6年も不義理にしていたのにこちらを覚えてくれており、危うく路頭に迷うところを回避できました。なんかあれだね、富士山を追い出された神様が筑波山には迎え入れられたって、民話のノリです。まあ我々は神様でも何でもありませんが。
何事もなければ。この何事もなければというのが無茶苦茶不確定要素だらけでなんとも言えない話ですが、BLUEらすかるの地球・月往還が現実味を帯びてきました。
全行程768800キロの道のりは3日現在、751000キロと端数です。いま、シャカリキに走って月単位で3000キロ出ているかどうかというところですから、単純計算ではあと6か月でランディングとなるはずです。
はず、としか言えないのがどうにも情けないなあと思っていて思いつきました。
この欄にコメントしてくださってもいいし、メールで申告してくださってもかまいません。ニアピン賞はありません。ずばり言い当ててください。正解多数(二問とも合ってなくちゃダメ)の場合は厳選な抽選かじゃんけんの上、ろくでもないと思われる商品を贈呈いたします。コメント欄は1か月間で書き込みができなくなります。それ以降はメールで受け付け、3月31日で締め切ります。
まあ正解者が出たとして、いつ贈呈すりゃいいのよ? という問題はこの際言いっこなしで。
しかし6か月とは計算外でした。アポロ11号にならって(去年だったらちょうど50年めだったんだよなあ)、地球帰還日の7月24日あたりを狙っていたんですが、どうも前倒しになってしまいそうです。
というのがひとつのヒントで、ここに「何事も」の不確定要素が加味され、どうなることやらの攪乱も入ります。
2020年が始まりました。
車体で言えば齢24年のBLUEらすかることスズキエスクードTD61Wは、その年式の通り子年のラインアウトだったことに今更ながらに気が付きました。このエスクードも、いよいよ地球と月を往復して帰還へのカウントダウンに入っております。768800kmという道のりにはそれほどの年月を必要としました。この先壊れなければ、夏には帰りつけると思われます。
傍から見れば、かなりくだらない挑戦です。しかもこれが役に立つのかといえば、「鼠の尾まで錐の鞘」と言えるだけの価値があるのかどうか。「頑張ったけどケチのすること」には喩えられるかもしれませんが、まず世間の関心事にはならないでしょう。
けれども、平成の始まる年からエスクードに乗り始め、ぶれず流されず初代にだけ乗り続けてきたことは、きっと伊達ではないのです。惜しむらくは昭和の終わりに乗り始めていたら、一本芯の通ったエスクード馬鹿になれたのですが(笑)
公私ともにどたばたしているうちに大晦日になってしまいました。
来年こそはBLUEらすかるの地球帰還を実現させるぞの目標を背負って年越しになりますが、油断できない往く年来る奴(笑)への臨戦態勢を整えねばなりません。とはいっても我が家の先祖は宿屋だったので、年越しの来客は慶事吉事でもあるのです。残っている写真と記録を遡ると、2002年に大阪から、でぃやんが燻製づくりに訪れたのが始まりのようです。もっとも、SIDEKICKさんのエスクードがTA51Wになっているのがわかります。テンロク時代にも来ているはずなので、これ以前にもなにかしら行われていたかもしれません。
この年の12月14日、兵庫から森さんが討ち入りに来ていて、大晦日ではありませんが忘年会のような集まりを開いていました。森さんは古参のエスクード乗りがお世話になった、アリーナ尼崎の店長でした。
この2つの行事が後に発展して、焚火と忘年会の流れが出来上がり、景気も悪くなったので(涙)宿泊先を借り受ける忘年会をとりやめ、焚火の宴会に忘年会が吸収されていきます。ちなみにこの写真に写っていないSIDEKICKさんに言及しておくと、この写真を撮っているため「居ない」ように見えますが、ちゃんといるのです。2週間あいているとはいえ、まさに週末関東人です。
あとは2005年の1月1日という日付記録の写真が出てきました。年が明けて初日の出前の撮影と思われますから、2004年の大晦日からの流れで間違いないでしょう。はまたに夫妻と、やっぱり週末関東人がいます。
まあみんな若い。当たり前だ、ではなくて、使うことのできる時間がたくさんあったのです。でもって、利根川あたりにありそうな次元断層は、この頃はだれもが通り抜けてこられたのですね。
写真が残っていないだけかもしれませんが、2003年の大晦日には何も起こらなかったみたいです。
しかし2005年の暮れはもっとすさまじい。クリスマスイブの前日にCyber‐Kさんを待ち受ける待ちぼうけ夜会が幕張であったかと思えば、その1週間以内に水戸でも夜会。なにやってんだよみんなして。と言いたくなるような時間のもてあましぶりですが、よーく考えてみたらSIDEKICKさんのことなど言えない、全てにかかわっているのが僕でした。
というわけで、その後も大晦日ないし元旦の攻防は継続されているのですが、ことしもあるんだろうなあ・・・と剣先スコップをBLUEらすかるから取り外しながら、皆様にあっては良いお年を、と申し上げておきます。
と、思って書いていたのですが我が家の事情により基地は二日ほどクローズとなります。迎撃も受け入れもできなくなり申し訳ないです。
焚火を囲むようになったのは2015年からですが、かわねこさんの「北海道から実家(岩手)に帰るちょっと立ち寄り」は2012年からこのルートで定着しております。ありがたいことです(かわねこさんのこの奇妙な帰省ルートは90年代から続いているそうな)
忘年会の模様はこちら
雨天の心配どころか、風もなくまあまあ寒くない、焚火にはうってつけの夜でした。丑三つ時に消火し本年の行事はすべて完了。というときに、エスクードを軸にしてリスタートしたつくばーどとしては20年めだったことに気が付く間抜けな忘年会でした。
なぜこれほど不細工なプロポーションで、つるんとした装甲がかっこいいと思えたのかは謎だったんですが、おそらくそれはプロレスラー然としたブルマーのような腰部のマジンガーZが嫌だったんだと思います。ならば全身真っ赤の機体の方が、機械っぽい。のちに制作されるマッハバロンの方が絶対にスマートかつごっついのに、どうしたことかレッドバロンのこの造形は、結果としての潔さで贔屓せずにはいられないのです。
当時、指紋認証と声紋認証を強奪防止セキュリティに導入したことは新しかった(まあ突破されちゃうんですが)し、操縦桿をどう使うのかが理解できなかったけれど、「ファイトレバー」を入れるだけでどうやら基本動作の格闘戦は可能だという描写や、操縦室が灼熱化したら百円入れてクーラーが機能する(笑)スポンサーCМも楽しかった。つまるところ、設定をとことん練りこんでも、押し付けてこない適当さって、案外大事だったと感じさせるのです。
途中のつなぎの話数はぐだぐだモノなんだけれど、根幹はテクノロジーを介する人類の未来の行方という、がっちりとした路線の子供向け番組。残念ながら特撮巨大ロボットものはアニメーションのそれに比べて数少ない。それでも、やっぱり、トランスフォーマーじゃダメなんですよ。46年前にこれだけやっている。ついでに「哀 戦士」より8年も早く井上忠夫(大輔)で主題歌作曲してます。と、これだけ理屈つけてソフトを買ったというオチ・・・